第一四九編 The day after Valentine⑮

「――今年もずっと好きでした。来年も、再来年も、その先も……私はずっとあなたのことが大好きです」


 ただ、顔が熱い。心臓が脈打つ。

 それでも目を逸らさずに言い切った私に、真太郎しんたろうさんは暫くポカーンとした後――静かに笑みを漏らした。

 わ、笑われた――!?


「ちょ、ちょっと真太郎さん!? なに笑ってるんですか!? 人の真面目な告白に対して!?」

「い、いやいや、ごめん。違うんだよ、美紗みさ


 顔をさらに赤くして抗議する私に、真太郎さんは柔らかな笑顔のまま言う。


「――ありがとう。君は毎年、そうやって緊張しながら言ってくれるね」

「……当たり前じゃないですか」


 私が真太郎さんに想いを告げたのは、今日が初めてというわけではない。

 といっても勿論軽々しく口にしたこともない。私が真剣に告白するのは毎年この日――バレンタインデーだけと決めている。

 今年ずっと好きでした――一年間、彼を想い続けたことの証明として。


「だ、だからって笑わないでください! こんなの、何回やったって緊張するに決まってるでしょう!?」

「ほ、本当にごめん。決して、君を馬鹿にしたわけじゃないんだ」

「じゃあ何が可笑おかしいんですか!?」


 恥ずかしさと怒りのあまり声が大きくなる私に、真太郎さんはやはり柔らかい笑みを浮かべたまま、私のことを真っ直ぐに見つめる。


「――君は昔から本当に変わらない。あの頃の、優しい君のままだ。……それが、なんだか嬉しくてね」

「……」


 というのがいつのことかなんて、聞くまでもない。

 お姉ちゃんから笑顔が消えた頃のことだ。

 あの時から私はずっと真太郎さんのことが好きで。

 そして――


「――真太郎さんは、今でもお姉ちゃんのことが好きなんですよね?」

「! ……そう、かもしれないね」


 私が問い掛けると、真太郎さんはわずかに目を見開いた後、小さく苦笑する。

 それは〝恋〟なんて単語と結びつけるにはあまりにも苦く、そしてつらそうな笑み。

 こんな笑顔かおを私はつい最近、別の誰かが浮かべているのを目にしたばかりだ。


「それなのに……いいんですか。小野おのさんのことを助けるような真似をして」

「……」


 私の言葉に、今度は真太郎さんはなにも答えなかった。

 意味が伝わらなかったわけはないはずだ。彼はきっと、その脅威いみを正確に理解できている。

 だからこそ――言わずにはいられなかった。


「真太郎さん。もう一度言います。私は、真太郎さんのことが好きです」


 今度ばかりは、私の頬が熱を帯びることはない。


「だから、今真太郎さんが誰を好きでも構いません。いつか絶対、私に振り向いても貰える自信がありますから」

「……」

「ですが、私は無意味にライバルを助けるようなことはしません。あなたのことが好きな別の誰かに塩を送るつもりなんてない」


 脳裏に浮かぶのは、一人の臆病者ライバルの顔。

 私は、たとえ彼女がどれだけ真摯に真太郎さんのことを想おうが、譲ってあげるつもりなんてこれっぽっちもありはしない。

 だから彼女の恋を応援したいという小野さんとお姉ちゃんの〝仲直り〟に自ら手を貸すようなつもりもしない。

 私が今日お姉ちゃんを動かしたのだって、真太郎さんに頼まれたからに他ならないのだから。


「……それでも真太郎さんは、あの二人を元の関係に戻したいんですか? いつかあの人は――小野さんは、あなたにとって障害となり得るかもしれないんですよ?」


 ――実際は、そうはならないだろう。あの人はあの人で、お姉ちゃん以外の誰かを真っ直ぐに想い続けているのだから。

 だが真太郎さんはそんなこと知らないはずだ。知らないはずなのに、いつか脅威になりかねない相手に手を貸そうとしている。

 あの人と同じ事をしようとしている。

 それが私には、どうしても理解出来なかった。


「……美紗。最近、未来は変わったと思うかい?」

「……は? なんですか、それ……まあ、少しは変わったと思いますけど……」


 私の言葉に答えを返さぬまま聞いてきた真太郎さんに、私は疑問符を浮かべる。


「だとしたら――それは小野くんのお陰だと僕は思う」


 薄紅色に染まった空を見上げながら、彼は続けた。


「僕が――いや、他の誰もがずっと変えられなかった彼女を、小野くんが変えたんだ。今の彼は、未来にとってかけがえのない存在になりつつある」

「そんなこと……。……」


 そんなことない、とは言えなかった。

 なぜならそれは、私自身が考えていたことでもあるからだ。


「……僕が一番好きだったのは昔の――よく笑う彼女なんだ。あの頃の、いつも楽しそうに笑っていた彼女に、僕はなによりも強く惹かれた」

「……」

「僕はもう一度、あの頃の未来に会いたい。そしてそれが出来るのはきっと、小野くんしかいないんだ」


 真太郎さんが、真っ直ぐに私の瞳を見つめる。そこに迷いの色はなく、あるのはむしろ――


「それに、たとえそうじゃなくたって、小野くんは僕の大切な友だちなんだ。彼が悩んでいるのに、見て見ぬふりをするような僕にはなりたくないし、そんな僕が未来の隣に立てるはずもない」

「……」


「未来も小野くんも――僕にとってかけがえのない、大切な人だから」


「…………あーもう! 分かりましたよ!」


 声を上げ、私は真太郎さんからぷーいっ、と思いっきり顔を背けてやる。


「そこまで言うならもう口出ししません! あーあ、人がせっかく忠告してあげたのに聞き分けないんですから!」

「ご、ごめんね……」


 ハハハ……とばつが悪そうに笑う真太郎さんに顔を見られないよう、私は彼に背中を向ける。きっと今、とても見せられないような顔をしているに違いないから。


 ――そうだ。私はこの人の、こういうところが好きなんだ。

 自分のためじゃなく、誰かのために動けるこの人のことが。

 私にはないものを持っているこの人のことが、私はずっと好きだったんだから。


「……でも、大丈夫なんですか?」

「え?」

「あの人――桐山きりやま先輩。お姉ちゃんと今話してるんですよね? というか、本当になんでわざわざあの人がお姉ちゃんと話を? 直接小野さんと会わせれば良かったじゃないですか?」


 そこだけは本当に疑問だった。お姉ちゃんと小野さんを仲直りさせようとしているのに、肝心の小野さんが居ないのでは意味がないじゃないか。

 それともお姉ちゃんと桐山先輩に話させなければならないことでもあったのだろうか? いやでも、そもそも本来は真太郎さんもその場に立ち会う予定だったわけで……私が呼び出したせいでその予定を狂わせてしまったが。


「……いいんだ」


 真太郎さんは言う。


「――、素直じゃないからね」


 その瞳は、改修予定の体育館越しに何かを見つめているようだった。

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