第一六一編 常識外れ×2



「……あら」

「……おう」


 週明け、月曜日の昼休み。

 一年生フロアの階段前で顔を合わせた俺と七海ななみは、互いの姿を認めて短く声を発した。

 しばらく無言で屋上へと続く階段を上り、三階と四階の間の踊り場辺りまで来たところで、彼女が静かに口を開く。


「……別に構わないのよ。貴方との〝契約〟はもう終わったのだから」


 すれ違う生徒が七海を見るなり思わず振り返る中でそう言われ、俺は一瞬どう返したものかと悩む。

 相変わらず感情の読めない声だ。〝契約〟を自分から終わらせた身としての言葉なのか、それとも単純に俺がウザいだけなのかも分からない。……後者ではないと信じたいが、相手はあの七海未来みくだからなぁ……。

 内心でそんな不安を抱きつつ、俺はいたって平静を装いながら「はんっ」と鼻で笑ってみせる。


「別にお前のためじゃねえよ。俺は屋上あそこで飯食うのが好きなだけだ」

「……屋上は基本的に立ち入り禁止だったはずだけれど?」

「う、うるさいな。それをお前が言うかよ不良お嬢様。……たとえ教師に見咎められようともッ……! 俺は彼処あそこで、あの場所で飯を食うんだッ!」

「お昼ご飯を特定の場所で食べることにそこまで情熱的になれる人間がいるとは思わなかったわ」

「だから一人で飯を食いたいっていうなら他所よそへ行くんだな。俺は本郷ほんごうさんに首をねられようとも屋上で飯を食うのを止めないぞ」

「……そう。じゃあ私も屋上で食べるわ。貴方が生首一つでどうやって食事をるのか見てみたいから」

「えっ……あ、あの、嘘ですよね、お嬢様……? い、今のは冗談っていうか言葉の綾っていうか……さ、流石にうるわしき七海未来様がこんな一高校生のれ言を鵜呑うのみにして殺人を犯すわけがないですよね?」

