第一五七編 The day after Valentine㉓



「――久世くせくん、ごめんお待たせ! ま、待った!?」

「やあ桐山きりやまさん。ううん、僕も今さっき来たばかりだよ」


 待ち合わせの定番とも言えるような言葉を交わしつつ、駆け寄ってきた桐山桃華ももかに久世真太郎しんたろうが優しく微笑みかける。

 場所は、二人の友人が最近アルバイトを始めたという喫茶店だ。休日の昼間ということもあり、店内はそれなりに込み合っている。

 奥のテーブル席を確保してくれていた真太郎にお礼を言いつつ桃華が座ると、タイミングを見計らったかのようにエプロン姿の店員――金山かねやまやよいがやって来た。


「いらっしゃいませ。今日はわざわざ来てくれてありがと」

「こんにちは、金山さん。こちらこそお招きありがとう。驚いたよ、金山さんも喫茶店で働いていたなんてね」

「まあね。桃華この子が喫茶店で働いてるの見て楽しそうだなって思ってたから」

「それならやよいちゃんも〝甘色あまいろ〟に来れば良かったのに……」

「嫌だよ。知り合いの後輩になるとかあり得ないし」

「なにその変なプライド」


 桃華がクスクスと笑うと、遠くの客が「すみませーん!」と声を上げた。「ごめん、もうすぐ上がりだから二人で話してて」と残して注文オーダーを取りに行くやよいを見送ってから、真太郎はメニュー表を差し出して言う。


「昨日はお疲れ様、桐山さん」

「あ、ううん。久世くんの方こそ」

「いや、僕は結局なにも出来なかったからね」


 今日は二月一五日。すなわち、彼らが裏工作をしてまで小野悠真おのゆうま七海未来ななみみくを引き合わせた次の日の夕方である。

 そして昨晩、その〝お疲れ様会〟をしようと急遽きゅうきょやよいが言い出したので、こうして彼女の働く喫茶店に集まったわけなのだが……昨日すぐに戦線離脱せざるを得なかったことを思い出しているのだろう、真太郎が苦笑した。


「本当にごめんね、桐山さん。本当は僕が未来の話を聞くつもりだったんだけれど……」

「き、気にしないで! それに久世くんがいなかったら七海さんは屋上に来ることもなく帰っちゃってたんだから!」


 胸の前でぶんぶんと両手を振って、落ち込む真太郎をフォローする桃華。その言葉通り、彼が機転を利かせて七海美紗ななみみさ――おそらくこの世界でも数少ないであろう、七海未来と対等に話ができる少女に連絡を取ってくれなければ、〝嘘の手紙〟に気付いていた未来が話に応じることはなかったはずだ。


「と、というか美紗ちゃんも凄いよね。あんな急にお願いしたのに、よく間に合ったなぁ……」

「ああ……えっと、それはね」


 真太郎はもう一度苦笑し、少し言いづらそうに続ける。


「美紗は、バレンタインの日は毎年欠かさずチョコレートを贈ってくれるんだ。それも必ず直接、手渡しで」

「!」

「だからその……今年も近くまで来てくれてるんじゃないかと思って、ね……。彼女の好意を利用するようなやり方になってしまって、本当に申し訳なかったんだけれど……実際、そのことを本人に謝ったら『ちょっと怒ってますけど、でも許してあげます!』って言われちゃったよ」

「そ、そうだったんだ。……いい子だね、美紗ちゃん」

「うん、本当にね」


 美紗が真太郎の急な頼みに直ぐ様応じてくれていなければ、おそらく昨日は失敗に終わっていたことだろう。感謝の念を贈ると共に――桃華はぐっ、と机の下で拳を握る。

 七海美紗が間に合ったのは、彼女がバレンタインチョコを渡すべく、初春はつはる高校の放課後に間に合うように行動していたからこそ。つまりは、真太郎への想いがあったからこそなのだ。


