第一九三編 久世真太郎の想い人

未来みく。少し聞きたいことがあるんだ」


 そう言って踏み出した真太郎しんたろうは、緊張したような、あるいは決意を固めたような――その両方が介在する表情をしていた。それを見た美紗みさは一瞬なんだろうと思い、そして直後、ハッとしたような顔をする。


「(し、真太郎さん……まさかお姉ちゃんに告白でもするつもりなんじゃ……!?)」


 ガーンッ、という強い衝撃が脳天に突き刺さったような心持ちで、美紗は半分以上柱の陰から飛び出しながら想い人の方を見た。

 真太郎が今も姉に――未来に想いを寄せていることは知っている。美紗はそんなことは分かった上で、それでも彼を振り向かせようとしてきた。

 姉が彼に、いや恋愛に興味がないことを知っていたから。どんなに真太郎がこいねがおうが、それは変わらないだろう。

 それは真太郎にとって不幸なことで――美紗にとっては都合の良いことだった。


「(だ……だけど……!)」


 だからといって、美紗は真太郎が未来に恋破れたことを「ラッキー」だと割り切れるような性格はしていない。たしかに真太郎が能動的に動くことによって美紗が失恋する可能性リスクがないのは好都合だが、別に恋破れて悲しむ真太郎を見たいわけでもないのだ。


 美紗の恋愛における最優先事項が自らの恋なら、次点は真太郎の幸せだ。自分の恋愛のためなら周りのライバルなどいくらでも蹴落とす。なぜなら、美紗じぶん以上に真太郎を幸せに出来る女などこの世にいないと信じているから。

 だからこそ、今の真太郎が未来を想っていたって構わない。努力して努力して……いつか姉よりも魅力的な女性になった時、必ず真太郎を振り向かせてみせる。真太郎に美紗じぶんみせる。


「(だから……だからやめてよ、真太郎さん……! そんなことしないで……! わ、私は……っ!)」


 ――私は、あなたが傷付くところなんて見たくない――


「……未来。ぼ、僕――」


「(やめて……やめてっ……!)」


「――僕のことを、昔のように名前で呼んでくれないかな!?」


「(やめっ――……え?)」


 まるで告白するかのような勢いで謎のお願いをしてのけた真太郎に、苦悶の表情を浮かべていたはずの美紗は一瞬のうちに真顔に戻った。

 ……え? 今なんて言った? と思わず己の耳を疑う。


「(き、聞き間違いかな、なんか覚悟を決めたようなカッコイイ顔で、すごい可愛いお願いをしたような気がしたんだけど……)」


「昔みたいに、名前で呼んで欲しいんだ!」


「(聞き間違いじゃなかった! な、なんなんですかそのお願い!? それは今この場でしなくちゃならないようなことなんですか、真太郎さん!?)」


 余計な心配をしてしまった反動か、心中でツッコミを入れまくる美紗。

 見れば、なにやら真太郎の後ろで桃華ももかが「よく言った!」みたいな顔をしていた。さてはアレが原因か、と本日何度目かの歯軋はぎしりをしてしまう。

 ちなみに未来の隣でチュロスをかじっている悠真ゆうまは美紗と同じようなことを考えているのか、「なんでこのタイミングでこんなこと言い出したんだコイツは……」と言わんばかりの目で真太郎のことを見ていた。


「ど、どうかな、未来……?」

「……」


 もぐもぐとチュロスを咀嚼そしゃくしている姉に、周囲の関係者全員の視線が集まる。


「……普通に嫌だけれど」

「……」

「……」

「……」

「……。……ぶふっ」

「ゆ、悠真っ!」


 微妙な沈黙の果て、堪えきれなくなったかのように吹き出した悠真に、珍しく桃華が怒ったような声を上げる。


「い、いやスマン。笑っていい場面じゃないよな、うん。……。……フッ、ヴンッ!」

「今また笑いそうになったよね!? なんで笑ってるのさ!?」

「だ、だって! ワケ分からんタイミングでワケ分からんこと言って、しかもフツーに断られたりしたら笑うだろそんなん!?」

「笑わないよ! 久世くせくんは真剣に悩んでたんだからね!? もう、悠真のばかっ!」

「わ、悪かったって! もう笑わないから叩くな叩くな!」


 悠真はぽかぽかと殴りかかってくる桃華を制しつつ、真太郎の顔色を窺うようにそちらへ視線を向けた。釣られて美紗も、あっさりと真剣な願いを断られてしまった彼のことを見やる。


「……そ、そうだよね、嫌だよね……何を聞いてるんだろう僕は……はは……はは……」


「(びっくりするくらい落ち込んでる!)」


 そんな真太郎の様子を見て流石に笑えなくなったのだろう。悠真は彼を気遣うように隣でチュロスを頬張る未来に言う。


「ま、まあ待てよ。お、お前だって昔は久世のこと名前で呼んでたんだろ? お化け屋敷の後に言ってたじゃねえか」

「だから?」

「いや、だから名前で呼んでやるくらいのこと……ほ、ほら、人前で呼んで余計に目立つのが嫌だっていうなら、二人きりの時だけとかなら問題ないんじゃないか?」

「……どうして私がそこまでして久世くんのお願いを聞き入れる必要があるのかしら?」

「めちゃくちゃ正論だけども! お前ちょっとは丸くなったのかと思ったら、やっぱ全然変わってねえな!?」

「く、久世くん大丈夫!? 元気出して!?」

「はは……い、いいんだ桐山きりやまさん……僕はぜんぜん平気だから……」


「(ぜんぜんそうは見えない!)」


 騒がしい四人の様子に、なんとなく気の抜けた美紗は息をつく。とりあえず最悪な事態にはならなくてよかった……結局真太郎は傷付いてしまったわけだが。


「(……でも……真太郎さんはどうして突然あんなことを……)」


 かつて、姉がまだよく笑っていた頃、確かに彼女は真太郎のことを名で呼んでいたが……そんなのはもう一〇年近く前の話だ。

 もちろん真太郎がそれを気にする理由は分かるが……悠真も言った通り、タイミングが唐突すぎる。


「(……もしかして、今日のお姉ちゃんと小野さんの様子を見て――)」


 その時なにかに気付けそうだった美紗の視界に、何者かの影が覆い被さってきた。


「ねえ、美紗ちゃん」

「うぎゃあああああっっっ!?」

「おっと、静かに」


 身を隠していることも忘れて叫んだ美紗の口を、現れた人影――金山かねやまやよいの手が塞ぐ。

 チラリと横目で窺うと、幸いにも周囲や上空を駆け回るジェットコースターから聞こえる悲鳴に紛れ、彼らに気付かれはしなかったようだ。


「お、驚かさないでくださいよ、金山さん!? まだ帰ってなかったんですか、というかなんの用ですか!?」

「ごめんごめん。……一つ、確認させてほしいことが出来たんだ」

「は?」


 同じく真太郎や桃華の方へ視線を飛ばしたギャルは――確信ありげな声で問うてくる。


「――久世真太郎の想い人は、七海ななみ未来で間違いない?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る