第一九一編 〝普通〟の景色



 観覧車の待機列から逃げ出すように飛び出した俺は、園内の大通りから少し外れたところにある植込みの段差部分に腰掛けていた。とはいえ腐っても遊園地の園内なので、人通りはそれなりにあるのだが。

 そしてそんな俺に、呆れ顔のお嬢様が胸の下で腕組みをしながらこちらを見下ろしてくる。


「……あの二人を二人きりにしたかったのなら、最初からそうだと言っておいて貰えないかしら」

「……スミマセンデシタ」


 どうやら彼女は怒っているわけではなさそうだが、その完全な正論を浴びせかけられて俺は微妙なカタコトで謝りつつ軽く頭を下げる。

 というのも俺は、桃華ももか久世くせを二人きりで観覧車に乗せたい、という願望を七海ななみには一切話していなかったからだ。彼女が俺の考えを読み取り、機転をかせてくれていなかったら……今頃桃華、久世、そして七海という気まずすぎる面子メンツで一〇分以上観覧車に揺られていたことだろう。地獄である。


「どうしてあらかじめ話しておかなかったの? いつもの貴方ならそうしているところでしょう」

「い、いやその……お前に負担を掛けたくなかったって言いますか、これくらいなら俺一人でも上手くやれると思ったと言いますか……」

「……その結果こうなるくらいなら、最初から打ち合わせておいて貰った方がよほど楽なのだけれど」

「……スミマセンデシタ」


 再び謝罪すると、寛大なお嬢様は「もういいわ」と瞳を閉じてくださった。お返しとばかりに「あっ、お座りになられますか」と座っている石段をけようとするも、汚い石段に座るのが嫌なのか、彼女は黙ったまま首を横に振った。


「……私に話さなかったのは」

「?」


 心なしか気を遣ったような口調で、七海が聞いてくる。


「もう私が、貴方と〝契約〟関係ではなくなったからかしら?」

「えっ……いや別に――」


 そういうわけじゃ、と続けようとした俺の言葉は、しかし彼女の声に遮られてしまう。


「言ったはずよ。私が貴方に協力しないのは、貴方がなにか無茶な真似をしようとしている時だけ。……これくらいのことなら、言ってくれればちゃんと協力してあげるわよ……」


 最後の方はボソボソと聞き取りづらい声量だったが、それを聞いて俺はフッ、と小さく笑ってしまう。こいつも随分丸くなったもんだな……依然として刺々しさを感じる場面も多々あるが。


「……悪い。でも今回は本当に俺だけでなんとかなると思ったんだよなぁ」

「そろそろ自己評価を改めなさい。貴方は自分で思っているよりずっと馬鹿なのだから」

「ドストレートになんつーこと言ってくれてんの!?」


 びっくりするわ。一瞬デレたようなこと言った直後にコレ? 落差ありすぎかよ。


「貴方が人より優れている部分は一途に誰かを想えるところと一度決めたことを曲げないところ……そして一つのことに一生懸命になれるところ」

「褒め殺しのように見せかけて全部似たようなもんじゃねえか! もうちょっと他になかったのかよ!?」

「逆に人より劣る部分は頭と口が悪いところと後先考えずに突っ込む癖があるところ、他人のことを考えすぎて自分を疎かにしがちなところ、私の意見アドバイスを素直に聞き入れないところ。それから行動を計画する段階で失敗した場合の算段を立てておかないところとそれ故に失敗で生まれる危険性リスクを考慮しないことが多いところ、喫茶店で私への接客態度が日に日に雑になっているところ、お昼に頬をつねられたのが痛かったところ、あとは――」

「そっちは滝のように出てくんのかいっ! しかも後半全部お前の個人的な文句クレームじゃねえか!」


 前言撤回、こいつ全然丸くなんてなってねえ。むしろ以前より刺々しさが増しているような気さえしてきた。


「……とにかく、私に協力してほしいことがあるならちゃんと相談しなさい」

「ヘイヘイ、ご迷惑をお掛けしましたー」


 不貞腐れてそっぽを向く俺に、七海が小さく笑みを浮かべた。……それを綺麗だと思ってしまう自分が居ることが、なんだか無性に腹立たしい。


「……そういえばまだ聞いていなかったけれど、小野おのくん。貴方どうして突然遊園地に行きたいだなんて言い出したの?」

「あ? あー……そんな大した理由でもねえんだけどさ」


 ポリポリと頬を掻き、答える。


「一つ目は桃華と久世の距離をもっと縮めさせたかったってこと。二つ目は――こっちは高望みすぎるかもしれないけど、久世に桃華を異性おんなとして意識させたかったってこと」

