第一九八編 ワガママ



「ありがとうございましたー、またお越しくださいませー」


 昨日一日中遊園地を満喫した俺は、残り少ない試験休みをいつも通り〝甘色あまいろ〟のアルバイトで消化させていた。

 友達が少ない俺は普段からあんな風に遊園地を歩き回るような機会もなく、加えて日頃の運動不足も相まって微妙に疲労が残っている。もっとも、一番疲れているのは立ちっぱなしだった足ではなく、叫びっぱなしだった喉の方なのだが。

 そんな疲れた身体に鞭を打ち、ようやく本日の営業もあと数分で終了だというタイミングで、店内に残っていた最後の客がレジスター前に立つ俺の元へ伝票を差し出してきた。


「えーっと、四八〇〇円になります。……相変わらず一人でよくこんなに食うな、お前は」

「……あら、売り上げに貢献してあげているのだから感謝して欲しいところなのだけれど?」

「ヘイヘイ、毎度ありでーす」


 そう言って〝七番さん〟こと七番テーブルの甘味暴食系お嬢様・七海未来ななみみくからクレジットカードを受け取る俺。……毎度のことながら、このお嬢様が持ち歩いているカード一枚に一体どれだけの金が入っているのかと考えると変に緊張してしまうので、なるべく手早く会計を済ませる。

 そして領収書を彼女に返したその時、厨房の方からガッシャーン、という大きな音が聞こえてきた。


「だ、大丈夫、ももっち!? 怪我してない!?」

「すっ、すみません小春こはるさん! す、すぐ片付けます!」

「あー、手で触っちゃダメだよ危ないから! 久世くせちゃーん、軍手と新聞紙持ってきてくれるー!?」

「はい!」


「……騒々しいわね」

「す、すまん」


 両の瞳を閉じて息をつくお嬢様に、俺は謝りながらも苦笑する。


桃華ももかのやつ、今日はなんか調子悪いみたいなんだよな。普通に昨日の疲れが出てんのか、それともまた真太郎しんたろうのこと意識しすぎてんのかは分からんけど」

「……〝真太郎しんたろう〟?」


 俺の呼称に怪訝けげんそうな顔をしたお嬢様に、俺は「ああ」と頷いて昨日の帰りにあった出来事――つまり俺たち三人が互いに名前で呼び合うことになったことを説明する。


「昨日はそんなでもなかったんだけど、やっぱり好きなやつをいきなり名前で呼ぶってなったら緊張もするだろ? だから今日は調子悪いんじゃないかってな」

「そう……」


 興味なさげに相槌を打った七海は、変わらず感情の読めない声で「良かったじゃない」と続ける。


「貴方の狙った展開ではなかったようだけれど、それでもあの二人の距離が縮まったのなら」

「だな。いつまでも久世くん久世くん呼んでるよかずっといい。……流石にまだ慣れねえみたいだけど」


 実際、久世からあんなことを言い出したというのは、彼が桃華――とついでに俺――のことを大切に思っていることの証明だろう。

 昨日の二人の様子からしてまだ告白に至るほどのレベルではなさそうではあるが、しかしこの調子なら二年生に上がってからの行動次第では十分勝機があるような気がする。


「まあ真太郎の恋愛観を含めてまだまだ未解決の問題は残ってるんだが……それでも桃華の恋が上手くいく可能性は、俺が思ってるより高いのかもしれないな」

「…………」

「……? なんだよ?」

「……いえ、別に」


 なにか言いたげな目をしていた七海に問うと、彼女はふい、と視線を逸らし、「……貴方がそれでいいのなら構わないわ」とよく分からないことを呟いた。

 俺はそんな七海に首を傾げつつ、「そういえば」とあれから気になっていたことを言ってみる。


「久――じゃない、真太郎のやつあれからヘコんでたぞ。お前に拒否られたせいで」

「私を悪者扱いしないで貰えるかしら。彼に名を呼ばれるだけでも目立つのに、私まで名前で呼んだりしたら余計な注目を浴びるのは目に見えているでしょう」

「まあそりゃそうだろうけどな。……でも真太郎と仲良さげに振る舞っておけば、案外他の男子から色目使われることはなくなるんじゃねえか? 流石にあいつを敵に回して勝てると思う奴なんかいないだろ」

「実体験なだけあって、やけに説得力があるわね」

「やかましいわ」


 確かにそうだけども。桃華が惚れたのが真太郎アイツだと知って割とすぐに自分の恋を諦めた男がここにいるけども。


「だけど、仮にそれで異性の目が減ったとしても、同性に目のかたきにされるのなら結果は変わらないわ。鬱陶しい視線を向けられるのは同じだもの」

「あー……それもそうか。」


 真太郎と桃華のクリスマスデートの件が露見しかけた時のことを思い返す。デート一回であんな騒ぎになるくらいだ、七海ほど目立つ女が真太郎と親密そうにしていたら彼を想う女子生徒たちが大騒ぎすることは目に見えている。……ついでに言えば真太郎の方も七海のことが好きな男子生徒たちから睨まれてしまいそうだが。美男美女過ぎるというのも考えものである。


「……帰るわ」

「おう、またな」


 淡々とした挨拶を交わしてお嬢様を見送ってから、俺は厨房で皿の破片を拾い上げては新聞紙に乗せていく真太郎と桃華の方を見る。

 七海はともかく、真太郎と桃華は今回でまた一歩前進したと言えるだろう。しかし依然として彼らの関係性は友だちのそれだ。今後のことを見据えて、また色々と策を練っていかねばなるまい。


「(……でも……もうしばらくは仲の良い、今のままのこいつらを見ていたいな)」


 それは俺のワガママというものだが……でもいつか桃華が真太郎に告白する時が来たら、きっと俺たちは今のままの関係ではいられなくなるから。

 だからせめてもう少しくらい、友人として笑みを交わし合える彼らで――いやでいたい。


 これくらいのワガママは、許されたっていいんじゃないだろうか。

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