「……」

「オイ黙るなよ!? だ、大丈夫だよな!? 屋上に行ったら既に本郷さんがでっかいカタナを素振りしてたりしないよな!? なあ!?」


 不穏な無言を纏ったまま、俺たちは錆び付いた屋上鉄扉てっぴの前に辿り着く。

 お嬢様がチラリとこちらに視線をお向けあそばされたので「ヘイただいまっ!」と言わんばかりの勢いで扉を開いて差し上げる。

 そして、まさか本当にあの敏腕ボディーガードが笑顔で血塗ちまみれのカタナをぶん回したりしてないだろうな、と素早く確認の目を走らせ――


「おう、遅かったな」

「……」


 ――ガチャン、と俺は鉄扉を閉じた。隣にいるお嬢様から「何をしているのよこの男は」みたいな視線を感じるが、とりあえず今は華麗に無視スルーしておく。

 ……え? なんか今誰かに声を掛けられた気がするんだけど。というか神聖な存在として有名なこの俺が苦手とする、悪魔的な女が仁王立におうだちしてたような……。


「(い、いやいや、まさかまさか。白昼堂々、こんな平和な学園によこしまな悪魔がいるわけないじゃないか。目の錯覚だ錯覚――)」

「オイなんで閉めんだよ」

「ギャアアアアアッ!?」


 なんとか自分を落ち着かせようとしていたところに外から開かれた扉の向こうから現れたしき存在が不満げな声を上げ、俺は叫びながら咄嗟に七海の背中に隠れた。

 前にいるお嬢様からやはり「何をしているのよこの男は」みたいな視線を感じるが、とりあえず今は華麗に無視スルーしておく。

 そしてそのまま、目の前に現れた悪魔ギャル――金山かねやまやよいに向かって吠えかかる。


「馬鹿なッ!? 太陽の光は悪魔きさまらの弱点のはずではッ!?」

「『はずではッ!?』じゃねえよ。私が太陽光で消滅しないことがそんなに不服か」

「くっ……!? ま、まさか自然界の摂理ルールが通用しない相手がもう一人居たなんて……!?」

「一般的な女子高生がの下に立ってただけのことをあたかも常識外れの事態に直面したかのように表現するな。というか〝もう一人〟ってなんだよ。誰だよ、残りの一人」

七海コイツだよ」

「心外なのだけれど」


 ジトッとした目を向けてくる女子二名を相手に、俺は埃っぽい屋上前の踊り場で窮状に陥っていた。

 いや、馬鹿げた冗談はさておき、なんで金山コイツがここにいるんだ。


「……あの、屋上は基本立ち入り禁止だって校則で決まってるはずなんですけど」

「おい、自然界の摂理ルールが通用しないからって学校の校則ルールを持ち出してくるな。アンタらだって屋上に出ようとしてだろうが」

「残念でしたー、俺たちはまだ屋上に立ち入ってませーん。あーあー金山さん、いーけないんだーいけないんだー、せーんせーに言ってや――」

「一秒以内に黙らなかったらアンタの心にトラウマを刻む」

「…………」

「……そこは素直なのね」


 背中で口を閉ざした俺に、首だけこちらに向けたら七海が呆れたように呟く。

 そしてそんな俺たちを見て、金山が少しだけ安心したような目をした――ような気がしなくもない。

 そういえば例の一件以来、俺は金山と直接顔を合わせていなかった。もしかしたら金山コイツ、俺たちのことを心配してわざわざここで待っててくれたのかもしれな――


「まあとりあえず表出ろよ、小野おの。アンタに聞きたいことがあるんだ」


 ――やっぱりそんなことはなかったらしい。これはアレだ、世間一般で〝恐喝〟とか言われる類いの奴に違いない。


「い、嫌だッ!? 僕お金なんて持ってません!?」

「いや誰も金出せなんて言ってないだろ。アンタのその私に対する飽くなき警戒心はどこから湧いてくるんだよ」

「幼少の頃に刻みつけられた記憶からだよ!」

「おいやめろ、私がかつてアンタに酷いことしたみたいな言い方すんな。なんならそんなに喋ったこともなかっただろうが」

「そうだ、あの頃からお前はただそこにいるだけで俺の心に傷を負わせたんだ!?」


 なお、一応金山がいつも桃華の側にいたせいで幼少の俺は彼女に声を掛けづらかったという背景があるのでまったくの嘘でもない。


「七海、お前からもなんか言ってやってくれ!」

「……『ちょっとタロウ。誰よ、その女』」

「意味もなく状況がややこしくなるようなこと言わないでくれます!? つーかテメェなんでこのタイミングで本読んでやがんだ! 今の絶対そこから引用したセリフだろ! そっちこそ誰だよタロウ!?」

「あ、その本知ってる。たしか……高校生の男が二人の女に追い詰められて、最終的に屋上で惨殺されるやつだ」

「ピンポイントで不安になる内容すぎる!? 昼間っからなんちゅう本読んでんだ! めっ! 教育に悪い!」


 俺がお嬢様の手から単行本を取り上げると、七海は小さく息をつき、そして俺と金山の二人に背中を向けた。


「……なにか話があるようだし、私は別のところで食べるわ。じゃあね、小野くん」

「えっ……お、おいっ?」


 やはり未だに人が多い所――といってもたった二人だが――が嫌いらしい彼女が立ち去ろうとしたところに、しかしその背中を「待ちなよ」という一言が繋ぎ止める。


「丁度良かった、七海アナタにも聞きたいことがあったんだ。ついでに話、聞かせてもらえないかな」

「…………」


 振り返ったお嬢様と悪魔ギャルの視線がぶつかる。

 じゃ、じゃあ俺はここで失礼しますねー……などとはとても言えない空気だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る