第二二六編 すべきこと

「……おう。今帰りか?」

「……ええ」

「そっか。……」

「……」

「…………」

「…………」


 な、なんか気まずっ……!?

 下駄箱前で七海ななみと遭遇した俺は、特に言葉を交わすこともなく靴を履き替え、そして上履きをビニール袋に突っ込んで鞄に仕舞う。ちらりとお嬢様の様子を窺うと彼女は一応俺のことを待ってくれているのか、下駄箱を出た先で静かに空を見上げていた。


「……まだ雪、んでないんだな」

「……ええ」

「……」

「……」


 また沈黙。普段なら元々無口な彼女と会話が途切れても大して気にならないのだが……今日はどうしてもそわそわしてしまう。

 真太郎しんたろうのことをフォローしてやりたい気持ちと、俺ごときが口を挟んでいいものかと悩む気持ちがせめぎあっていた。そもそも七海は俺が真太郎の気持ちを知っていること自体知らないわけだしな――


「今日、久世くせくんに交際してほしいと言われたわ」

「ッ!?」


 ――そんな俺の気遣いをぶった斬るように、お嬢様がいきなり話をぶっ込んできやがった。彼女は曇り空から動揺する俺へと視線を戻し、相変わらずの無表情で続ける。


「……その様子だと、貴方は知っていたみたいね」

「えっ、い、いや……!?」


 俺は反射的に否定しかけて――首肯する。


「……ああ、知ってた。……悪い」

「どうして謝ることがあるのよ」


 おかしそうに小さく微笑み、七海は傘も差さずに歩き始めた。慌てて俺も彼女の後を追う。


「……な、なんて答えたんだ? その……真太郎に」

「答える必要があるかしら? 貴方は私の性格くらい、もうよく分かっているでしょう」

「……そりゃ、な」


 この他人ひと嫌いのお嬢様が、他者からの告白など受け入れるはずがない。当たり前だ、分かりきっていた。人の性格なんてそう簡単に変わるものではないのだ。出会った時と比べれば多少は丸くなった彼女も、別に恋愛に対して前向きになったわけではない。

 依然として彼女の価値観では、恋愛レンアイなんてくだらないものでしかないのだろうから。


「……浮かない顔をするのね」

「えっ……ま、まあ……」


 指摘され、俺はぽりぽりと後頭部を掻く。真太郎に似たようなことを言われたが……友だちのフッたフラれたの話を聞いて浮き足立つ人間の方が稀ではないだろうか。

 しかし七海はそんな俺の思考を読み取ったかのように「そうじゃないわ」と呟く。


「私が久世くんを受け入れなかったことは、貴方にとっては喜ばしいことでしょう?」

「え? な、なんで?」

「? 今後、桐山きりやまさんの恋が成就する可能性が高くなるからに決まっているじゃない」

「!」


 その言葉を聞いて俺はハッとする。

 ……そうだ、七海には話していないんだったな。


「……七海」

「なに?」

「そ、その……実は――桃華ももかのやつも今日、真太郎に告白するつもりらしいんだ」

「!」


 珍しく七海が瞳を丸くした。……その綺麗な顔立ちとは少々ミスマッチな表情だな、なんて場違いな感想が頭に浮かんだ。

 そしてお嬢様はまた無表情に戻り、淡々とした口調で聞いてくる。


「……いったい何がどうなったらそんなことになるのよ?」

「い、いや、実は俺も訳分かんなくて……金山かねやまが言うには、桃華が自分で決めたことらしい」

「……どうして今まで言わなかったのよ?」

「お、俺も事態を飲み込めてなかったってのが一番の理由だけど……でもその、それを言ったらお前は俺との〝契約〟のために真太郎をフるかもしれないし、もしそうなったら真太郎に申し訳が立たないから……」

「……呆れたわ。相変わらず馬鹿なのね、貴方は」


 ため息をついた七海の言葉が胸に刺さり、「うぐっ!?」と呻く俺。

 今言った通り、俺が桃華の告白の件を七海に伝えなかったのは、それを伝えてしまえば七海は元〝契約〟者であることを理由に真太郎からの告白を断ってしまうかもしれないと思ったからだ。そんな心配をするまでもなく、七海が彼からの告白を受け入れる可能性は最初からゼロに等しかったかもしれないが……それでも万が一にでも俺が原因で真太郎が恋破れるようなことになったら彼に合わせる顔がない。

 真太郎は俺を信じて七海への想いを話してくれた。だったら俺はせめてその恋路の邪魔だけはしてはならない。八方美人な考え方かもしれないが――俺と彼は友だちなんだから。


「……まあいいわ。貴方のその面倒な性格は今に始まったことでもないもの」

「お前にだけは言われたくねえ」

「……どういう意味かしら?」

「そのままの意味だよ」


 例によってバチバチと視線を戦わせた後、七海はもう一度小さく息をつき、そしてその黒い瞳で俺のことを見据える。


「……つまり、貴方の目的は達した、ということでいいのかしら」

「……ああ、そうだな」


 彼女の目から逃れるように俯きながら、肯定の言葉を吐く。

 俺に出来ることは全てやった。もう桃華のためにしてやれることなんてないし、後は彼女が真太郎に想いを告げて終わり。

 最初から決めていたことだ。片方が想うだけで恋愛は叶わない。だから最初から〝桃華の恋愛の成就〟ではなく〝桃華が後悔の残る失恋をしないこと〟を目的としてきた。

 話すこともままならなかった彼女と真太郎の仲を深め、友情を育み、信頼を得て、そして今日に至る。

 目的は達した。もう達したんだ。その後の彼らの関係修復、つまり俺個人の望みについては、告白が終わってから考えていけばいい――


「本当に、それでいいの?」


 ――透き通るような七海の声が聞こえた。

 顔を上げるとその場に立ち止まった彼女はこちらを振り返り、そしてまっすぐに俺の目を見つめながら言う。


「本当に――貴方がすべきことはもうないの?」

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