第一七五編 不変

「好きな人が幸せなら、自分の〝失恋〟も受け入れられますか?」


 真剣な瞳でそう問われた私は――


「(待って、これ本当になんの話!?)」


 ――絶賛、頭の中で混乱していた。

 直前まで小野おのの話をしていたかと思っていたのに、いきなり私、つまり金山かねやまやよいが小学生になる前から久世真太郎くせしんたろうのことが好きだったら~……などという突拍子もない仮定もしもの話にすり替えられたのだが。この中学生、いったいなんの話をしているんだ。


「(その仮定の条件に一致するのは小野……ということは、もし私が小野と同じ立場だったらどうするのか、って聞きたいのか、この子は……?)」


 何度も言うが、私は今の小野の在り方を正しいとは思っていない。七海美紗ななみみさ桃華ももかのように、好きな人がいるならその人と付き合いたいと思うのが普通の感性だろう。色恋沙汰とは長らく無縁の私でもそれくらいは分かる。


「……私なら、自分の恋を優先するかな」

「! そ、そうなんですか?」

「うん。さっき美紗ちゃんも言ってたと思うけど、その人のことが本当に好きなら、想いをちゃんと伝えるのが正しい恋愛だと思うよ」


 この言い方では、まるで小野の桃華に対する恋慕が偽物であるかのようだが。……いや、あるいはそうなのかもしれない。

 あの男の恋はいびつ過ぎる。少なくとも普通の人間は、今の彼の恋愛を〝幸せそう〟とか〝羨ましい〟とは思わないわけで。


「(偽物というよりは〝異質〟って感じなんだよな、アイツの場合……)」


 同じ〝好き〟でも、人によって当然違いがある。

 たとえば桃華と七海美紗は揃って久世を想うライバルだが、彼のどこに惚れたのか、彼のどういう部分を好ましく思っているのかはそれぞれ違うはずだ。


 それと同じで、小野の桃華への想いは常人のそれとはかなりズレているように感じる。

 普通の人間なら自分がその人のことを好きだから――言い方を変えれば、好きな人に好かれようと尽くす。

 しかしあの男の場合は、好きな人のために尽くそうとしている。そこに自身の幸福は求めていない。

 歪で――異質な恋慕だ。


「でも……それじゃあ、どうして金山さんは迷っているんですか?」

「え?」


 どういう意味? という意味を込めた動作ジェスチャーをすると、七海美紗は「ですから!」と顔を寄せてくる。


「金山さんは〝どっちつかず〟ではいられないと仰いましたけど……を優先するのが正しい恋愛だとするなら、迷うことなんてないじゃないですか!?」

「え、ええっ?」


 あれ、私ってこの子に〝桃華と久世の恋〟か〝小野と桃華の恋〟のどっちを応援するかで迷ってるっていう具体的な話はしてないよね? なのになんでこんな確信ありげに聞いてくるんだ?

 ……いや、相手はあの天才お嬢様、七海未来の妹だ。もしかしたら断片的な情報からそれを察したのかもしれない。末恐ろしい中学生だな……すれ違いの勘違いでもしているんじゃないかと思った方が自然なくらいだ。


「(……でも確かにこの子の言う通りだよね)」


 自分の恋を優先するのが正しいなら、自分の恋愛の成就を望んでいるわけではない小野より、自分の恋に真っ直ぐ向き合っている桃華と久世の方を応援するべきだ。

 それでも私が小野の恋を応援してやりたいという思ったのは、競争率が非常に高い久世を、桃華が高校生の間に落とせる可能性は非常に低いから。そして……小野の一途な献身に心を動かされてしまったという理由も、少しある。


「(だけど……一途それは、桃華だって同じだ)」


 あの子だって、久世のことをずっと想ってきたことは変わらない。

 確かに小野の一〇年と比べれば半年という短い時間に過ぎないかもしれないが……それでもあの子は七海美紗というライバルが現れて一度は折れかけても、それでも今なお久世のことを想い続けている。久世の存在に己の恋を諦めた小野と違って、だ。

 想いの長短だけで恋心は測れない。その強度――すなわち障害に出会でくわしても折れることのない強い想い。

 桃華にあって――小野にはなかったもの。


「(……そうだよね。桃華は折れない――私があの子と小野をどうこうしようと思っても、きっとあの子は変わらず久世を好きで居続ける)」


 そう考えた途端に、フッ、と心が軽くなったような気がした。

〝どっちつかず〟だとか、何を考えていたんだ、私は。最初から私に選択肢なんて――選択権なんてなかったんじゃないか。


 ――天真爛漫で優しくて、良くも悪くも素直で正直。

 歳を重ねるごとに誰もが少しずつ失くしていくはずのそれらを、すべて手の中に大事に収めたままの女の子。


 私は、そしてきっと小野も、昔からずっと〝変わらない〟幼馴染みの桃華のことが好きなのだから。

 だからあの馬鹿は、久世への気持ちが〝変わらない〟あの子の背中を押そうとしているんだ。

 真っ直ぐな――小野アイツが惚れた桐山きりやま桃華を。


「……そうだね」


 自分でも滅多に笑わない自覚のある私は、しかし心のもやが晴れたようにスッキリとした気分で破顔した。


「迷う必要なんてなかった――私は、もう決めたよ」


 ――悪いな小野。アンタの初恋は、悪魔わたしにも叶えてやれそうにないや。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る