第二一三編 フリフラレ

「……え、へへ……」


 美紗みさの口から最初にこぼれたのは、そんな乾いた笑いだった。


「わ、分かってますよ……し、真太郎しんたろうさんは、お姉ちゃんのことが好きなんですから……そ、そんなの分かった上で、わた、しは……ずっと……」


 少女はそんな言い訳の言葉で、己の心に出来た亀裂を埋め立てようと試みる。分かっていたことだと、折り込み済みだっただろうと。今ではなく、将来的に彼が振り向いてさえくれればそれでよかったのだろうと。


「い、今すぐじゃなくていいんです、から……そもそも、そんな簡単カンタンにいくわけ、ありませんし……」


 だが真太郎から無慈悲に告げられた言葉は、彼女が心に施していた鎧を容易く粉砕した。埋め立てることさえ出来ぬほど粉々に、容赦なく。

 なにより――優しい彼が浮かべているその苦悶の表情そのものが、彼の覚悟のほどを物語っている。これは一時の気まぐれ・気の迷いが生んだ言葉ではなく、真太郎が真剣に悩んで出した結論なのだということを。


「…………なんで……こんな突然、そんなこと言うんですか」


 ぽそり、と。少女の冷えきった唇が動く。


「今までずっと……答えずにいてくれたじゃないですか……私に、可能性を残していてくれたじゃないですか……私がを聞きたくなかったことくらい……あなたは分かってくれていたはずじゃないですか……!」

「……ごめん」

「謝らないで答えてくださいッ!」


 沈痛な表情で頭を下げた真太郎を、美紗は大声とともにはねつけた。

 同時に、胸の一部どこかが自罰する。こんなのは最低だと。フラれた腹いせに好きな人に噛み付く女など最低だと。そんな女にだけは自分はならないと、そう思っていたのに。

 けれど、一度口から出た言葉を仕舞い直すことなど出来はしない。


「……君がそう言って、僕のことをずっと好きでいてくれたことは本当に嬉しいんだ。それは嘘じゃない。心から、そう思ってる」

「……!」

「そんな君に対して、僕はとても不誠実だった。君が答えを欲していないことに甘えてしまった。……君がどんな気持ちで僕を想ってくれていたのか……知らない訳じゃ、なかったのに」


 未来あねのことを想う男と、そんな男の気持ちを知りながらなおも一途に彼を想う美紗いもうと。その関係は単純な構造に見えるがしかしそのじつ、複雑極まりない。


 もしも仮に未来みくと真太郎が結ばれたとすれば、美紗はどんな気持ちで二人のことを見ていただろう。一途に想い続けた男が姉と幸せそうにしている姿を、心からの笑顔で祝福出来ただろうか。

 逆に、いつの日か真太郎と美紗が結ばれる日が来たとして、その時真太郎はどのような気分を覚えていただろう。美紗いもうとの中に、未来あねの影を見ずにいられただろうか。真摯な彼が、そのことに一切の後ろめたさを感じずにいられただろうか。


「……本当は、もっと早くに答えるべきだった……いや、答えなければならなかった。僕が君の優しさに甘えたせいで、君はいつまでも僕なんかのことを想い続けて、無意味な時間を過ごさせてしまったんだから……」

「――ッ! 『無意味』だなんて言わないでくださいッ!」


 美紗はばしゃり、と腕の中の紙袋を彼の胸目掛けて投げつけた。それはそのまま雪の染みた地面に落下して……力なくしなだれる。


「私の恋が間違っていたみたいに言わないでくださいッ! 私はあなたのことがどうしようもなく好きだから、一途に想ってこられたんです! あなたが素敵な人だから、私はあなたのことが好きなんです! 私の恋はいつだって、誰よりも正しい! それを……それをあなたが勝手に〝不幸〟みたいに言わないでくださいッ!」

「……」


 その悲痛な叫びに、真太郎は黙って俯くばかりだった。そんな想い人の姿を見て――とうとう美紗の瞳から一筋の涙が溢れ出す。


「……私はこんな……こんなにあなたのことが好きなのに……どうして……どうしてなんですか……!」

「……ごめん」

「……っ!」


 美紗は知っている。こんなワガママを言ったところで、彼の気持ちは絶対に変わらないことくらい。

 だって出会ってから今日までずっと、彼の気持ちを変えることは出来なかったのだから。何度「好き」と伝えても、彼は変わらず未来のことを好きで居続けたのだから。


 美紗は、本当は知っていた。彼の気持ちを変えることなんて出来ないことを。一〇年経っても二〇年経っても、真太郎にとっての美紗は〝未来の妹〟でしかないことを。自分の恋は――きっと実らないのだということを。

 それでも、諦めることなんて出来はしなかった。出来るはずもなかった。なぜなら彼女は、彼女の恋は――とっくに理性などというブレーキがくような、軽いものではなくなっていたから。


「……僕は、前に進むことを決めた」


 静かに、真太郎が告げる。


「だから……その前に、君にだけはケジメをつけておきたかった。君に何も答えないまま先へくような真似はしたくなかった。……身勝手な理由で君に涙を流させてしまって本当に……本当にごめん」

「……」


 もう一度、深く深く頭を下げた真太郎に、美紗は頬から滑り落ちていく雫を拭いもせず――形なく笑った。


「……本当に、酷いですよ……あなたはそうやって、最後まで優しくするんですから……どうせ受け入れられない恋だというなら……いっそ手酷く袖にされた方がよっぽど気楽でいられたのに……」


 言葉を終える前に笑みは消え去り――彼女の顔が醜く歪む。胸に走る堪えきれない激痛が、嗚咽おえつとなって口から漏れた。


「っ!」


 その場から駆け出したのは、長らく想い続けた人にそんな顔を見られたくはないという虚栄心が成した行動だったのかもしれない。あるいはただ単に、これ以上彼の前にいることがつらかっただけか――いや、その両方だろう。

 そんな彼女の背中に、一人残された少年が呟く。


「……本当に、ごめんね……」


 地に落ちたホワイトデーの紙袋に、しとしとと冷たい雪が染み込んでいった。

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