第一九二編 対極



悠真ゆうま七海ななみさん、お待たせー!」

「おー」


 観覧車から降りてきたらしい桃華ももか真太郎しんたろうが、ベンチでチュロスを食べている未来みくと悠真のを見て、今日一日でジェットコースターの柱の陰が定位置になりつつある少女――七海美紗みさはギリリ、と親指の爪を噛んでいた。


「(ぐぎぎ……! どうして桐山きりやま先輩と真太郎さんが二人っきりで観覧車に乗っちゃってんのよ……!)」


 四人で遊園地で遊ぶだけなら大人の余裕――実際は年下だが――を見せられた彼女だったが、男女二人であんな狭いゴンドラに二人きりだなんてねたましい。ましてやここの観覧車には恋愛的なジンクスまであるというのだから嫉妬心も一入ひとしおである。

 特に美紗は寸刻前にとあるギャルに騙されて……はいないが、のせいでショックを受けたばかり。八つ当たりに近いイライラが負の相乗効果を生み出してしまっていた。


「ごめんね、二人とも。僕たちだけで……」

「い、いや気にすんなよ。そもそも俺に関しちゃ自分でパスくしただけだしな。それに七海コイツも『見下すより見下される方が好き』らしいから」

「え゛っ」

「人をマゾヒストみたいに言わないで貰えるかしら」


「(そうよ! それもこれも全部小野おのさんのせいよ! 意外と大人しいと思ってたらこれなんだから!? お姉ちゃんもお姉ちゃんだけど!)」


 未来のコートに仕込んである盗聴器から数分前に二人が交わしていた会話を聞いていた美紗はギロッとした視線を少年に向ける。


「?」

「どうかした、悠真?」

「い、いや……なんかどこかから殺気を感じたような気がして」

「え、なにそれ格好いい」


 キョロキョロと周囲を見回す悠真に、危うく柱の陰に身を隠した美紗はホッと息をつく。

 実際は彼には既に美紗が遊園地ここにいることがバレているので構わないのだが、だからといって真太郎や桃華の前に姿を現すのは御免だ。今日の美紗はあくまでも未来あねのお目付け役なのに、ここで出ていったら真太郎のストーカーかなにかだと思われかねない。……ちなみに彼女には、過去に自分がやって来たことがストーカーじみた行為であるという自覚はなかった。


『――美紗お嬢様』

「! どうしたの、本郷ほんごう


 不意に無線イヤフォンから警邏けいらを命じたボディーガードの声が聞こえてきた。


『閉園時間も近付いておりますので、以降周辺警戒は代理の者に引き継がせていただきます』

「ええ、分かったわ。服部はっとりにも伝えておいてくれる?」

『はい、かしこまりました。失礼致します』


 本郷は表向きには未来たち四人の送迎役としてここに来ているので、美紗が頼んだ仕事に従事できるのはここまでだ。といっても彼らが遊園地を出る時点で美紗たちも同じく引き払うことになるのだが。


「(……お姉ちゃんも楽しめたみたいね……いつもよりよく笑ってたし、わたしにも滅多に見せないような顔をしてた……)」


 日頃から人間関係以外は完璧な姉があんな風に怖がったり強がりを言ったりするのは本当に珍しい。それを引き出したのがじぶんではなくあの男だということがまた悔しくて――それ以上に嬉しかった。


「(……真太郎さんと桐山先輩のことがなければ、私も……)」


 ――もっと素直に、彼のことを認められていたんだろうな。


「(……ま、まあ関係ないけどね! お姉ちゃんの友だちだからって、私の恋を邪魔するなら敵よ敵、うん!)」


 美紗にとっての最優先事項は己の恋。それはなにも変わらない。

 こと恋愛において勝者以外は等しく敗者だということも、故に勝者になりたくば利己的であらざるを得ないということも。

 正しく恋をする者は、周りをかえりみてはならない。〝身を引く〟ことも〝譲る〟こともしてはならない。それらが如何に美しく映ろうとも。

 惚れた相手を他の誰よりも幸せに出来るのは自分だと確信していればそんな考えは起こらないはずだ。の誰かのために〝失恋〟するなどあり得ない。


「(――そんなの、自分に自信がないというだけのことよ)」


 小野悠真は、二人きりで観覧車に乗った真太郎と桃華のことをどう思ったのだろうか。

 少なくとも彼に後悔の色は見えない。上手く隠しているだけか、それともとっくに吹っ切れているのかは分からないが。


「(……あの人が桐山先輩と結ばれたいと願うなら、協力してあげないでもなかったのに、ね)」


 それは美紗じぶんの恋にとっても都合のいいことなのだから。


「(……つくづく馬鹿な人だわ。そんな馬鹿な真似をしてさえいなければ、あなたが幸せを勝ち取る未来みらいだってあったかもしれないのに)」


 実際には、それは前提条件をたがえている。彼がああいう馬鹿な人間だったからこそ、姉や美紗じぶんは彼と知り合えたのだから。もし仮に彼が桃華に恋をし続けていたとしても、美紗がそのことに気付くことはきっとなかっただろう。気付いたところで、わざわざ悠真と桃華をくっつけてやろうなんて思いもしなかったはずだ。

 美紗が今、多少なりとも小野悠真という男を評価している理由の一切は、彼がそんな〝馬鹿な真似〟をするような人間であったことに起因する。

 真太郎と友情を育み、あの姉に認められ――自ら〝敗者〟となることを選んだ愚者。利己的な美紗じぶんとは対極の存在。


「(……本当、あんな馬鹿な人、そうそう居ないよ)」


 言葉の割には穏やかな表情で、美紗がそんなことを考えていたその時だった。


「あ――あの、未来みく。少し聞きたいことがあるんだ」


 ――桃華と並び立っていた真太郎が、一歩前に踏み出したのは。

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