第一五一編 The day after Valentine⑰
一〇年もの間想い続けた
それでも未来は、彼に手を貸した。
都合が良かったからだ。悠真は未来の幼馴染みである
事実、悠真と過ごす日々は、未来にとってそれなりに居心地が良かった。
基本的には彼女のすることに対して不必要な干渉をしてこないし、桃華に対する一途な想いがあるからか、周りの人間が不躾な視線を送ってくる未来の容姿にも惑わされることがない。
外ではサングラスとマスクが必須だった未来にとって、彼は非常に貴重な存在だったのだ。
仮にもセブンス・コーポレーションの社長令嬢でもある未来に対してズケズケと言いたいことを言ってくるあの少年は、彼女のことを本当に〝ただの同級生〟としてしか見ていなかったのだろう。
そしてそれは、未来の方も同じだった。
貴重な相手ではあったがそれ以上は特に思うところもなく、〝契約〟という形で互いに互いを利用するだけの関係。
だからどうでも良かった。彼がなにをしようとしていても、自分はただ求められた情報を提示し、対価を得るだけ。
彼が苦しんでいるのは知っていた。その
けれど未来は無関心を貫いた。それは彼が望んだ結果だったから。
その〝痛み〟を越えた先にこそ、彼の目的はあったから。
――それが揺らいだのは、一体いつのことだっただろう。
未来はいつの間にか、彼の抱える〝痛み〟を無視できなくなっていた。
他でもない彼自身が望んだ結果だとしても、それでも彼の苦しそうな
以前までの未来なら、決してそんなことは考えなかっただろう。
しかし――そうはならなかった。
あの勉強会の日、
それまでの彼女なら〝どうでもいい相手〟だと答えただろう。しかしあの時の未来の答えは「分からない」だった。嘘ではない。彼女は本当に分からなかったのだ。
自分にとって小野悠真という男がどういう存在なのかが。
彼という存在をどのように形容すればいいのかが。
ただ漠然と「今のままではいけない」と思っていた。
今のままでなんの問題もなかったはずなのに。
だが、思ってしまった。「今のままではいけない」と。
現状に満足できていない自分に、気づいてしまったのだ。
――
――
――
聡明な彼女は考えたが、一向に答えは出ない。
当然だ。彼女の聡明な部分――理性は、既に「今のままで問題はないはずだ」と結論を出しているのだから。なんとなくそう思う程度の感情に、明確な答えなど出せるはずもないだろう。
しかし
――
記憶を辿れば、初めてそう思ったのはクリスマスの夜だったのかもしれない。
桃華のプレゼントのために真冬の川へと飛び込んだ彼を見たとき、彼女の胸に去来したのは、小さくも確かな怒りの感情だった。
どうして彼女のためにそこまでするのか。
どうしてプレゼントごときのためにそこまで出来るのか。
どうして危険と分かっていながらそんな真似をしたのか。
どうして――もっと
きっと同じ事を他の誰かがしていても、未来は特になにも思わなかっただろう。
馬鹿な人間が馬鹿な真似をした。その程度の認識で終わったはずだ。仮にそれで取り返しのつかないことになったとしても、〝自業自得〟の一言で片付けたに違いない。
だが悠真に関しては、どうしてもそれだけで済ませることは出来なかった。
頼まれてもいないのに助けに行き、求められてもいないのに叱責した。
二度とこんな愚かなことをするなと――しないでくれと、言わずにはいられなかった。
きっとあの瞬間からだったのだろう。あの瞬間から、未来にとって悠真は〝どうでもいい相手〟ではなくなったのだ。
そして考えた。彼が無茶をする原因はなにかと。
根本的な原因を考えるなら、桃華の恋を応援しているからだろう。
悠真は桃華に、彼と同じ
しかし、本当にそれだけだろうか。
いや、彼が根本的な原因は確かにそれだろう。だが彼が現実に無茶をするようになったのは何故だ?
それは頑張れば――無茶をすれば、真太郎と桃華をくっけられる可能性があったからだ。
学年一の人気者である真太郎と、彼とはまったく接点のなかった桃華を交際に
何故だ? ――誰かが手を貸すようになったからだ。
誰かが、真太郎の情報を教えて聞かせたからだ。
誰かが、悠真一人では不可能だったことを可能に変えてしまったからだ。
誰かが、彼の側に居たからだ。
――
気付いてしまった時には、彼女の中に彼との〝契約〟を続ける意思は消え去っていた。
己を省みず、たとえ自分が傷付こうとも他人のため、
どこまでも利己的で身勝手な人間だと、自分のことを嘲笑う。
結局、自分が傷付くのが嫌なだけ。
子どもの頃からなにも変わっていない。
「――私はもう、彼が傷付くところなんて見たくない」
子どもの
学園に響く吹奏楽の音色が、丁度途絶えた瞬間のことだった。
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