第一六五編 名案

悠真ゆうまー? 洗濯機回しちゃいたいから、さっさとお風呂入っちゃいなさいー!」

「うぇーい」


 帰宅後、結局せっかく得られた自由時間をただ居間でぼんやりとテレビを見るだけで消化していた俺は、母親の声に間の抜けた返事をしながら立ち上がる。

 無趣味人間というのはいざ自由時間が出来てもやることがなくてつらい生き物だ。ゲームや漫画、映画なんかは年相応にたしなむ俺だが、じゃあ平日の夕方からそれらに没頭できるほどかと言われればそうでもない。……こんなことなら、普通にバイトしてる方がよほど有意義な気がするな。


〝日本各地絶叫マシーン特集〟という題で芸能人たちが死ぬほど怖そうなジェットコースターに嫌そうな顔をして乗り込んでいく様子が映し出されているテレビの電源を切り、風呂場へ向かう。

 服を脱ぎ、そして髪や身体を洗いながら考えることは、今日の昼休みに七海ななみ金山かねやまの二人と話したことだ。


「(桃華ももか美紗みさちゃんに勝てるか、か……)」


 正直、桃華の恋を応援する上で一番の関門となると俺が思っているのは、彼女が想いを寄せている久世真太郎くせしんたろう本人の方だ。七海妹ではない。

 現状のあのイケメン野郎は誰かと恋愛するつもりがないのだから、その〝誰か〟には当然七海妹も含まれるだろう。であれば、あの中学生は桃華の脅威足り得ないはずだ。


「(でも……もし久世を〝その気〟にさせられたとしたら……?)」


 つまり久世が誰かと付き合う気になったとしたらどうだろう? ……おそらく七海妹は、桃華より久世に近い位置にいるのではないか。

 金山曰く、バレンタインの日――正確にはその翌日に桃華がチョコレートを贈った時、久世との関係は特に進展しなかったそうだ。それ自体はさしたる問題ではないが……いや、問題視すべきか。


 桃華が久世に対して抱いているのは恋慕だが、逆の矢印が示しているのは〝友情〟〝親愛〟などに類する仲間意識。初期の〝知り合いの女子〟よりは随分とマシになったものの、久世のような人間にあまり長くその感情を持たせ続けるのは危険かもしれない。

 というのも典型的な〝イイヤツ〟である久世は、考え方が今一つ古くさいところがあるからだ。もしこの先、なんの変化もないまま桃華との友情が長く続いたりしたら「大切な〝友だち〟に対して恋愛感情なんて抱けないよ……」とか平気で言い出しそうである。


「(せめて七海妹みたいに下の名前で呼び合えりゃ、ただの友人関係を脱せるのかな……いやでも、その理屈だと俺と桃華が友人を脱してることになるか……幼馴染みはノーカン……七海妹と久世も幼馴染みだった……)」


 母親好みの熱い湯船に顎まで浸かっているせいか、いつもより数割増しで頭が回っていないような気がする。日頃はシャワーで済ませていることが災いしたか。

 とはいえ平日の夕方にのんびり風呂に入っていられるなんてこの上ない贅沢だろうが。


「(……今頃、桃華と久世はバイト中か。まあ今日はどうせ暇だろうけど。七海は今日も〝甘色あまいろ〟に行くのかな。金山は……アイツの予定とかなんも知らんわ、俺……)」


 ……思えばこのところ、ずっと他の誰かのことばかり考えている気がする。いや、数日前まで七海とバリバリに決裂していたというのもあるだろうが。けれど――〝失恋〟するまではこんな風に他人のことを考えたりはしなかった。

 勿論桃華のことは好きだったが、四六時中彼女のことを考えていたわけでもなく、ふとした瞬間に、たとえばテレビで持てはやされているアイドルを見て「桃華の方が可愛いけどな」などという感想を抱く程度だったはずだ。


 そういう意味では皮肉なものである。〝失恋〟した後の方が、それ以前より彼女を想うことが増えたのだから。つくづく俺の恋は中途半端だったと思わされる。


「(――俺は、桃華の恋の助けになれているだろうか)」


 あの日以来、何度も繰り返した思考に再びまる。それなりに尽くしてきたとは思えど、それはあくまで七海や本郷ほんごうさんのお陰だ。俺個人の力ではここまでは来られなかっただろう。

 最近は金山もよく手助けをしてくれるし……案外俺が居なくてもあの二人は上手くいっていたのではないだろうか。


「……だからって、後悔はしてないけどな」


 反響するタイル張りの風呂場で、静かに呟く。

 俺の目的は、桃華に悔いの残る恋をさせないこと。成否は二の次でしかない。それは変わらないのだから。

 だからどんな形であれ彼女が久世に想いを告げられればそれでいい。願わくばその最後の背を俺の手で押してやれるなら――きっと俺はあの〝無駄な一〇年〟を笑って受け入れられるだろう。

 そのためなら、なんだってしてやるさ。


「(……これじゃあまた七海に叱られそうだな。やめやめ! シンキングタイム終了!)」


 自嘲して湯船から上がり、ゆるめのシャワーを浴びてから浴室を出る。

 しかし結局いいアイデアは浮かばなかったな。やっぱりずは久世の古くさい恋愛観をどうにかしねえととは思うんだが……かといって本人が望まないまま桃華と付き合うんじゃ意味ねえし……。


 終了させたはずのシンキングタイムが続く俺の脳みそに、母さんの「お風呂出たのー?」という声が刺さってきた。「あーい!」と雑に返答しつつリビングへ入ると、入れ違いに出ていった母さんが見ていたらしいテレビには美しい夜景が映されている。どうやら先ほどの絶叫マシーン特集の〆として、有名な遊園地の大観覧車から見える絶景が選ばれたようだ。

「怖かったけど楽しかった」「また来たい」などと月並みな感想を口にする芸能人とともに番組のスタッフロールが流れていく。

 それを見ていた俺の脳裏にふと――以前イケメン野郎と交わした約束がよぎった。


『……次は、もっと普通に遊ぶってのも……ありだな』

『! ……うん、そうだね。また皆で遊ぼう』


「……! それだ……!」


 舞い降りた名案にぐっと拳を握り込んだ俺の髪から一粒の水滴が垂れ落ち、フローリングの床で弾けた。

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