第一五九編 嫌な予感は大体当たる

 俺こと小野悠真おのゆうまの朝は遅い。

 理由は簡単、寝るのが遅くていつも登校やバイトのギリギリまで寝ているからだ。

 朝飯を食わずに家を出ることも多い。そして往々にして後から後悔することになる。「五分早く起きて朝飯食ってくるんだったなぁ」と。実際には寝起きはあまり食欲が湧かないものなのだが。


 しかしそれでも、やはり朝食はった方がいいだろう。

 以前どこぞのお嬢様との雑談の中で、人間というのは寝ている間にも意外とエネルギーを消費しているものだと聞いた。つまり朝飯を食わずに出掛けるというのは、ガス欠で車を運転するようなものなのである。そんなことではあっという間にエンジンが焼き付く――もとい元気がなくなってしまうだろう。

 だから今朝、俺はここに宣言しよう。


「明日は絶対朝飯食ってから出勤する……」

「小野くん、それ僕が〝甘色ここ〟で働き始めてからもう一四回聞いたよ」


 日曜日、普段は閑古鳥かんこどりが大合唱しているくせに休日になったとたん客が増えやがる〝甘色あまいろ〟の事務所にて。

 ようやく休憩時間となり、事務机に突っ伏しながらうめいた俺の前に、爽やかスマイルのイケメン野郎こと久世真太郎くせしんたろうがコーヒーの入ったカップを置きつつ言った。


「だからちゃんと朝ごはん食べて来なよっていつも言ってるじゃないか」

「う、うるせえな……うちの母親オカンと同じ事言うな」


 文句と共にコーヒーの礼を告げ、〝小野悠真〟と俺の名前が刻まれたセンスのないマグカップに口を付ける。

 同じく〝久世真太郎〟と刻まれた揃いのカップにミルクを注ぎながら、久世は腹が立つほど綺麗な顔で笑う。


「――でも食欲が出たなら良かったよ。このところ、小野くんはずっと元気がなかったからね」

「それも昨日、桃華ももかに同じ事言われたわ……」

「あはは、そうなんだ。桐山きりやまさん、二人のことをかなり心配してたからね。もちろん僕と金山かねやまさんもだけれど」

「ほんとお人好しだな、お前ら……若干一名、悪魔が混ざってるけど」


 一昨日おととい、俺と七海ななみとの一件が解決してからというもの、桃華も久世も肩の荷が下りたような顔をしている。

 二人の恋を応援している身の俺としては、大事なバレンタインの日に無駄な時間を割かせてしまったと遅まきながら後悔したりしているのだが……。


「……その、迷惑掛けて悪かったな。スマン……いや、ありがとう」

「ははっ、急にどうしたんだい? 小野くんらしくもないね」

「どういう意味だよ!? 人が素直に礼言ってやってんのに!? つーかそれも昨日桃華に言われたんだけど!?」

「ご、ごめんごめん。でも小野くんに素直にお礼を言われるとあれだね。不気味だね」

「テメェ最近俺に対して遠慮なくなってきたな!?」


 まったく失礼な野郎だ……日頃から彼に対して散々罵詈雑言を吐いている俺が言えたことではないが。

 俺が「もう二度と礼なんか言わねえからな」とぶつくさ文句を垂れつつ、昼飯の入ったコンビニのビニール袋を鞄から取り出していると、久世が「そ、そういえば」と露骨に話題転換を図ってきた。


「あれから金山さんとは話したかい? 実は今回の件で、彼女が一番頑張ってくれたんだけれど」

「ん? ああ、あの日の夜に電話でちょっと話したぞ。そんで『礼なんか要らないから実利で返せ』って言われた」

「そ、そうなんだ。金山さんらしいね」

「ああ」


 ちなみにその〝実利〟というのが、昨日桃華が久世に渡したであろうバレンタインチョコのことなのだが……流石にそれを久世本に言うわけにはいかない。


「(……でも実利それとは別に、金山にもなんか礼しねえとな。なんだかんだ、アイツにはかなり世話になってるんだし……)」


 あのギャルは口も言動も悪いが、親友の桃華に関することについては協力的でいてくれている。

 俺と七海の〝契約〟について黙ってくれていたのもそうだし、クリスマスデートの噂になった時も解決に動いてくれた。まあ本人は「桃華のためにやったんだ」とか言いそうだし、実際そうなのだろうが……。


「(……あれ? そういやバタバタしてて聞きそびれたけど、金山アイツってどこで俺と七海の〝契約〟がお仕舞いになったって知ったんだ……?)」


 明太子おにぎりを頬張りながら首を傾げる。先日の言動を考えれば、あの女は間違いなく俺たちの事情を完全に把握していたはずだ。

 しかし俺は彼女にその話をしていない。とすると七海から聞き出した……ということでもないだろう。

 俺が知る限り七海と金山に直接的な接点はないし、そもそもあの偏屈な御嬢様が第三者の金山にそこまで詳しい話をするとも思えない。もし金山にさえ話して聞かせるくらいなら、妹である七海美紗みさがわざわざ俺のところまで話を聞きに来ることもなかったわけで――と、そこで俺はハッとした。


「(もしかして……あの時か!? 金山の喫茶店で七海妹に色々話して聞かせた時、聞き耳立ててやがったのか!)」


 俺が誰かに七海とのことを話したのなんてあの日くらいだ。十分にあり得る……というか、たぶん間違いないだろう。

 しかし仮にも客の会話を盗み聞きするとかえげつないなアイツ……いや、今回はそれに助けられたわけなんだが……。


「(まあ別に金山に聞かれて困るような話はしてないし、問題ないけど……。……問題ないよな?)」


 俺とて七海未来と交わした会話を一字一句覚えているわけではないので、一抹の不安が胸に宿る。

 だが久世や桃華にあの話を聞かれたならともかく、既に〝契約〟のことを知っている金山に知られて困ることなど最早ない……はずだ。


「……小野くん? どうかしたのかい、すごく険しい顔をしてるけれど……」

「えっ? ああいや、なんでもない……」


 心配げに覗いてくる久世に返事をしつつ、自分の心に「大丈夫、大丈夫」と気休めのように言い聞かせながら――それでも俺は、今まさになにやら厄介ごとが起きているような気がしてならなかった。

 ……そういえば、今日は桃華はシフト休だったな。

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