第二一〇編 トドメ

 通話の切れた携帯電話を手に、俺は安物のデスクチェアの背もたれに全体重を預ける。茫然自失……とまでは言わないが、それに比肩しうる程度にはすっかり意気が消え失せていた。


 ……明日、真太郎しんたろう七海ななみに想いを告げる。

 そしてその真太郎に、桃華ももかが告白するという。

 事態は想像しうる範囲で最悪に近いと言っていい。少なくとも、彼らの告白の成功確率はどちらも最低に等しいはずだ。このまま行けば彼らは――俺たちは――もう元の関係に戻ることは出来ないのではあるまいか。


「(……金山かねやまに、真太郎が七海に告白しようとしてることだけでも伝えるべきだったか……? いや、でも……)」


 それは出来なかった。

 真太郎は、友人としての俺を信じて俺に話してくれたのだ。散々彼に嘘をついてきた俺でも、その信頼を裏切り、許可もなく金山にすべてを話して聞かせるような真似は出来ない。出来るはずもない。

 第一、金山は桃華がフラれる可能性が高いと分かった上で彼女の背中を押した。桃華に俺と同じ、得るものの一つもない無意味な〝失恋〟をさせないために。つまり明日真太郎が告白すると伝えたところで、「桃華を止める」という結論には至らなかった可能性の方が高かっただろう。


 いや……「止めよう」という考え方自体おかしいのかもしれない。だって俺自身、桃華の告白の成否なんかどうでも良かったはずじゃないか。元より彼女の恋を応援しようと思ったのだって、あの二人が上手くいく・いかないではなく、告白も出来ぬまま恋を終えた自分のようになってほしくなっただけ。桃華と真太郎が無事に付き合えるかどうかは二の次だったはずだ。


 一〇〇パーセント成功する恋などあり得ない。いつ、どのようなタイミングで告白しようが、失恋のリスクは常に付きまとう。

 だからこそ、俺は桃華が〝勇気〟を出せるように場を整えることだけに専念してきた。告白を成功させる方法ではなく、彼らの間に関係を築き、告白の方法を考えてきた。

 その果てで桃華が失恋したとしても、それは仕方のないことだと思っていた。相手は久世くせ真太郎――学年一の人気者なのだから、と。


「(なのに、どうして俺は……)」


 ――桃華がこのままでは失恋してしまうかもしれないということが、こんなにも恐ろしいのだろう。そんな可能性くらい、自分の中では折り込み済みだったはずなのに。

 いや……彼女だけじゃない。真太郎と七海のことだってそうだ。

 俺は真太郎の告白が上手くいかないと頭で理解していながら、彼を止めることが出来なかった。止めようと思えば止められたはずだ。せめて時期尚早だと伝えるくらいは。

 ならばなぜそうしなかったのか。そしてなぜ、止めなかったくせに彼が失恋してしまうことを思うと恐ろしいのか。


 自分で自分の思考回路が理解できない。

 あの二人は、俺が一〇年かけても出せなかった〝勇気〟を絞り出し、前へ進もうとしている。それは喜ばしいことのはずじゃないか。

 それなのに……どうして……。


 すると、俺が握ったままだった携帯電話がぶるぶると振動した。突然の感触にビクッ、と身体を跳ねさせ、思わず手から滑り落としてしまう。

 フローリングの上に敷いている薄っぺらなカーペットの申し訳程度に装着しているスマホカバーに救われ……たのかは分からないが、とにかく画面が割れたりはしていないことに安堵し――かけたところで、俺はもう一度手の中の電子機器を取り落としそうになった。


 ――着信:七海未来みく――


「……なんなんだよ、今日の俺は……」


 ぼそりと呟き、勘弁してくれと言わんばかりに低い天井を仰ぐ。

 金山に続いてあの他人ひと嫌いのお嬢様からのご連絡、そしてこのタイミング……絶対にロクな話ではあるまい。


「……」


 俺は敢えて電話に出ないことにした。

 友人の少女には申し訳ないが、もう本当に頭の容量がパンクしそうなのだ。そして例によって嫌な予感が全身をむしばんでいる。この電話に出たら俺は今夜、いよいよ眠れなくなってしまいそうだ。

 しばらく経過すると、自然と着信音と振動がむ。罪悪感を覚えつつもホッと一息をつきかけたところで――


「うおっ!? またかよ!?」


 再度着信。相手は見るまでもない。


「……本当に勘弁してもらえませんか……」


 通話開始ボタンを押していないので聞こえるはずもないのだが、俺は天に祈るような心持ちで無機質な着信画面に語りかける。

 分かっているんだ。あの七海がわざわざ電話を掛けてくるなんて、それだけで明日は大雪間違いなしの一大事だと――もう既に外は雪が降り積もりつつあるという事実はさておき。

 つまりはよほど大切な用事なのだろう。そして彼女には数え切れないほど世話になってきた身、普段なら即座に応じてやりたいところだが……いやでも……!


 などと悩んでいる間に、今度は割合早く着信が途切れた。諦めたのか、じゃあ大した用でもなかったのかな……と思ったところで、今度はメールの受信音が俺の耳に届く。


『七海未来:一分以内に折り返して来なかったら……』


「折り返して来なかったらなんだよ!? そこで区切るな、超こええ!?」

『貴方が電話に出ないからでしょう』


 一瞬で電話をかけ直した俺の耳に、数刻ぶりのお嬢様の透き通るような声が響いた。


「なんなんだよ、どいつもこいつも俺のこと大好きか。次から次へと電話かけてきやがって」

『電話がかかってきただけのことをそこまでポジティブに捉えられるなんて素敵ね。将来はクレーム窓口にでも就職するといいわ』

「結構だ。毒舌女からのお小言はこの半年で一生分聞いてるもんで」

『そう、それは残念だわ』


 普段は俺が言い返せば一〇~二〇倍の濃縮の毒を吐いてくる彼女が、今日に限ってそれがない。いつも通りの無機質な口調ではあるものの、やはり彼女も……。


「……なにかあったのかよ?」

『……ええ』


 腹を決めてこちらから問うと七海はほんの少しだけ、しかし確かに深刻そうな声で静かに言った。


『……実は、美紗のことなのだけれど……』

「? な、七海妹……?」


 予想外の名前が飛び出してきて、微妙にすっとんきょうな声を上げてしまう俺。

 しかし続くお嬢様の言葉は――とうとう本日の俺にトドメの一押しをくれた。


『――どうやらあの子、久世くんに失恋してしまったみたい』

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