第一八四編 過去、現在、未来①



 ――ただ漠然と、「太陽のようだ」と思った。


 ある日、同年代の子どもたちが集まる公園に現れた、高価たかそうな服ときらびやかな宝石をその身に纏う、びっくりするほど綺麗なお姉さん。

 そんなお姉さんに手を引かれてやって来た、当時小学生にもなっていない僕たちと同い年くらいの女の子のことを。


「きれい」と呟いたのは、誰だっただろう。僕の友だちの誰かか、友だちの母親たちの誰かか。

 もしかしたら僕自身だったのかもしれない。あるいは、全員が等しくそう呟いていたのかもしれない。


 それくらい、その女の子は綺麗だった。幼稚園の先生よりも、写真でしか見たことがない母さんよりも、隣に立つ大人のお姉さんよりも、お姉さんが身に付けている宝石よりも、ずっとずっと。

 いつもの公園から、音が消えた。大声ではしゃいでは母親に叱られていたケンちゃんも、ままごとよりも鬼ごっこが好きだったナオちゃんも、ただ黙ってその女の子のことを見ていた。


 綺麗なお姉さんに優しく背中を押され、女の子は僕たちの前にやって来た。

 歩く音は聞こえなかった。体重おもさがないのかというくらい静かで、気品のある足取り。ただそれだけで僕たちとはと、〝遠い世界の人〟だと思わされるほどに。

 子どもながらにそれを敏感に察知した僕たちは、お遊戯会の開演前みたいに背筋をピンと張って、彼女の第一声を待った。


「――一緒に、遊ぼう?」


 決して大きくはない、けれど脳裏までスッと染み込んでくるような美しい声でそう言った女の子は、はにかむように笑う。

 ただそれだけで、ケンちゃんもナオちゃんも――そしてきっと僕も――顔が真っ赤になっていた。

「うん、遊ぼう」と返すまで、いったいどれくらい掛かったのだろう。その後のことは、正直あまりよく覚えていない。


 気が付けばもう日が暮れかけていて、真っ白なドレスを僕たちと同じくらい泥だらけにしたその女の子は、満面の笑みを浮かべながら僕たちに向けて手を振っていた。

 そんな彼女に、他の友だちに負けてたまるかと競うようにぶんぶん手を振り返していた時には――もう僕は恋に落ちていたんだと思う。


 今なお記憶の中に輝く、もう暗くなった公園を、それでも明るく照らしてしまうような笑顔を見せたその女の子のことを。

 僕はただ漠然と、「太陽のようだ」と思った。

 きっと、そこに居合わせた誰もがそう思っていた。


 ――彼女が七海未来ななみみくというとんでもないお嬢様だと知ったのは、それからしばらく経った後のことだった。



 ★



「か、か……〝看護師かんごし〟!」

「〝チョコレート専門店ショコラトリー〟」

「また〝り〟!? り、り、り……〝林檎飴りんごあめ〟! ……おい久世くせ? どうした?」

「……えっ? ああ、ごめん。なんだったっけ?」

「俺会心のファインプレーを聞き逃してんじゃねえよ。〝め〟だよ〝め〟!」


 夜七時頃、そろそろ夕食時だと言うことで昼間と同じフードコートを訪れた真太郎しんたろうたちは、長蛇の列の最中さなかに居た。

 一つ前のアトラクションの待機列から流石に話のネタも尽きてきて、暇潰しにしりとりに興じている彼らへ「じゃあ〝メジナ〟で」と返してから、真太郎はいけないいけない、と首を振る。お化け屋敷の後の会話を引きずって、ついつい昔のことを思い出してしまっていた。

 チラリ、と記憶とは随分、いや完全に別人の雰囲気を纏う少女に目を向けると、彼女は相も変わらず感情の読み取れない能面のような表情を浮かべている。


「な、な、な……〝海鼠なまこ〟!」

「〝コンフェクショナリー〟」

「また〝り〟! お前最初から全部〝り〟終わりじゃねえかよ!? つーかなんだよコンフェク……って!?」

「……英語で〝お菓子〟よ。それくらい知っておきなさい」

「分かるかあっ!? せめてもっと日常で使いそうな単語持ってこいや! もうなんだけど七海コイツの無駄な語彙力! 普通出てこねえよ、しりとりで〝コンディクショナリー〟!」

「〝コンフェクショナリー〟だよ、悠真ゆうま

「どっちでもいいわ! ったく……り、り、り……えーっと……り……ッ! 〝料理りょうり〟! ふははっ、どうだ久世! そろそろ〝り〟は出尽くして――」

「り、〝リクエスト〟」

「と、と、と……〝トロッコ〟!」

「〝砂糖菓子コンフィズリー〟」

「……ッ! ……ッッ! ……ッッッ!」

「……意地悪をしたことは謝るから、血の涙を流しそうな形相ぎょうそうで掴み掛かってくるのはやめて」


 自棄やけになった悠真にガクガクと肩を揺らされる未来を見て真太郎は苦笑しつつ――わずかに心を沈ませる。

 先日、バレンタインの一件を経てからというもの、この二人の距離感は以前よりもさらに近付いたように思う。それは間違いなく喜ばしいことだし、決裂していた彼らを見て心を痛めていた真太郎にとってもその通りだった。


 だが同時に、真太郎が悠真に対して拭いきれない敗北感を抱いているのもまた事実である。

 未来が笑わなくなってからというもの、自分は一度でも彼女とあんな風に触れ合えたことがあっただろうか。一度でも彼女と対等に話すことが出来ただろうか。


 自分の努力が足りないのだと思っていた。

 努力して、彼女に相応ふさわしいだけの男になれば、いつかきっと彼女の隣に並び立てると思っていた。

 けれど、現実は違った。今誰よりも未来に近いのは、誰よりも彼女を理解しているのは真太郎ではなく悠真で。

 そして真太郎から見た未来は、初めて彼女と会ったあの日からなにも変わらない――〝遠い世界の人〟のまま。

 どんなに手を伸ばしても届かない、あの太陽のように。


「(……未来に小野くんという友だちが出来たことは嬉しいことのはずなのに……それを望んでいたはずのに……)」


 それでも仲睦まじい彼らを眺める真太郎の表情は晴れなくて。

 そんな彼の横顔を、三人の少女たちが静かに見つめていた。

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