第二〇八編 二重


 白い雪がはらはらと降り始めた帰路を辿り、俺は自宅の玄関をくぐった。

 指先、爪先に至るまで、すっかり身体が冷えきっている。ついでに夕食直前の帰宅になってしまったため、母親から「遅くなるなら連絡くらい入れろ」と小言までいただいてしまう始末。しかし、俺の頭はそのどちらにも思考回路をく余裕など残っては居なかった。


 ――未来みくに、この想いを伝えてみようと思うんだ。


 頭の中でグルグルと、真太郎しんたろうの言葉と彼の真剣な瞳が連続再生される。まさか、彼が七海ななみのことを好きだと確信を持ったその日のうちにこんなことになろうとは……。

 シャワーを浴び、夕食をとっている間もその衝撃は微塵も衰えぬまま俺の思考を埋めつくし続ける。


「……『学生の身で誰かと交際するつもりはない』、じゃなかったのかよ……」


 自室に入り、普段滅多に座らない学習デスクのチェアを引き出して腰掛けながら、俺はぼそりと呟く。それは俺を散々悩ませた、時代錯誤もはなはだしいあのイケメン野郎の常套句じょうとうく。後追いして考えてみれば、あれは告白してきた相手を可能な限り傷付けずに交際の申し出を断るための言葉だったのかもしれない。

 あるいは……先ほどの話の中で、真太郎は七海に相応ふさわしい男になるために努力をしてきたと言っていた。もしかしたらアイツはこの先もずっと――たとえば高校も大学も卒業し、社会人になってからも――それを続けるつもりだったのだろうか。あの才能の塊のような女に追い付くにはそれくらいしなければ駄目だと、そう思っていたのだろうか。


「……真面目アホかよ……」


 もう一つ呟き、俺は机の上に突っ伏した。なんだか疲れたのでこのまま眠ってしまいたいくらいだが、頭ばかりえていてとても眠れそうにもない。


「(……止めなくて、良かったのか……?)」


 彼は、明日七海に想いを告げると言っていた。なにせ明日の修了式を終えればそこから春休みに突入してしまい、そうなればいくら彼女が〝甘色あまいろ〟の常連とはいえ、告白のチャンスが激減するからだ。つけ加えるなら、告白の雰囲気ムードを大切にしたければやはり鉄板は学校の何処どこか、という理由も少なからずあるのだろう。


 しかし――おそらく彼の告白はほぼ一〇〇パーセント失敗に終わる。

 彼が悪いのではない。ただ。七海未来みくおよそ他者との交際に関心がないからだ。俺はほんの一月ひとつきほど前、彼女自身の口からそれを聞いてしまっている。

 もちろんそこから彼女の心情になんらかの変化が訪れた可能性はゼロではない。ゼロではないだろうが……。


「(……俺は……どうするべきだったんだ……?)」


 考えたって分かるはずもなかった。

 告白してもその成功率は極めて低いから彼を止めてやることも、逆にそれでも前に進もうとしている彼の背を押してやることも、一方から見れば正しく、もう一方から見れば間違いだ。前者は彼の覚悟に水を差す行為だし、後者は無責任だろう。

 そしてどちらにも共通して言えることは、いずれにせよ彼は幸せになれないということ。

 いて言えば叶う可能性の低い七海への恋慕をこれ以上募らせる前にその恋に幕を下ろし、次の恋を探す方が建設的かもしれない。しかしその考えはあまりにもドライ過ぎる。誰しもが〝誰か〟と恋をすることに幸福を見出だせるわけではないのだから。


「!」


 その時、俺の携帯電話がピロピロと電子音を奏でた。考え事を中断された苛立ちを覚えつつ画面を見れば、そこには「着信:金山かねやまやよい」の文字が表示されている。


「(金山……? なんだよ、アイツが俺に電話してくるなんて……)」


 あのギャルを待たせるとなにかと面倒なのは目に見えているので、俺は画面をスワイプして電話に出た。


「……なんだよ?」

『第一声がそれかよ。……まあいいや。ごめん、夜遅くに』

「は? いや、別にいいけど……」


 珍しくこちらを気遣うような口調で言ってくるギャルに違和感を覚えていると、電話の向こう側の一応幼馴染みの少女は『あー……』となにやら考えながら……というより言葉を選びながら話しているかのように言ってくる。


『……ごめん。アンタには、言わずにおくことも考えたんだよ。昨日から丸一日、ちゃんと考えた』

「……?」

『だけど……やっぱりあの子がここまで来たのってアンタのお陰なんだろうなって思うから……だから、ごめん。アンタには、ちゃんと伝えておく』

「な、なにをだよ……?」


 俺に対してはほぼ常時傍若無人な振る舞いばかりするあのギャルが何度も謝ってくることが逆に恐ろしい。そして同時に、俺の心拍数がが急激に上がっていく。本日二度目の〝嫌な予感〟。


『あの子……桃華ももかさ――』

「――ッ!」


 その瞬間に、俺は金山がなにを言いたいのかを察していたように思う。時間の流れが急激に遅くなったかのように脳ミソがフル回転して、それより先を聞くなと、聞いてはならないと最大の警告音を発した。

 下顎したあごが震え、カチカチと歯と歯がぶつかる音が聞こえる。渇いた喉から、彼女の言葉を遮らんとする呻き声が漏れ出そうとする。

 それらすべての自己防衛本能が働くよりも一瞬早く、金山は彼女らしくもなく覇気の抜けたような声色で、それなのに脳髄のうずいまで響くようなハッキリとした音で――言った。


『――明日、久世くせに告白するって』

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