「……? 観覧車で二人きりにさせたのが二つ目の理由によるものだというのは分かるけれど……一つ目は既に十分ではないの? 今日一日、あの二人は仲良さげにしていたと思うけれど」

「いや、距離っつっても〝関係性〟みたいな意味だけじゃなくてこう――物理的な意味を含むっていうか……」

「物理……? 手を繋いだり、腕を組んだりということ?」

「うん、まあそんなところだ。特にこの遊園地は絶叫系で有名だし、お化け屋敷もすげえ怖いって聞いてたから好都合……だと思ってたんだよな、最初のジェットコースターまでは」

「……ああ、そういうことね……」


 スッ……と揃って遠い目をする俺と七海。

 怖がる桃華を余裕綽々な久世がフォローし、そして桃華が思わず手を握ったりしてしまったりすることで久世に「桐山きりやまさんも女の子なんだな……」と意識させる――というのが当初の俺の想定だったわけだが……。


「現実は、そんな甘くなかったもんな……桃華、めっちゃ男らしかったもんな……」

「……むしろ久世くんの方がよほど怖がっていたものね」

「まあそういうわけで、一つ目と二つ目の目的は割と序盤でこりゃ無理だと悟ってたんだよな。観覧車に二人で乗せられただけ良かったけどさ」

「……そう」

「つっても、初めからそこまで上手くいくなんて考えてなかったけどさ。今まで俺が考えた通りに物事が進んだ試しがねえし」

「だから言ったでしょう。次からは計画段階で失敗した場合のリカバリー方法まで考えておきなさい」


 七海の言葉に俺は「そうだな」と苦笑しつつ、肉眼では動いているかどうかすら分かりづらいほどゆっくりと回る大観覧車を見上げた。

 流石にゴンドラの中に誰が乗っているのかまでは見えないが、あの中のどれかに桃華と久世がいるはずだ。漫画とかだったらこういうタイミングで停電が起きたりして観覧車の中に二人が閉じ込められ、吊り橋効果やらなんやらで恋に発展したりするのだろうが……それは高望みを通り越して妄想の類いだ。それにもし現実でそんなことになれば、最悪の場合営業停止とかになるんじゃなかろうか。

 やはり二人きりで乗せてやれただけで満足するべきである。


「――綺麗ね」

「!」


 ぽつり、と。空に浮かんでいるかのような大車輪を見上げながらお嬢様がらしくもないことをお呟きになられたので、俺は目を丸くし、そして遅れて両手を合わせた。


「え……わ、悪い。もしかしてお前も観覧車に乗りたかったのか? だとしたら――」

「そうじゃないわ。私は夜景なんて興味ないもの」

「あ……そう、なの?」

「ええ」


 たぶん間抜けな顔をしている俺を見て微笑してから、七海はもう一度観覧車を見上げる。


「……高いところからすべてを見渡せる〝特別〟な景色なんて私は要らない。私にはこうして当たり前に――〝普通〟に見られる景色の方が、よほど綺麗に映るわ」

「……。……そっか」

「ええ」


 珍しく爛とした瞳をしているお嬢様にバレないよう、俺は静かに笑みを浮かべる。

 ――だとしたら三つ目の――は、達成できたと言ってもいいのかもしれない。


「……二人が降りてくるまでまだ時間あるな。売店の食いもんでも買いに行くか?」

「スーパーデンジャラ――」

「それはもういいっつの。もっと普通のにしときなさい」

「……じゃあ〝チュロス〟というのを食べてみたいわ」

「はいよ」


 世間知らずなお嬢様を連れて、夜の遊園地をく。

 ……桃華は上手くやっているだろうか。今はそれだけが心配だった。

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