第二二八編 送り出す言葉


「桃華ぁー! やよいぃー! 今からカラオケ行くんやけど一緒にどうやー!?」

「私パス、今日バイトだし」

「またかいっ!? じゃあ桃華は? カラオケ好きやんな?」

「ご、ごめんね、シズカちゃん。私も今日バイトなんだ」

「なんやねんお前らバイトバイトって!? 仕事なんか将来イヤでもやるねんから今くらい青春謳歌しよって思わんへんのか!」

「親から貰った小遣いでカラオケ行くやつに言われたくない」

「はんっ! もうええわ、めっちゃ楽しんどる写真送りつけたるからな! 後かられて言うてもれたらへんからな! ザマミロ!」

「清々しいくらいの捨て台詞だな」


 廊下を走り去っていく友人の背中を、やよいは半眼で息をつきながら見送った。

 ホームルームから一五分ほどが経ち、生徒たちの多くは教室を出ていく。帰路に着く者、部活に参加する者、あるいはこの一年間を過ごした友人たちと遊びに行く者。大半の生徒は無事に進級が決まった喜びと一年生が終わった寂寥せきりょう感、そして春休みへの期待がいり混じった顔をしている。

 そんな中で彼女の隣――胸に手を添えて唇を引き締めている幼馴染みの少女は、端的に言って少々浮いていた。


「……緊張してる?」

「!」


 やよいがそう問い掛けると少女――桃華はこくん、と小さく首を縦に振る。


「……なんか、すっごいドキドキしてる……く、口から胃とか心臓とか出てきそう……」

凄惨せいさんかよ。よく噛んでもう一回飲み込んどきな」

「うっ!? じ、自分のグニグニした内臓を噛むところを想像したら……うぷっ、吐きそう……!」

「結局なにかしらは口から出てくるんだな」


 やよいは昔から桃華のことをよく知っているが、彼女がこんな風に緊張を全面に出すことはあまりない。いや、正確には。半年前、久世真太郎くせしんたろうと話すようになってからというもの、桃華は変に緊張癖がついたようにみえる。


「(それでも最近はすっかり慣れたみたいだったけど……ほんとよく矯正したよな、小野あいつ)」


 幼馴染みの悪癖矯正に一役も二役も買ったもう一人の幼馴染みのことを思い浮かべ、やよいは称賛半分、呆れ半分の心持ちになる。


「(ほんと、その労力を自分のために活かせばいいのに……って、今さら私がそんなこと言っちゃ駄目か)」


 桃華のことをずっと一途に想っていながら、彼女の初恋を知って自分の恋を諦めた彼――小野悠真おのゆうま

 しばらくは彼こそが桃華の恋人に相応しいのではないかと思ったりしていたやよいだったが、先日の遊園地の一件でその考えには結論が出ている。桃華本人の気持ちを差し置き、小野悠真の恋を応援してやることは出来ないと。であれば、もはややよいに彼のことをとやかく言う権利はないだろう。


「(……もしこの後、桃華が久世にフラれたら……小野あいつ、どうするつもりなんだろ)」


 桃華がそれでもなお真太郎のことを好きだと言えば、彼はまた陰からその想いを応援し続けるつもりなのだろうか。応援していることも、桃華への気持ちも隠したまま……。


「(……逆に、桃華が久世を諦めるって言ったら……?)」


 その時は、彼にもう一度チャンスが巡ってきたと捉えてもいいのだろうか。……分からない。だがあの不器用な少年が、恋破れた桃華に想いを伝えることが出来るのかという疑問はある。

 やよいにはどうしても、悠真が桃華に想いを告げる姿が想像出来なかった。彼の想いを知ったのが既に〝失恋〟した後だったというのもあるだろうが、やよいが見てきた小野悠真はいつも〝他の誰か〟のことばかり考えている。もしも桃華が恋破れて泣いていたら――


 ――彼はやはり自分の恋のことなど放り出して、彼女のために動くのではないだろうか。


「(……いや、もうめよう。今は小野のことなんか考えてる場合じゃないだろ、私)」


 いつまでも結論の出た問題について考えてしまう頭を振り、やよいは改めて隣にいる桃華の顔を見た。緊張を表情に刻んだ少女は、先ほどから何度も深呼吸を繰り返している。


「……久世はもう呼び出したんだっけ?」

「う、うん。ずっと他の友達とか女の子に囲まれてるから直接は言えてないけど、メールで屋上に来てって言ってあるよ」

「メールってあんた……せめてラブレターとかにしなよ。色気の欠片もないな」

「だ、だって手紙を書こうとしたら手が震えて字ががったがたに、なっちゃったから……って、あれ?」


 ちょうどその時、桃華の携帯電話のバイブレーションが起動した。その画面を覗き込んだ彼女は、途端にぐっと顎を引く。


「……久世から?」

「う、うん。……今、屋上に着いたって」

「そっか……じゃあ、その、なんだ……」


 やよいはぽりぽりと頬を掻くと、出来る限り自然な笑顔で親友のことを見る。


「行っておいでよ。……応援、してるから」

「うん……ありがと、やよいちゃん」


 緊張しながらもいつもと同じ柔和な笑みを浮かべた桃華に、やよいは己の胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 それは幼馴染みの少女がとうとうここまで来たのだという感慨深さからくるもの――などではなく。


「(その言葉を本当に伝えるべき相手は私じゃないんだよ、桃華……)」


 そんなこと言えるはずがない。桃華は、陰からずっと自分のことを支えてくれていた一人の少年の存在など知らないのだから。

 決して知られぬよう、他でもない自身が尽くしてきたのだから。


「それじゃあ――行ってくるね」

「……うん」


 ゆえにやよいは遠ざかる彼女の背中に向け、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。


「――頑張れ、桃華」


 きっとあの少年なら、そう言って桃華を送り出すだろうから。

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