第二四〇編 対峙


「ご、ごめんね、変なこと言っちゃって……! わ、忘れてくれて、いいからっ……!」


 涙ながらにそう告げて、少女が背を向けて走り去っていく。


「も、桃華ももかっ……!」


 彼はその背中に反射的に声と手を伸ばしかけて――しかし頭の中の冷静な部分がそれをピタリと制止した。

 ――今まさに交際を拒絶した相手を呼び止めてどうするというのか。掛けてあげられる言葉など、持ち合わせていないくせに。


「……」


 彼――真太郎しんたろうは、だらりと腕を下げて雪に濡れたコンクリートを見下ろす。心臓が締め付けられているような気分だった。昨晩は緊張であまり眠れなかったせいだろうか。それとも――彼女に嘘をついてしまったせいだろうか。


「(……最低だ、僕は)」


 桃華からの突然の告白に、彼が驚かなかったはずがない。大切な友人から唐突に想いを告げられたことに動揺がなかったはずがない。

 瞬間的に様々な考えが巡った。いつからそう想っていたのだろうとか、二人で観覧車に乗った時、どんな気持ちで自分の背中を押してくれたのだろうとか――答え方次第ではもう友だちでは居られなくなるのだろうか、とか。

 結果として桃華を泣かせてしまい……彼女は真太郎じぶんの前から走り去ってしまった。大切な友人を泣かせてしまった。強い自己嫌悪が、彼の心をむしばんでいく。


 いや、桃華のことだけではない。昨夜の美紗みさとの一件、そして今朝の未来みくとの一件。そのすべてが彼を自己嫌悪に陥らせた。

 もっと上手いやり方があったはずだ。もっと上手い言い方があったはずだ。それなのに身勝手な言葉で彼女たちを涙させ、いからせ、傷付けてしまった。口にするまではそれしか選択肢がないように感じるのに言葉として伝えた直後、彼女らの表情を見た次の瞬間にはもう苦い後悔が口腔内に広がっている。そして――その時には手遅れだ。

 この短い時間で、大切な繋がりを三つも失った。恋慕う幼馴染みの少女も、ずっと一途に慕ってくれていた後輩も、自分から望んで得たはずの仲間さえも。


「(ああ……僕ももう、消えてしまいたいよ)」


 降ってはにじんで消えていく雪の結晶を見下ろしながら、そんな情けない思考が脳内を満たしていく。美紗から激情をぶつけられ、未来からは一言で一蹴され……とっくに限界だった心が、バラバラに崩れ去っていくかのような感覚を覚える。

 いっそ本当に消えてしまえたら、どんなに楽だろうか――


「真太郎おおおおおッッッ!!」


「ッ!?」


 ――そんな馬鹿げた現実逃避は、落雷のごとき絶叫によって打ち砕かれた。もはや自分一人しか居ないと思っていたこの屋上でいきなり浴びせかけられた大声に身体がビクッと硬直し、視界が一瞬だけ真っ白に染まる。そしてやや遅れて、痛みを生むばかりだと思い始めていた心臓が本来の役割をまっとうせんとばかりにドクドクドクと高速で脈動を開始した。


「ゆ――悠真ゆうま……!?」


 勢いよく振り返った先に立っていた少年の姿を認めて、驚きの声を上げる真太郎。対する少年――小野おの悠真は、なにやら強く力を込めた瞳でこちらを睨み付けている。


「ゆ、悠真、どうして君がここに……と、というか今、どこから出てきたんだい……!?」


 しかし悠真はその問いに答えることはせず、代わりに立ち尽くす真太郎にずんずんと詰め寄ると、右腕を伸ばして思い切り胸ぐらを掴み上げてきた。

 普段から決して品行方正とは言えない彼だが、しかしここまで暴力的な振る舞いをされたことはこの半年の付き合いの中でただの一度もない。ゆえに当惑する真太郎に、少年は俯きがちに言ってくる。


「……んでだよ……!」

「えっ……?」

「なんで……なんで桃華アイツの本気の告白にしたんだよ……ッ!?」

「!」


 その一言に、真太郎は大きく瞳を見開く。


「……見られて、いたんだね……ひょっとして、君は知っていたのかい? 彼女の――桃華の気持ちを」


 真太郎が手を振りほどくこともしないまま問うと、悠真は歯を食い縛ったままグッと頷き、そして怒りに震えたような声音で静かに言ってくる。


「知ってたよ……俺は知ってたんだ、

「……?」


「ぜんぶ」という言葉の意味をはかりかねて内心首を傾げる真太郎。そんな彼のブレザーの首元を掴む手に込める力を強めながら、悠真は吐き出すように続けた。


「桃華がお前のことを好きだってことを知ってた……

「……えっ?」

「桃華がどんだけお前のことが好きかってことも知ってた……知ってたから、ずっと応援してきたんだ……! それが叶わない想いだって知ってても、それでも俺みたいになってほしくなかったから……!」

「な……にを言って……」


 要領をえない言葉の羅列。しかしいつもは比較的冷静な彼がこうも取り乱しているという事実が、逆に真太郎を冷静にさせる。

 こちらを睨む悠真の瞳の奥には――誰よりも大きな傷痕が浮かんでいるような気がした。

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