第一六七編 恐怖と期待

 初春はつはる学園において、試験結果がかなり重要視されることについてはこれまでにも何度か語ってきたが、特に今回の学年末試験は来年度――すなわち二年次のクラス分けに最も大きな影響を及ぼすと言われている。クラス分けと言っても、要は〝一組かそれ以外か〟を決めるためのものなのだが。

 もちろん試験成績のみならず、日頃の授業態度や出席日数といった内申点も評価項目ではあるそうだが、成績の良い人間は得てしてそれらの内申点も良いことが多いので、結局決め手はテストの点数にゆだねられがち、ということらしい。

 とはいえこれらは学年上位陣の話。俺のような成績も然程さほど良くなければ、内申点も普通という生徒にとってはいつもと同じ、ただただ面倒くさい試験週間でしかなかった。


 そして――試験最終日の最終科目、国語。

 高校一年生の身で受験する最後の試験が残り五分となったところで、俺は静かにシャープペンを机の上に置いた。

 体感的にはいつも通り、良くも悪くもない、といったところだろうか。試験週間に入る二週間ほど前からイケメン野郎と毒舌お嬢様両名による英才教育を施されたにしては今一つな結果だが、赤点は回避できているはずだ。そして特待生クラスたる一組への所属など遠い夢でしかない俺にはそれで十分である。


「(……後は、桃華ももかか……)」


 黒板上の壁掛け時計が刻む一秒一秒を意味もなく眺めながら、俺はぼんやりと物思いにふける。

 日頃の成績から言って、久世くせは間違いなく来年度も〝特待組〟だろう。だから俺は桃華にもそれを目指してほしいと考えていた。直後に色々あったせいで忘れがちだが、あの勉強会の主たる目的の一つはそれだったのだから。


 そしてあの悪魔ギャル――金山かねやまやよいが言うには、桃華は最近、かなり真剣に勉強に取り組んでいたらしい。俺が七海ななみとの件でなにもしてやれなかった間にも、桃華は彼女なりに久世に近付こうとしていたのだ。

 不甲斐ない話である。本来であれば俺がもっと力になってやらねばならなかったはずなのに。このところの俺は本当に良いとこ無しだ……まあ桃華の成績を上げるすべが俺にあったのかと問われれば沈黙で返すしかないのだが。


「(でもだからこそ……この試験休みで汚名返上しねえとな……)」


 きっと桃華なら来年――もう今年だが――の〝特待組〟に選ばれる可能性は高い。それは言い換えれば、二年生になれば彼女と久世をくっつけられる機会チャンスが大幅に増えるということだ。

 ならばこの試験休みや春休みが正念場。ここであの二人の距離をぐっと縮めることが出来れば、久世を恋慕う多くの女子たちにかなりの差をつけられる。

 高望みするなら二年に上がるまでに久世の恋愛観――学生の身で誰かと交際するつもりはないという古くさい考えを捨てさせることも出来れば万々歳なのだが……あのクソ真面目の考えを改めさせるのは容易なことではないはずだ。それは既に七海妹の存在が証明している。


「(難しいけど……やるしかねえよな……)」


 時計が試験終了の時刻を指すのと同時に、チャイムの音が学園に響き渡った。



 ★



「ふおおおおおおおおおおっっっ! すっごーーーーいっ!?」


 空に浮かぶ無数のレール群を見て瞳を輝かせながら声を上げる桃華に、しかしその後ろに立つ俺はそれを見て「桃華は今日も可愛いなあ」などという感想を思い浮かべる暇もないまま、ゴクリと唾を飲み込んでいた。


「ま、マジかよ……あ、あんな高えの……?」

「これは凄いね……テレビで見るよりずっと高く見えるよ……」


 俺の隣で呟いた久世も、得意のイケメンスマイルが微妙に歪んでいる。無理もない、なにせ今日俺たちがやって来たのは絶叫系アトラクションのレベルでは日本一と名高い有名なレジャーランドだからだ。

 目の前に見えるのは、先日テレビでも紹介されていた巨大ジェットコースター。営業開始時間の少し前なのでまだ搭乗客の悲鳴こそ聞こえてこないものの……今から自分がアレに乗るのかと思うと正直超怖い。


「……ちなみに小野おのくんは絶叫系ああいうの、得意なのかい?」


 心なしか震えた声で、イケメン野郎が聞いてくる。


「……フッ、愚問だな。俺はガキの頃、子ども向けのジェットコースターで漏らしかけたことすらある男だぞ?」

「格好良さげに言ってるけど全然格好良くないよ、それ」

「そういうお前はどうなんだよ、久世?」

「……ふっ、愚問だね。僕はこう見えても昔から、高いところが結構苦手だったりするのさ」

「格好良さげに言ってるけどめちゃくちゃダサいぞ、それ」

「うわぁ、アレもすっごく怖そうだねっ!? ねえ最初はどれに乗る!? あの一番でっかいジェットコースター!? それとも急流滑り!? あっ、フリーフォールもあるよ、あれにする!?」

桃華おまえは全然怖がってねえな……」

「僕、最後までついていける自信がなくなってきたよ……」


 キラッキラの瞳で聞いてくる頼もしい幼馴染みおよびバイト仲間の姿を見て、情けない顔をする男二匹。……こんなことなら絶叫系で有名じゃない遊園地にすれば良かったと今更ながら後悔する。

 桃華にパンフレットを見せられて「どれがいいかな!?」と聞かれ、流石に「どれも怖そうだから乗りたくない」とは言えず返答に窮している久世を眺めていると、斜め後ろからマスク越しのため息が聞こえてきた。


「……分かっていたことだけれど、やっぱり人が多いのね……」

「そりゃ、遊園地だからなあ」


 やや不審な、サングラスマスクと帽子で完全武装した女――七海未来みくの早くもうんざりしたような声に俺は苦笑いで応じる。

 彼女が顔を向けている入場ゲートの前には、開園前からかなりの人が集まっていた。といってもアトラクションの種類的に家族連れにはやや不向きで、しかもこの遊園地が本当に混み合うのは夏場らしいので、実際はこれでもかなり空いている方なのだろうが。

 ましてや俺たちは平日に学校の試験休みを利用して来ていることもあり、学生客もそこまで多いようには見えない。それでも同年代らしき人たちが一定数見えるのは、おそらく時期的に進学先・就職先の決まった中高生や大学生か。


「でもお前が来てくれるとは思わなかったよ。誘った俺が言うのもなんだけどさ」

「……別に。ただの気紛きまぐれよ」

「……そっか」


 以前までのお前ならどんなに気が紛れようがこんなところには来なかっただろうけどな――なんて無粋なツッコミはしない。あの七海未来の――俺の数少ない友だちの前向きな変化を喜ぶべきだ。


「……言っておくけれど、貴方がジェットコースターを利用した危険な方法であの二人をどうこうしようとしているなら私は協力しないから」

「いやどんな方法だよ、〝ジェットコースター殺人事件〟より奇抜だろそれ。大丈夫だって、無茶な真似なんかしないし……お前の手も借りないさ」

「……? じゃあどうして私を誘ったのよ?」


 素直な疑問をぶつけてくるお嬢様に、俺はさっきの彼女と同じように「別に」と答える。


「友だちと遊園地に行くくらい、〝普通〟のことだろ」

「……! ……そうね。確かに〝普通〟だわ」


 呟くようにそう言い、完全武装からサングラスだけを解いたお嬢様は、瞳の奥にわずかな期待感を浮かべているような気がした。

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