第二三一編 エゴイズム
★
『最後くらい、貴方は貴方のために行動してもいいのではないの?』
周囲の生徒たちが渡り廊下を疾駆する俺に驚き、振り返る気配がする。ついでに迷惑そうな目も向けられていることだろう。申し訳ないと心の中で謝りつつ、しかし足は止めなかった。
行き先は一年二組――
「(しかし、まさか
普段は利用しない屋外非常階段を一段飛ばしで駆け上がりながら、先程の友人の言葉を脳内で
「(そうだよ、今朝自分で決めただろ! 最後くらい自分のために行動してみようって!)」
いつの間にか流れに身を任せ、考えることを放棄していた。自分に出来ることはもうないからと。……いや、それは事実か。もはや俺に出来ることなどなにも残っていないんだろう。
けれど出来ることはもうなくても、やるべきことは残っている。伝えていない言葉は残っている。それは決して桃華のためではなく――俺自身のために。
「(伝えなきゃいけない、桃華が
最後の一段を上りきり、屋外鉄扉を引き開けて校内へ。一年生フロアの教室を七組から順に見送り、もう二度と訪れることはないかもと思っていた三組との感動の再会をも
「桃華ッ!!」
「うおっ!? お、
後から思えば、この時の俺はかなり外聞をかなぐり捨ててしまっていたと思う。教室の中に関係者以外の生徒が居たら、とかそんなことはまったく頭になかったから。
だが幸い、中にいたのは驚いた顔をしている悪魔ギャルこと
「な、なんだよ、びっくりさせるなよ……というかアンタ、まだ学校に残って――」
「金山ッ! 桃華はッ!?」
「はっ? えっ、えっと……れ、例の件で屋上に行ったけ――」
「い、いつだッ!?」
「つ、つい今しが――」
「ありがとうッ!」
困惑しつつも正確に応答してくれたギャルに礼を残し、俺は再度廊下を走り出す。……教師がいなくて助かった。こんなところを生活指導の先生にでも見られたら反省文を書かされること請け合いだろう。
比較的多くの生徒が残っている一組の前を駆け抜け、校舎の中央階段――唯一屋上に繋がっている階段へ。というか俺が言うのもなんだが、屋上は原則生徒の立ち入り禁止なのに平然と告白スポットに利用するんだな、
「(立ち入り禁止だからこそ、告白には都合いいのか、ねっ!)」
一階層分の階段を勢いよく駆け上がったところでようやく、俺は目当ての人物の背中を見つけた。一段ずつ、ゆっくりと踏みしめるように屋上を目指すその後ろ姿に――大声で叫ぶ。
「桃華ぁッ!」
「うぎゃっ!? びびっ、びっくりしたっ!? ……ってあれ……ゆ、
ビクーッ、と分かりやすく肩を跳ねさせた彼女――
俺は間に合ったという安堵からか心が緩み、途端に全身の汗腺が活発に働きだした感覚を覚えた。ね、寝不足の体で全力疾走は流石にやりすぎた……ちょっと吐きそうだ。それとも吐きそうなのは――彼女に直接言葉を伝えることへの緊張感ゆえだろうか。
「ど、どうしたの、悠真? あ、汗凄いけど大丈夫?」
「あ、ああ……」
こんな雪の日に汗だくとか冷静に考えれば相当気持ち悪いが……今はそんなことどうだっていい。俺は乱れた呼吸を無理やり整え、彼女の顔を見上げた。
「……桃華、お前……真太郎に告白するんだってな」
「!? え、ええっ!? なんっ、ゆっ、しっ、まっ、やっ、きっ……ええっ!?」
途切れ途切れの言葉から「なんで悠真が知ってるの、まさかやよいちゃんに聞いたの!?」という意味を読み取る俺。まあそういう反応にもなるだろう。……本当に、なにも気付かれていなかったんだな、これまで俺がしてきたことは……当然か。桃華と真太郎にだけは絶対に悟られないように動いてきたんだから。
「……今から、真太郎のところに行くのか?」
桃華の言葉にならない質問には答えず、俺は知っていることを問い掛ける。
すると桃華は一度大きく瞳を揺らしてから――こくり、と小さく、しかし確かに頷いた。……そうだよな。
――夢でも嘘でも冗談でも、ついでに勘違いでもないんだよな。
覚悟を決めて受け入れたつもりだった。それでも一度は告白へ臨む前の彼女の顔も見ずに帰ろうとした。……こうなることが、分かっていたから。
手足と喉が震えているのが分かる。口の中が乾く。先程の疾走とは無関係に息が乱れ、心拍数が跳ね上がる。桃華の顔から、視線を落としてしまう。
分かっていた――分かっていたから、逃げようとした。目を背けようとした。
もしも七海が背中を押してくれなかったら、俺はまた最後まで〝勇気〟を出せず終いだっただろう。まったく、過去からなにも学んじゃいないな、俺は。
――このあとすぐに桃華は告白に行ってしまう。真太郎のところに、俺ではない男のところに。一〇年間、ずっと密かに想ってきた幼馴染みの彼女が。……喜ぶべきことだ。俺はこの半年間ずっと、この瞬間のために動いてきたのだから。
彼女はなにも知らない。なにも知らないままでいるように俺が仕組んだ。なにも知らないままでいてくれてよかった。なにも知らないままでいてほしかった。
何故なら俺はきっと、正面切って彼女を応援してやることなど出来なかったから。そんな度胸も、資格もないから。一〇年あってもなにも行動を起こさなかった俺には、彼女の背中を押してやることなんて出来なかったから。
「(……だから)」
だからこれは、桃華のために伝える言葉ではなく、俺が俺のために伝える言葉なんだ。桃華にこれを聞かなければならない義務などないし、俺にそれを強要する権利もない。ただの、単なる自己満足でしかない。とんだエゴイスト野郎もいたものだ。どうやら一緒にいるうちに、どこぞの利己主義お嬢様の性格が移ってしまったらしい。
だが今は――今だけは、それでいい。
「あ、あの……悠――」
「――桃華」
「! は、はい?」
なにも言わない俺に声をかけようとした桃華の声を遮り、彼女の名を呼ぶ。やはり喉が震える。きっと情けない声をしているだろう。ここが階段で、高低差があったのが幸いだった……とても真正面からでは伝えられる気がしないから。
本来なら胸を張って笑顔で伝えるべき言葉だ。なんの
〝勇気〟を出して前へ進もうとする彼女の背中を、ほんの少しでも押してやれればそれでいい。
「頑張れ、桃華――頑張れよ……ッ!」
……そう、これは単なる俺のエゴに過ぎない。正面切って彼女を応援してやることの出来ない、度胸も資格も持ち合わせていない男のエゴ。
それでも、せめて最後くらいは伝えたかった。自分の言葉で、俺の気持ちを。
「……」
桃華はぽかんとした表情のまま、なにも言葉を発しない。
じわじわと恥ずかしさが込み上げてくる。というか必死に追いかけて来ておきながら、結局「頑張れ」としか言えなかった。もっと気の利いたことを言えないのか、この口は。
ずっと陰でこそこそ動いてきた弊害を痛感する俺。すると不意に桃華がふわりと笑った。俺が惚れたそれとは別種の、柔らかな笑顔で。
「ありがとう、悠真。私、頑張るね」
俺はその笑顔と一言だけで、報われたような気がしていた。
これまでの苦労も――そして俺の〝失恋〟も。
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