第一五三編 The day after Valentine⑲



「――上手くやってるだろうな」


 一人静かに呟いて、少女――金山かねやまやよいは夕方の空を見上げた。

 場所は初春はつはる学園学生食堂横に設置されたベンチ。すぐ側にある自販機で購入したパックの豆乳をすすりながら、彼女は投げ出した足を組み替える。

 今日――つまりバレンタインデーに屋上で行われている件に〝黒幕〟がいるとすれば、それは間違いなく彼女だろう。


 切っ掛けは二日前、やよいの新しいアルバイト先である喫茶店に、このところなにやら問題を抱えていると周囲に心配されている小野悠真おのゆうまが、見知らぬ女子を連れてやって来た時のこと。

 瞬間的に浮かんだ感想こそ「小野コイツ、あんだけ桃華ももかのことが好きとか言ってたくせに、なにのうのうと女子連れ歩いてんだ」というものだったが、よくよく見ればその少女はどこかの誰かに似た雰囲気を纏っていた。

 それがあの学園一のお嬢様――七海未来ななみみくの妹だということに気付くのに、そう時間はかからなかった。


 悠真の抱える問題が七海未来関連のものだということはやよいも知っていたので、なぜその妹と悠真が一緒に現れたのかが疑問だった。

 しかし仕事をするフリをしつつ、さりげなく彼らの話を盗み聞いていたところ、どうやら悠真と未来が例の〝契約〟のことで揉めているらしいということが分かったのである。より正確には、未来から一方的に〝契約〟をお仕舞いにされた、ということのようだが。


 やよいとしては、悠真が七海未来の妹に〝契約〟云々のことを含め色々と話していたこと自体驚きだったが……それ以上に〝契約〟が無に帰したということには驚かされた。

 なにせ悠真は、やよいが「悠真アンタと桃華との恋を応援してやろうか」と持ち掛けてもそれを突っぱねてしまうような大馬鹿野郎だ。それくらい、彼は桃華のことを真剣に応援している。

 だからこそ、七海未来という唯一無二に等しい協力者を彼が簡単に手放したことが信じがたい。いや、本人に「お仕舞い」だと言われた以上、どうしようもなかっただけかもしれないが……。


 だがその後も話を聞いているとやはりというべきか、少なくとも悠真本人は未来との〝契約〟を続けていたい様子がうかがえた。しかし一方で、未来本人が〝契約〟の破棄に思い至った詳細な理由を語らなかったため、どうすることも出来なかったらしい。

 やよいに言わせれば「直接聞けばいいだろ」とも思うが……他人ひと嫌いで有名なあのお嬢様相手ではそう簡単にはいかないのかもしれない。

 そう思ったからこそ――やよいは動いたのだから。


 桃華と真太郎しんたろうの二人に悠真の抱えている問題を――もちろん〝契約〟関連の部分は上手く誤魔化しながら――伝え、七海未来から話を聞き出すための算段を立てた。

 本来であれば、悠真と二人で話をさせるべきだろう。桃華と真太郎も最初はそう主張していた。


 だがそれは悪手だろう。未来は言うまでもないが、悠真の強がりかつ意地っ張りな性格も加味すれば、二人きりで話させたところで解決に至らない可能性の方が高い。

 かといって桃華ややよいが話を聞こうとしても、あのお嬢様が話してくれるとは思えない。彼女から距離を置かれているという真太郎は言わずもがなだ。

 そもそもあの二人の間にある複雑な事情を考えれば、結局のところ悠真本人が話を聞くしかないのである。これでは堂々巡りだ。


 そこでやよいは考えた。呼び出しだけを悠真にさせ、実際に話を聞くのは桃華たちにすればいいのでは、と。携帯電話を通話状態にしておくなりすれば、悠真にも会話内容を伝えられる。要するに騙し討ちの真似事だった。

 当然桃華や真太郎は「いくらなんでも」と言ってきたが、それはやよいの「小野のためだ」という一言で黙らせた。目的のためなら手段を選ぶようなやよいではない。


 しかし、結局その作戦は成立しなかった。他でもない悠真が協力的ではなかったのである。

 彼曰く「そんな手が通じる相手じゃない」とのことだったが……それは建前だったのだろう。

 きっと悠真は怖かったのだ。そんな真似をして、これ以上七海未来との溝が深まることが。

 無理に関わりを持とうとして嫌われるくらいなら最初から近寄らないという選択肢。ある意味利口とも言えよう。だからこそ彼はこの数週間、未来と話をしてこなかったのだろうから。


