第一四六編 The day after Valentine⑫



 美しい少女が、錆び付いた鉄扉てっぴを押し開ける。

 鍵は掛かっていなかった。そのことに不思議はない。

 何故なら、彼女には既に分かっていることだったから。

 、ここにいることくらい。


「! み、未来みく!」

七海ななみさん!」


 現れた彼女の視界に立っていたのは、高身長に加えて非常に整った顔立ちをした少年と、愛嬌のある可愛らしい雰囲気の少女――久世真太郎くせしんたろうと、桐山桃華きりやまももか

 二人は鉄扉を閉じる彼女――七海未来ななみみくを前に背筋を伸ばし、緊張の表情をたたえていた。


「……ご、ごめんなさい、七海さん」


 最初に、桃華が頭を深く下げる。


「じ、実はあの手紙は――」

「――小野おのくんが出したものではない」

「!」


 言葉を遮るようにそう言った未来に、桃華が驚いて顔を上げる。隣に立つ真太郎も、似たような反応を示していた。


「……な、なんで分かったの……? その……悠真ゆうまが書いたものじゃない、って……」

「字を見れば分かることでしょう。そもそも、彼が私を呼び出すならわざわざ手紙なんか使わないわ」


 未来の下駄箱に入れられていた、差出人が〝小野悠真〟となっているあの手紙。だがそれはあの少年にしてはやけに綺麗な文字で書かれていた。

 そしてなにより、彼は未来の電話番号もメールアドレスも知っている。もし彼が未来を呼び出したいのなら、確実にそちらの手段を用いるはずだ。

 特に彼は、未来が自分の下駄箱に入れられている手紙を、誰よりもよく知っているのだから。


「……ごめん、未来」


 次に口を開いたのは真太郎だった。


「最低なやり方だと分かった上で、どうしても君に聞いてほしいことが――いや、があったんだ。どうか、許してほしい」


 そして彼もまた、深く深く頭を下げる。

 未来はあの手紙を出したのがこの二人でもないということまで見抜いていたが、そこまで追及するつもりはなかった。そんなこと、彼女にとってはどうでもいいことだ。

 しばらく頭を下げ続けていた真太郎がやがてゆっくりと顔を上げるのを待ってから、桃華が言いづらそうに切り出す。


「そ、それで……私たち、七海さんに聞きたいことがあるんだけど……い、いいですか?」

「……その前に、久世くん」


 桃華の問いかけに答えず、未来は真太郎の方を見た。その黒の瞳に射抜かれたがごとく、真太郎が「は、はいっ」と姿勢を正す。


美紗みさが、貴方に用があるみたいだから行って貰えるかしら」

「えっ?」

「……えっ?」


 突然そう言われ、真太郎と桃華は揃って間抜けな声を出した。


「あ、あの……その前に僕たちの話を――」

「貴方が美紗のところへ行くというなら話を聞いてあげるわ。けれどそれが出来ないというのなら、私も貴方たちの話に付き合うつもりはない」

「……!」


 未来の言葉を受けて、二人は困ったように顔を合わせる。

 おそらく彼らの〝話〟というのは、今この屋上に立っている三人でしたかったものなのだろう。だが未来は、それを分かった上でこの交換条件を出したのである。


「……行ってあげて、久世くん」

「! き、桐山さん……」


 桃華の言葉に、真太郎は不安げに彼女を見た。


「だ、大丈夫。久世くんが居なきゃ出来ない話ってわけでもないんだし……」

「……。……分かった」


 わずかに声が震えている桃華を見てしばらく悩むように瞳を閉じ、やがて真太郎は首を縦に振る。


「……ごめんね、桐山さん。後のことは……」

「う、うん。任せて」


 短く言葉を交わしてから、真太郎は錆び付いた鉄扉の向こう側へと消えていった。

 屋上に立っているのは――桃華と未来の二人だけだ。

 放課後の学園に吹奏楽部の合奏が響き渡るなか、桃華がごくりと唾を飲み込む。

 対する未来は、相変わらず感情の読めない瞳で、桃華のことを見据えている。


「……それで、一体なんの話かしら」

「! う、うん……あ、あのね、七海さん……」


 口火を切った未来に、桃華は一度深く息を吸ってから、覚悟を決めたように言った。


「七海さんは――悠真のこと、どう思ってるんですか?」

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