第一九六編 不明瞭な敵意



「じゃあまたね、悠真ゆうま!」

「おー」


 バス停の前で真太郎しんたろうと、そして自宅のすぐ近くで悠真と別れ、桃華ももかは暗い夜道を歩いていた。

 こんな時間にジャンボシュークリームを食べてしまったこともあり、なんとなく大きく手足を振るう。ほんの少しでも消費カロリーが増えてくれれば僥倖ぎょうこうだ。

 とはいえ所詮は幼馴染みの家から自分の家までのほんのわずかな距離。こんなウォーキングとも言えないもので、あのカロリー爆弾のもたらした被害を修復出来るはずもない。仕方がないので今日は半身浴の時間を長くとろうか……などと考えていると、自宅の前になにやら場違いな高級車が停まっているのが見えた。


「――帰ってきましたか」

「み……美紗みさちゃん!?」


 そこに立っていたのは、今日まさに桃華と遊園地へ行ったお嬢様・七海未来ななみみくの妹――七海美紗みさ。以前七海邸に勉強会をしに行った際に出会った可愛らしい少女だ。そして来年度より、桃華たちの後輩となることが決まっている。

 突然現れた可愛い後輩に、桃華は小走りで駆け寄りながら話し掛けた。


「どうしたの美紗ちゃん、こんな時間にこんなところで!?」

「……」


 しかし美紗はそれには答えず、どこかで見覚えのある冷たい瞳で桃華のことを真っ直ぐに見据えている。

 そこにあるのは敵意や軽蔑にも似た色。桃華から見れば、一部の例外を除き〝礼儀正しい〟というイメージが強い彼女とはとても思えないほどだった。

 思わず息を飲んだ桃華に、少女は小さな声で呟く。


「……心底、見損ないました」

「えっ……」


 ナイフのような切れ味の一言に硬直する。


「……臆病な人だとは思っていましたが……それでも同じく恋をする者として、最低限の良心くらいは持ち合わせていると思っていました。少なくとも真太郎さんを傷付けるような人ではないと――信じていました」

「な、なにを……」

「けれど、そうじゃなかった。私はまた見誤ったんですね、あなたという人間のことを……お姉ちゃんと小野おのさんのために動いたと聞いた時、少しでもあなたを見直した自分が恥ずかしい」


 冷えきった夜風が、美紗のコートの裾をなびかせた。

 彼女の言っている意味が理解できない。だが、彼女が桃華に対して強い怒りを覚えていることだけは分かる。

 凍えきった怒気を浴びせられながら、未だ困惑を隠せない桃華はごくりと唾を飲み込んだ。緊張のせいか、喉が渇ききっている。


「ど……どういうこと、美紗ちゃん? わ、私、なにかあなたを怒らせちゃうようなことをしちゃったかな?」

「しらばっくれるのも大概にしてください。あなたの言葉に信用はありません。臆病者はすぐに卑怯な真似をしますから。初めて会った日も――

「……!? ま、待ってよ、本当になにを言っているの!?」


 混乱のあまり声が大きくなった桃華に、美紗は「まだしらばっくれるつもりですか」と怒り半分、呆れ半分の目でこちらを睨んだ。


「……あなたは知っていたんでしょう、真太郎さんとお姉ちゃんのことを。知った上で今日、真太郎さんをそそのかしたんでしょう――

「!?」


 唆した? 桃華じぶんが、真太郎を?


「確かに真太郎さんは、過去のお姉ちゃんにとらわれているのかもしれません。けれど……それは真太郎さんを真太郎さん足らしめた、とても大切な想いなんです! いくら自分の恋のためだからって――外野わたしたちが手を出していいようなものじゃない!」


 語気を強めた美紗に、桃華は得られた断片的な情報をかき集めて懸命に考えるが――やはり要領を得ない。「唆した」とは一体どういうことか、「自分の恋のため」とはどういうことか、さっぱり分からなかった。

 今日の真太郎と未来に関することと言えば、遊園地を出る直前の一幕が真っ先に思い浮かぶが……いや、そもそもどうして彼女がそんなことを知っている? 未来から諸々もろもろの話を聞いてきた……というのは流石にあり得ないだろう。もしそうだとしたら、いくらコンビニに寄ったとはいえ桃華よりも早くここに到着できるはずがない。

 思考を巡らせる桃華に、一度大きく息を吐き出した美紗が続ける。


「……桐山きりやま先輩。あなた、本当に真太郎さんのことが好きなんですか?」

「ッ!? なっ――」


 なんでそれを、と反射的に誤魔化してしまいそうになった桃華は、しかし美紗の真剣な瞳に射抜かれたことで、それをぐっと堪えて静かに頷いた。


「……うん。私は――ううん、私……真太郎くんのことが好き」

「……〝真太郎くん〟?」


 つい先ほど変わったその呼び名に美紗がピクッ、と右眉をひくつかせる反応を見せたが、彼女は一先ずそのことについて言及はせず、代わりにフン、と鼻を鳴らす。


「流石に以前ほどなままではいないようですね……もしここでまだはぐらかしたりするようなら、私が知り得るすべてをぶちまけてやろうかと思いましたが」


 なにやら不穏な呟きをしてから、彼女は「けれど」と桃華に向き直った。


「だからこそ……同じく真太郎さんに恋い焦がれる身でありながら、彼を唆したあなたのことは許せません。大方ああすれば、真太郎さんがお姉ちゃんのことを諦めるとでも思ったんでしょうけれど……そんなことになったら、真太郎さんがどれだけ傷付くことになるか分かっているんですか?」

「そ、それってどういう……?」

「……いえ、もういいです。私は、あなたを責めるためにここに来たわけじゃない」


 ふるふると首を振った美紗は、鋭い目付きで桃華のことを睨みながらビシッ、とその細い指を突きつけてくる。


「――桐山桃華さん。あなたは今後、もう二度と真太郎さんに近寄らないでください」

「!?」


 ――美紗の明確な敵意が具現化したかのように、冷たい夜の風が二人の間を吹き抜けていった。

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