第一八八編 過去、現在、未来⑤

「でも、ちょっとだけ安心したよ」

「?」


 もうすぐ観覧車も頂上にさしかかる中で、桃華ももか真太郎しんたろうのことを見て言った。


「やっぱり久世くせくんでも、人間関係に悩んだりするんだなって思って」

「え……ま、周りからは僕って、そんな無神経な人間に見えているのかい……?」

「い、いやそういう意味じゃなくてね!?」


 先ほどまでの暗い雰囲気が再燃しそうになる真太郎に、桃華は慌てて言葉を補完する。


「……初めて久世くんを見たとき、私はすごい人だと思ったんだ。勉強も運動も出来て……その、女の子にもすごく人気があって。私みたいな普通の人間とは〝違う世界の人〟なんだなって」

「……!」


 それはしくも、かつての真太郎が未来みくに抱いていたものと同じ感想だった。


「だから最初、〝甘色あまいろ〟にお客さんとして行った時はめちゃくちゃ緊張してたんだよね。……ううん、去年のクリスマスくらいまでずっと緊張してたかも……」

「ああ……そういえば、あの頃の桐山きりやまさんはなにかと挙動不審だったね」

「や、やっぱり挙動不審と思われてたんだ!? うああ……し、死にたい……!」


 頭を抱えて身悶える桃華のことを、柔らかく微笑みながら見つめる。敢えてフォローの言葉は使わない。先ほどの彼女に対する意趣返しというつもりでもないが。


「……でもね」


 しばらく悶えてから、身体を起こした桃華はなにやら懐かしむような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべた。


「クリスマスの日――久世くんが私と悠真ゆうまのことを『大切な仲間』だって言ってくれて、色んな思いを話してくれて――ああ、私は久世くんに〝仲間〟だと思って貰えてるんだなって思ったよ」

「……そんなの当たり前じゃないか。僕にとって桐山さんと小野おのくんは、本当に大切な人達なんだから」

「ふふ、ありがとう。私も――それに悠真も、きっと皆考えてることは同じだったよね。……まあ私たちはお揃いのマグカップとスプーンを用意してたのに、悠真はなにも用意してなかったけど」

「ま、まだ根に持ってたんだね……」


 分かりやすく頬を膨らませてぶー垂れる桃華に苦笑すると、彼女も「そりゃそうだよー」とクスクス笑う。

 そして桃華は話を戻すように、温かくも真剣な瞳を真太郎に向けた。


「だけどやっぱりそんなのことが分かったのは、久世くんがあの日、ちゃんと言葉にしてくれたからだよ」

「!」

「私たちは〝甘色あまいろ〟の大切な仲間で、友だちなんだって。そう思ってるのは私だけでも、久世くんだけでも、もちろん悠真だけでもなくて、皆なんだって分かったのは、久世くんがハッキリ言ってくれたからなんだよ」


 ――いつの間にか、夜空を覆う雲は消え去っていた。

 ガラス張りの天蓋てんがいから降り注ぐ月光が、今この瞬間、この遊園地において、他の誰よりも高い場所にいる二人のことを優しく照らす。


「……私の中で、久世くんが〝違う世界の人〟じゃなくなったのはあの日から。久世くんがきっと真剣に悩んで、考えて、私に話してくれたから、私は久世くんもなんだって思った。それって簡単に見えるけどすっごく大切で――そして〝勇気〟の要ることなんだろうなって」

「……!」


 桃華は、穏やかな笑みを浮かべていた。

 今日一日、誰よりもはしゃいでいた彼女と同一人物だとは思えないくらい穏やかで――大人びていて。

 どこか彼女のことを子どもっぽいところがある人だと感じていた真太郎は、知らず知らずのうちに息を呑む。


「久世くんはさっき自分のことを『意気地いくじ無し』だなんて言ったけれど、私はそうは思わない」


 ――再び、重なる。まるで手のかかる弟をさとす姉のように優しげな瞳をする目の前の少女とが。


「大切な思いを――想いを口にするのが怖いなんて普通のことだよ。私だって、怖い。誰かに想いを告げてそれが受け入れられなかったらと思うと……怖い。すごく、怖いよ」

「桐山さん……」


 まるで自分のことのように真剣な声で呟く彼女は、「だけどね」と言葉を紡ぐ。


「久世くんは私と違って意気地無しなんかじゃない。だって久世くんは、私に真っ直ぐな言葉を伝えてくれたんだから。七海ななみさんとのことだって、きっとを踏み出せるかどうかなんだよ」

「……あと――」


 ――たったの、一歩を。

 それは簡単そうに聞こえて――けれど実はとても困難なことで。

 桃華はそんなことは分かった上でそう言ったのだろう。

 彼女は言っている。簡単そうで困難な「あと一歩」を。


 ――真太郎なら踏み出せるのだと言っている。


「……僕は、知りたい。未来みくが僕のことをどう思っているのか。変わってしまった過去の未来みくにじゃなく――現在いま未来みくに」


 瞳を伏せれば、眼下にきらめく夜の遊園地をく人々が映る。

 あの群れの中に、きっと彼女は居ないだろう。人混みが嫌いな彼女は今頃、悠真と二人で居るはずだから。

 彼への敗北感も、そして恐怖も。何一つとして消えたわけではない。今なお怖い。むしろ今の方が、先ほどまでよりもずっと怖いくらいだ。


 問えば、きっと彼女は答えてくれる。淡々と、なんの感情も見えない能面のような表情のまま。たとえそれが真太郎にとって残酷極まりない〝答え〟だとしても。

 それを知るのは怖い。情けなくも、目を背けたくなる。今までのように、自分の心さえはぐらかしたままでいたいと思ってしまう。

 けれど――かつての彼女に重なる目の前の少女にこんな風に背中を押されて、それでもまだ逃げられるだろうか。

 そんなことでは、記憶の中の美しい少女にさえ笑われてしまうのではないだろうか。


「(――それは、もっと怖いな)」


 桃華はああ言ったが、やはり真太郎じぶんは意気地無しだと思う。

 意気地無しで、臆病者だ。怖いものから顔を背け、逃げ回るばかりの臆病者。

 だから――から逃げよう。たとえ二番目、三番目に怖いものを突き飛ばしてでも。


 ――かつて太陽のように笑った彼女にのは、なによりも怖いから。

 自分が惚れた記憶の中の少女の前でだけは、精一杯胸を張れるような自分で居たいから。


「――ありがとう、桐山さん」


 いつの間にか、胸に突き刺さっていた杭は消えていて――真太郎は笑う。


――踏み出してみるよ」

「――うんっ!」


 明るく、それこそ太陽のような笑顔を見せた桃華は、「じゃあその前にちゃんと夜景撮っていかないとね!」と携帯電話のカメラを構えた。

 見れば観覧車は下りに入っていて、そしてそういえば悠真が夜景を見たがっていたことを思い出す。


「ほら久世くん、早く早く! ただでさえ一番良い景色撮れなかったんだから、このままじゃ悠真に怒られちゃうよ!」

「……ふふっ、そうだね。それはたしかにすごく怖いや」


 未来みくを除けば一番くらいに、と思いながら、真太郎は静かにシャッターを切った。

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