第一七〇編 七海妹と悪魔ギャル

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 時を遡ること約四時間、悠真ゆうまたち四人が最初のジェットコースターの待機列に並び始めた頃、帽子を目深まぶかにかぶった一人の少女が柱の陰から彼らの様子をうかがっていた。

 少女の名は七海美紗ななみみさ――セブンス・コーポレーショングループの最高責任者・七海幸三郎ななみこうざぶろうの愛娘にして、七海未来みくの妹である。

 明らかに遊園地を楽しみに来た雰囲気ではない彼女は、耳に当てた携帯電話の通話口に向けて囁く。


「こちら美紗。予定通り園内に侵入、お姉ちゃんたちを捕捉マークしたわ、どうぞオーバー

『こちら本郷ほんごう、承知致しました。こちらもとどこおりなく園内に侵入完了、予定通り園内の見回りに入ります、どうぞオーバー

『こちら服部はっとり……あの、なんなんですかお二人とも、その謎テンションは……?』

「……」

『……』

『……あっ、お、どうぞオーバー……』

「こちら美紗。あのお姉ちゃんが初めて友だちと遊園地に行くのよ? ヘマやらかさないか見守るのは当然のことでしょう、どうぞオーバー?」

『いや見守っている理由じゃなくて、どうしてこんなコソコソ無線通信みたいな真似をしなきゃいけないのかを聞いてるんですけど……というか、逆に目立って恥ずかしいので止めた方がいいと思います』


 電話の向こうから聞こえてくるボディーガードのぼやき声に、美紗は「う、うるさいわね」と呟きつつ、仕方なく芝居じみた言い回しを省略して続ける。


「確認よ。今日の私たちの仕事は対人コミュニケーション能力が壊滅したお姉ちゃんの動向を見守り、今日一日を楽しく過ごしてもらうことよ」

『承知しております。未来お嬢様更正への第一歩ですね』

『更正って、犯罪者じゃないんですから……』


 先日、幼少期以来孤独を貫いてきた七海未来に友人と呼べる存在が誕生したことについて、本人以上に感激していたのが幼い頃から彼女をよく知る面々――すなわち七海家の関係者たちだった。幼い頃は同年代の友人に囲まれ、太陽のように笑っていた未来。そんな彼女の姿を今一度見ることが出来たならば、と。


 しかし一方で不安もあった。それは彼女の他者に対する無頓着さだ。幼馴染みの少年に始まり、クラスメイトに声を掛けられても無視するのが当たり前の彼女のコミュニケーション能力はすっかり錆び付いてしまっている。もしもそのせいで交遊関係が上手くいかず、せっかく出来た友だちに嫌われてしまったりしようものなら……未来は今度こそ、完全に心を閉ざしてしまうかもしれない。

 それを危惧した美紗たちは、過保護にもこうしてお忍びでついてきてしまったわけなのだが……。


『……しかし美紗お嬢様。私と本郷さんならともかく、なにもお嬢様まで来られなくとも良かったのでは? というか、お嬢様ならあの輪にもざれたような気がするんですが、わざわざ隠れてついていく必要はあるんですか?』

「それじゃあ意味ないでしょ。あくまで私たちは、お姉ちゃんが一人でお友だちとお話しできるかを見守りに来ているんだから。私が側に居たらなにかあってもすぐフォローできてしまうもの」

『お姉様としての威厳、皆無ですね』

「お姉ちゃんの対人スキルがポンコツなのは事実でしょう。とにかく私は引き続き監視を続けるから、本郷は園内全体の見回り、服部はお姉ちゃんたちの周囲に不審な人影がないか警戒。もしお姉ちゃんの障害になり得るやからがいたら――後は分かるわね?」

『本郷、承知致しました!』

『どう考えても一番怪しいのは私たちなんですけどね……』


 通話の切れた携帯電話を仕舞い、改めて四人が入っていったジェットコースターの待機列へと目を向ける。待機列といっても開園直後ということもあり、並ぶ時間は然程長くはならないはずだ。三〇分もすれば姉たちも下りてくるだろう。

 一応未来が着ているコートには服部に仕込ませた盗聴機が入っている。とりあえず、先ずは四人の会話の様子から探ってみるか――と美紗が別の端末を取り出そうとしたその時だった。


「あれ、貴方たしか……」

「ッ!?」


 後方から聞こえた声にビクッ、と振り返ると、そこには帽子とマフラー、そして黒縁くろぶちのお洒落な眼鏡をかけたお姉さん――といっても中学生の美紗から見て、だが――が立っていた。髪の色は薄茶色で、耳には小さなピアスが開けられている。外見だけのイメージで言えば〝利発そうなギャル〟だろうか。姉の未来や恋敵たる桐山きりやま桃華ももかとはそれぞれ違ったベクトルの美人である。

 帽子を深くかぶっているだけとはいえ、仮にも正体を隠しているつもりでいた自分に声を掛けてきた謎のギャルに美紗が震えていると、彼女は「やっぱり」と一つ頷いてみせた。


「七海未来、さんの妹さんだよね? 前にあのアホ――小野おの悠真ゆうまとうちの喫茶店に来てた……」

「えっ? あっ……」


 メガネを外し、口元まで覆っていたマフラーをぐいっと引き下げた見覚えある彼女の顔を見て、美紗は小さく声を上げる。記憶を辿れば、それは以前小野悠真と行った喫茶店でアルバイトをしていた少女だった。


「た、たしか……カネヤマさん、でしたよね? 魔界出身の……」

「いや断じて魔界出身ではないけど。というか声かけといてあれだけどよく覚えてたね、私の顔と名前。名乗ったことあったっけ?」

「あ、いえ。ただ小野さんがそう言っていたのを覚えていたので」

「へえ、流石はあのお嬢様の妹だね……。ああ私、金山かねやまやよい。よろしく」

「は、はい。七海美紗です、ハジメマシテ……じゃなくて、おはようございます」


 姉とは比べるべくもないコミュニケーション能力を誇る美紗だが、流石にほぼ初対面かつ年上のギャルに声を掛けられるのは年相応に怖い。彼女が若干上擦った声でペコリと頭を下げると、やよいはフッ、と柔らかく笑った。


「……ところで美紗ちゃん、こんなところに一人で何してるの?」

「うっ……え、えーっとですね……!」


 中学生が一人で遊園地に居れば誰でも疑問を抱くだろう。予期できていた質問に美紗は汗を流す。


「か、金山さんこそ、お一人ですか!?」


 結果、質問に質問で返すという礼儀のなっていない答えになってしまったが、幸いにも目の前のギャルは機嫌を損ねた風でもなく「まあね」と顔を他所よそへ向けた。

 視線の先を追えば――そこには例のジェットコースター。


「(えっ……? ま、まさかこの人も……?)」


 動揺する美紗に、やよいはわずかに目を細めながら静かな声で言う。


「――色々、思うことがあってね。だけどいつまでもじゃ居られないから……今日ここでハッキリさせようと思ったんだ」

「……? それは、いったいどういう……?」


 疑問符を浮かべる美紗に、しかし彼女はそれ以上のことを語ろうとはしなかった。

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