第二〇六編 亀裂

「もしかして……未来みくの家に行っていたのかい?」

「(ば、バレたぁっ!?)」


 真太郎しんたろうの問い掛けに、俺は心の中でかなり焦っていた。

 いや、七海ななみの家の近くで俺がうろついている理由なんてそれくらいしか思いつかないだろうからそりゃバレるだろうけども。だがせめて、せめてこのタイミングで聞くのだけはやめてほしかった。


 何故なら俺はまだ七海妹から聞いた話――このイケメン野郎が実は七海未来に惚れていたという事実を、自分の中で消化しきれていないのだ。

 ここから桃華ももかのために動くにはどうすればいいかとか、そもそも真太郎コイツの気持ちについて俺は気付いてないフリをした方がいいのかとか、色々と整理がついていなさすぎる。


「……お、おう……まあ、そうだな」

「! そ、そうなんだ……」

「(分かりやすっ!?)」


 コイツ分かりやす!? 露骨に落ち込んでやがるんだけど!? マジかよ、俺今までこんなに分かりやすい奴の気持ちに気付いてなかったの!?


「い、いやいやでもそういうんじゃないぞ!? 七海に会いに行ったとかそういう訳じゃなくてだな!?」

「だ、大丈夫だよ小野おのくん。うん分かってる……もう全部分かってるから……」

「いやその割に俺の二人称が前のに戻っちゃってるじゃねえか!」

「言い訳なんてしなくても、僕は二人のこと応援する心構えは出来てるからね……」

「だから違うって言ってんだろうが!」


 なんで俺と七海がデキてるみたいになってんだ! というかコイツ、以前から妙に俺と七海の関係を疑ってる素振りを見せてたけど、その原因も今日やっと理解できたわ!


「……美紗みさちゃん、美紗ちゃんだよ。俺が用があったのは七海じゃなくて七海妹の方!」

「え……み、美紗……? ……つまり悠真ゆうまが好きなのは未来じゃなくて美紗だということ……?」

「どんだけ俺と七海家を結びつけたがるんだお前は! 頼むからこれ以上話をややこしくしないでくれ!? 大体誰があんな生意気中学生なんかのことを!」


 我ながらツンデレみたいな台詞を吐いてしまったが、素直なイケメン野郎は「そ、そうなんだね」とちゃんと額面通りに言葉を受け止めてくれた。……それが出来るなら俺と七海のこともいい加減疑わないでほしいものなのだが。


「でも、それじゃあ美紗に一体なんの用事があったんだい? というか君たちってそんなに仲良かったっけ……?」

「え!? なな、仲良いようん!? き、今日だってバイト帰りにバッタリ会ったところを向こうから『ご機嫌よう』って話し掛けて貰ったくらいだからな!?」

「え……な、なにその英国マダムみたいな挨拶……」

「い、いいだろ別に! 俺も七海妹も四捨五入すれば英国マダムみたいなもんなんだから!」

「どの辺りが!? 美紗はまだしも、悠真は性別からなにから全部真逆じゃないか!?」

「どういう意味だよ!」


 英国マダムに憧れなどまったくないが、七海妹は「まだしも」で許されるのに俺は許されないというのは腹立たしい。あの中学生の今日の第一声「げっ」だったぞ。「ご機嫌よう」と対局なのはむしろあっちじゃないか。


「つ、つまり、自称英国マダムの二人は街でたまたま出会って、未来の家でお茶会をしていたとか、そういうことかい……?」

「……ああ、もうそういうことでいいよ」


 現実との乖離も甚だしいが、だからといって「真太郎きみが七海未来のことを好きかどうか聞いてました」なんて言えるはずもない。それなら似非エセ英国マダムにされた方がまだマシだ。

 どうでもいいことで体力を使った俺が、脳内でフリフリの高級ドレスを身に纏っている自分と七海妹が仲良く紅茶を飲みながら「うふふ」と優雅に笑い合っている姿を想像して思わず吐きそうになっていると、真太郎が短く安堵の息をついた。


「――そうか、そうなんだね……よかった……」

「…………」


 よかった……か。

 どうやら真太郎は、本気で今でも七海未来のことが好きらしい。それが手に取るように分かってしまうような一言だった。本当に分かりやすい奴だ。いや、自分の気持ちに嘘がつけない奴、と言うべきか。


 すると彼はハッとしたように赤面して「い、いや、別に他意はないんだけれどね!?」と慌てたように両手をバタバタと振るい――しかしその動作を途中でピタリと止めた。

 俺が不思議に思って首を傾けると、わずかに俯いた彼は本当に小さな声で呟いた。


「……こんなことじゃ、駄目だよね……」

「? な、なにがだ?」


 なんだか嫌な予感がして、俺は自然と背筋を伸ばした。


「君のことを、友だちを疑うようなことを言って……そのくせ自分はなにも出来ないまま、しないままだ……。遊園地の時それを思い知ったはずなのに、僕はまた同じ事を繰り返そうとしている……」


 ブツブツとよく分からないことを言う真太郎。その表情は暗く、瞳の奥には強い悔恨の色が覗いていた。


「……今のままじゃ駄目なんだ。どこまで行っても君に――悠真に追いつけない……彼女に認められる僕に、なれるはずがない」

「お、おい……真太郎……?」


 いつもとはまるで違う雰囲気の彼に俺が呼び掛けると、彼はキッ、と強い決意を秘めた瞳で俺のことを真っ直ぐに見つめてくる。


「――悠真。今から少しだけ……ほんの少しだけいい。時間を貰ってもいいかい?」

「お……おう……?」


 そんな彼に気圧けおされたように、俺は小さく頷いて返すことしか出来ない。

 背中に、冷たい汗が流れる感覚が伝わってきた。

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