第一八七編 過去、現在、未来④

「僕は……意気地いくじなしの、ただの臆病者だったんだ」


 月明かりの消えた観覧車の中で行われた、真太郎しんたろう懺悔ざんげじみた独白。そこまで言ってしまってから、ようやく彼は自分が如何いかにみっともないことをしているかを悟った。

 見れば桃華ももかは、真太郎のことを静かに見つめている。

 当然だ、彼女は単に真太郎の様子がおかしかったことに言及しただけ。それなのに突然こんな風に目の前で胸中を吐き出されても、なんの話をしているのかさえ分からないはずである。


「ご、ごめん。いきなり、訳が分からないよね……ちょっと疲れてるみたいだ、あはは……」


 自嘲することで少しでも空気を軽くしようと試みるが……上手く笑顔が作れない。きっと今、真太郎じぶんはとても情けない顔をしているのだろうと分かっているのに、胸に突き刺さった一本の杭が、笑って誤魔化すことを許してはくれなかった。

 そんな真太郎に、桃華は「ううん、大丈夫だよ」と首を振る。


久世くせくんは七海さんのこと、すっごく大事に思ってるんだね」

「え……?」


 柔らかく笑う彼女に、真太郎は顔を上げた。


「だってそれって、いつも一人でいる七海さんのことをずっと心配してたってことだよね? たしかに今七海さんが仲良くしてるのは悠真ゆうまかも知れないけど……でもそれで久世くんが七海さんのことを考えてきたのが無駄だったってことにはならないよ」


 桃華はそこで視線を外し、楽しそうに園内を歩き回る人々を見下ろしながら続ける。


「私はただ、七海さんは幸せだろうなって思う。久世くんと悠真――自分のことを真剣に考えてくれる人が、二人もいるんだから」

「……!」


 実感のこもったその一言に、真太郎は大きく瞳を見開く。


「……私さっき――じゃ、じゃなくて、さ、最近。最近ね? やよいちゃんに怒られたんだ。というより、ここのところよく怒られてる……『攻め気が足りない』とか、『小学生じゃあるまいし』とか……」

「き、桐山きりやまさん?」


 なにやら話しながら急激に落ち込んでいった桃華は、ハッとしたように「ご、ごめん、大丈夫大丈夫!」と慌てたように声色を戻した。


「……たまに怖いくらい真剣に怒られることもあってね? ――でもそれって、私のことをそれだけ真剣に考えてくれてるからなんだろうなって思うんだ。自分のことを、自分じゃない誰かが考えてくれるなんて、すごく幸せなことだなって」

「……だとしても、金山かねやまさんと僕は違うよ。金山さんは実際に桐山さんのために行動に移しているかもしれないけれど……僕はそうじゃない」


 やよいと同じだと言うのなら、それこそ悠真の方だろう。真剣に考え、それを実行できる人間。

 意気地無しの自分とは違う、〝勇気〟ある人たち。

 真太郎じぶんには心を閉ざした未来に認められた存在。


「……僕が彼のような人間だったら、僕は今でも未来に名前で呼んで貰えていただろうか」

「? 久世くんは、七海さんに名前で呼んで貰いたいの?」

「えっ!? あっ、い、いや、今のは……!?」


 思わず口を突いて出ていたらしい本音を聞いて首を傾げる桃華に、真太郎は一瞬慌てて否定しかけて――止める。


「……今日、小野くんに言われたんだ。僕は未来のことを名前で呼んでいるのに、未来はそうじゃないんだな、って。でも、昔は違ったんだ。よく笑っていた頃の未来は、僕のことを〝真太郎くん〟と呼んでくれていた」


 記憶の中にいる、太陽のように明るく笑った彼女は。


「だからなんだって話なんだけれど……でも僕にはそれが、未来が僕をなんとも思っていないことの証明のように思えて……」


 彼女の中の真太郎じぶんは、今やただの他人に過ぎないのだろうと考えると、胸がどうしようもなく苦しかった。


「そうかなあ?」

「……えっ?」


 真剣に思い悩む真太郎に、桃華は極めて普通のトーンでそう言った。


「それくらい、よくある話だと思うよ? 悠真とやよいちゃんだって本当に最初の頃は名前で呼び合ってたのに今では名字だし」

「そ、そうなのかい? いやでも……」

「というか名前で呼ぶことが仲良しの証明なら、悠真と七海さんも仲良しじゃないってことにならない?」

「そ、それは……」

「それにそんなこと言う割には、久世くんだって私とか悠真のこと名前で呼んでないような……。……あっ……」

「『あっ……』ってなに!? なにかを察したような顔で急激に暗い顔にならないで!?」


 ズーン……と急激に暗い顔になった桃華は、「そっか……」と消え入りそうな声で呟いた。


「久世くんが未だに私たちのことを〝桐山さん〟とか〝小野くん〟って呼ぶのは、久世くんが私たちを『なんとも思ってない』ってことだったんだね……」

「違うよ!? 僕たち三人の友情に亀裂を入れかねないことを言わないでくれ!? 小野くんに聞かれでもしたら絶対ネチネチ責められるやつだよこれ!?」

「だって……だってさっきの久世くんの理屈だとそういうことになるし……」

「本当に違うって!? 友達との関係なんて人それぞれなんだし、一概に呼び方だけで測れるようなものじゃな――」


 必死に弁明しようとそこまで言いかけて、真太郎はハッとする。そしてそれを聞いて――にやり、と桃華が意地の悪い笑みを浮かべた。


「ほらね? 久世くんも自分で分かってるんじゃない」

「……性格ひとの悪い演技をするね、桐山さん。まるで小野くんみたいだ」

「ふふっ、これでも悠真とやよいちゃんあのふたりの幼馴染みだからね。それに最近は、お店で散々悠真と久世くんが話してるのを見てるから」


 覚えたばかりの悪戯いたずらが成功した子どものように無邪気に笑う桃華。

 その瞬間、夜空の雲間から差し込んだ優しい月明かりが、彼女の笑顔を優しく包み込んだ。


「……!」


 そんな桃華にほんの一瞬だけ、かつての未来が重なって見えた。

 明るくて、元気で、そして優しい女の子。

 暗くなった世界を、心を、それでも明るく照らしてしまうような笑顔を見せる少女。

 そんなに――真太郎は思った。


「……そうだったね。僕じゃあわけだ」


 ――ただ漠然と、「太陽のようだ」と。

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