「(……凄いなぁ、美紗ちゃん……)」


 桃華が知る限り、彼女ほど真太郎のことを想う異性は居ない。

 勉強会の日、真太郎のことが好きなのか、という桃華の問い掛けに対し、彼女は言った。


『――好きですよ。ずっと……本当に、ずっと前から』


 ――あんな風に、桃華じぶんもなれるだろうか。

 あれほど強く、真っ直ぐに真太郎を想い続けられるだろうか。

 答えは、まだ出ていない。出せるはずもない。答えを知りたいと願うならば、現実に彼を想い続けるしかないのだから。

 だから、今はまだ――


「桐山さん、注文はどうす――」

「く、久世くん!」

「えっ、は、はいっ?」


 急に固い声を張った桃華に、真太郎は反射的にピシ、と居住まいを正した。


「こ……これ、受け取ってもらえ、ますか……?」

「えっ……これは……チョコレート?」


 桃華が両手でうやうやしく差し出したのは、可愛らしいラッピングが施されたチョコレートだった。一口大のコロっとした粒が五つほど入っている。


「あ、あのっ、そのっ……! 実は昨日はバレンタインデーだったらしくてですねっ! でも私っ、昨日は悠真たちのことで頭が一杯で忘れてたっていうか、それどころじゃなかったっていうか……い、いえっ、決してバレンタインデー様を軽視していたとかではなくっ!?」

「う、うん分かった、分かったからとりあえず落ち着いて、桐山さん」


 緊張のあまりバレンタインデーに敬称を付けだした彼女をなだめつつ、真太郎は受け取ったチョコレートの包みを眺める。


「ありがとう、桐山さん。……開けてみても、いいかい?」

「ふぇっ!? あっ、はい、ドウゾ……!」


 カタコトで頷く桃華に、丁寧にラッピングのリボンをほどき、個包装されているうちの一つを取り出す。

 見た目に反してずっしりと重量感のあるそれを口に含むと――真太郎は軽く目を見開いた。


「これは……い、苺……?」

「う、うん。その……く、久世くんはたくさんチョコレート貰ったんだろうなって思ったから、なるべく甘すぎないのがいいと思いまして……」


 桃華が贈ったのはコーティングチョコレート。溶かしたチョコレートを果物の表面に薄塗り、そのまま冷やし固めたものだ。言ってしまえばチョコバナナの親戚のようなものである。


「あ、あんまりバレンタインっぽくないし、変かもしれないけど……」

「ううん、そんなことないよ」


 微笑み、真太郎は言う。


「すごく美味しいよ、桐山さん。本当にありがとう」

「そ、そう? 良かった……」


 ホッと息をつき、桃華も彼と同じように嬉しそうな笑みをこぼした。



 そんな二人の様子をそっと影から見ていたやよいは、心の中でやれやれ、と呟く。そこには昨夜ゆうべ遅くまで桃華が試行錯誤する様子を見ていたからこその安堵と――それ以上に彼女の成長を喜ぶ姉のような優しさが見え隠れしていた。


 この数週間、様子がおかしかったのはなにも悠真と未来だけではない。桃華だって真太郎に対する想いに悩み、苦しんでいた。そしてそれは、まだ解決には至っていない。

 しかし昨日の帰り道で、桃華は自分から言ってきたのだ。「久世くんにチョコレートを贈りたい」と。

 それは彼女が真太郎に恋をして以来初めて、自分の恋に対して積極的になった瞬間だったかもしれない。


 一体なにが彼女の背中を押したのだろう。

 以前言っていた〝ライバル〟の存在による危機感か、それともこの数週間、彼女なりに真太郎のことを考え続けた結果か。

 もしくは――七海未来と話した中で、なにか思うところでもあったのだろうか。そこまでは分からない。

 それでも今日、桃華は一歩を踏み出した。小さくても、確実な一歩を。


 ――臆病な桃華この子の背中を押すには、私一人じゃ力不足なんだよ。


 ふと、昨日そんな風に考えていたことを思い出す。


「(……もしかしたらこの子は、私が思うよりずっと強くなってるのかもしれない)」


 少なくとも、教室の外からただ真太郎を眺めるばかりだった頃の彼女よりも、ずっと。

 けれど、そんな臆病な桃華を変えたのはやはりなのだろう。

 影から彼女を支えてきた、あの男なのだろう。


「(……まったく……どっちつかずだよな、私も……)」


 桃華が思い悩んでいたら背中を押そうとするくせに、いざ彼女が真太郎を真っ直ぐに見つめ始めると、今度はを不憫に思うのだから。

 結局彼らがどうなれば満足なのか、最早彼女自身にもよく分からない。


「(……つくづく面倒くさいな、恋愛って)」


 ついつい考え込んでしまいそうになる頭を振り、真太郎がチョコレートを鞄に仕舞ったタイミングを見計らって、やよいは二人の待つ席へと向かった。

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