 だがやよいは納得出来なかった。未来との関係を改善しようとしないことに、ではない。、だ。

 彼はいつもそうだ。他人のためならば無茶な真似だって平然とするくせに、自分のこととなると途端に臆病になって縮こまる。

〝勇気〟がないからと桃華に告白もせぬまま失恋し、今度は対話もせぬまま七海未来との関係を終わらせようとしている。


 理解できない。他人のためになら出来ることを、どうして自分のためにしてやれないのか。

 桐山きりやま桃華のために、久世くせ真太郎のためにと言う前に、どうしてまず小野悠真じぶんを大切にしないのか。

 そこまで考えた時、やよいの中にぽつりと、一つの考えが浮かんだのだ。


 ――もしかしたらあのお嬢様も、小野のこういうところが気に食わなかったのかな……。


 なんの根拠もない妄想だ。やよいにとって未来は、一度も言葉を交わしたことのない〝遠い世界の住人〟である。当たり前だが、彼女が悠真のことをどう思っているかなんて分からない。

 ただそれでもなんとなく――あの少年の無茶を一番近くで見てきたであろう彼女なら、そう思っても不思議ではないと感じられた。

 だとしたら――なおのこと悠真は、彼女と話すべきではないのか。


「――あっ、やよいちゃん!」

「! 桃華……」


 そこまで回想していたところに、幼馴染みの少女が校舎から出てきた。

 今の今まで未来と一対一で話していたであろう彼女は、やよいの姿を見つけるとすぐに駆け寄ってくる。


「どうだった?」

「う、うん。あんまり話は聞けなかったけど――でもきっと、大丈夫」

「……そっか。……ごめんね、桃華アンタ一人にやらせるようなことじゃなかったんだけど……」

「い、いいよいいよ! やよいちゃんがここに居てくれなかったら、七海さんが帰ろうとしたのに気づけなかったんだし!」


 やよいが屋上に行かずこんなところにいたのは、未来が手紙――結局悠真を説得しきれずやよいが捏造ねつぞうしたもの――を無視して帰ろうとした場合に備えてのことである。この場所は下駄箱と屋上へ続く階段への中間に位置するので、手紙を読んだ彼女がここを通らなければ、彼女は呼び出しに応じなかったということになる。

 現に未来は手紙の差出人が悠真でないとその場で見抜いていたので、やよいがそれを即座に真太郎に連絡しなければそのまま帰ってしまっていたかもしれない。


「……後は、当人同士の問題だな」

「……うん」


 首を持ち上げ、校舎の屋上を見やる。

 桃華が下りてきたということは、屋上にいるは今頃――


「――大丈夫だよ、やよいちゃん」


 そんなに不安そうな顔をしていただろうか、桃華がやよいを安心させるかのように言う。


「悠真も七海さんも素直じゃないかもしれないけど……でもきっと、もう逃げたりしないから」

「……そうだな」


 フッ、と笑い、やよいはベンチから立ち上がった。


「……そういやアンタ、人のことばっかり考えてるけど、自分のことはどうするつもりなのさ」

「えっ? ど、どういう意味?」

「バレンタインだよ。久世にチョコとか渡さないわけ?」

「バレッ!? い、いやいや、そんなの無理だよ! バレンタインチョコなんて、『好きです』って言ってるようなものじゃん!」

「はあ? 今『もう逃げたりしないから』とか言ってたくせに」

「そ、それは悠真たちのことだからいいの!」

「自分のことを棚上げにするな! というかこないだ副産物的に知ったけど、アンタが前言ってた〝ライバル〟ってあの子でしょ、七海未来の妹!」

「ッッッ!? ななななんで知ってるのやよいちゃん!? 私ちゃんと隠してたのに!?」


 親友とギャーギャーと騒ぎあいながら、やよいは胸の中で告げる。


 ――臆病な桃華この子の背中を押すには、私一人じゃ力不足なんだよ。だから――


「(――さっさと仲直りして戻ってこい、馬鹿野郎)」

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