第一四二編 The day after Valentine⑧

あの後しばらく小野おのさんと話してから、私は彼を解放した。

本郷ほんごうの運転する車で彼を自宅前まで送り届け、こんな遅くまで拘束してしまったことを謝ってから、私たちも帰路に着く。

話を聞くまでは小野さんがお姉ちゃんに無礼なことをしたのでは、という疑いがあったとはいえ、今にして思えば明日の学校帰りを狙って話を聞くなりすれば良かったのだ。まあ、明日は明日で私にはとても大事な用事――というか準備があるのだが。

小野さんがぶっきらぼうながらも「気にしなくていい」と言ってくれて助かった。彼も彼なりに、私がお姉ちゃんのことを心配していたのだと分かってくれていたらしい。


「……それにしても、驚くことがたくさんあったわ。特に……ふふっ」


車の中で一人言を呟き、堪えきれない笑みを浮かべる私。

もしかしたら今日は、数年単位ぶりの〝いい日〟なのかもしれなかった。嬉しさのあまり、意味もなくぶらぶらと足を揺らしてしまう。

そんな私の様子をバックミラーで見ていたのか、本郷が「み、美紗みさお嬢様……? どうかされましたか?」と心配するように聞いてくる。


というのも、私は喫茶店で気付いたこと――お姉ちゃんが小野さんとの〝契約〟をお仕舞いにした本当の理由――については、まだ小野さんにも本郷にも教えていない。

ほぼ間違いないという確信はあるものの確証はないし、それに部外者わたしから伝えるべきことでもないと思ったからだ。

本郷には別に話してもいいかもしれないが……とりあえず今はやめておこう。彼女だって私に秘密を貫いたのだし、ちょっとした仕返しだ。


「ううん。なんでもないわ。……それよりごめんね、本郷。無理に一日付き合わせたりして」

「滅相もございません。……ですが、美紗お嬢様はよろしかったのですか?」

「ん? なにが?」

「いえ、その……美紗お嬢様は、今でも久世くせ様のことを……」

「ああ、そのことね」


本郷は小野さんやお姉ちゃんが、私の好きな真太郎さんと桐山きりやま先輩をくっつけようとしていたことについて、そしてそのことを知りながら私に隠していたことについて、気を悪くしていないかが心配なのだろう。

喫茶店を出る前に小野さんにも聞かれたことを思い出し、私は苦笑する。


「気にしていないから安心しなさい。そもそもあの小野さんとコミュニケーション能力だけは壊滅的なお姉ちゃんが協力したところで、っていうのは変わらないしね」

「さ、左様でございますか。……申し訳ございませんでした」

「だから気にしてないってば。そもそも本郷あなたが謝ることなんてなにもないでしょう」


律儀な彼女にクスクスと笑い、「……でも」と私は言葉を続ける。


「桐山先輩が真太郎さんのことを好きだというのは、少し気に食わないわ」

「……それは、美紗お嬢様の障害となりうるからでしょうか?」

「違うわよ。言ったでしょう、私は負けないって。半年だか一年だか知らないけど、ついこないだ好きになった程度の人に想いで負けるもんですか」

「それでは、一体なにが……?」


本郷の問いかけに、私は数週間前、あの勉強会日に桐山先輩と直接話した時のことを思い返す。


『……もしかして美紗ちゃんは――久世くんのことが好きなの?』

『――好きですよ。ずっと……本当に、ずっと前から』


「……私は真っ直ぐに答えたのに、あの人はそれにこたえなかった。本当に好きだというなら、その気持ちを隠さずに持つべきでしょう」

「……」

「そういう意味では、小野さんが桐山先輩の恋を応援しているのは理解しがたいわね。臆病者に手を貸したって、意味なんてないのに」


私はさっきまでの喜びの感情を顔から消して、真剣な声で言う。


「最後には真太郎さん本人に告げなければならない想いを、私一人にさえ伝えられない人間になにが出来るの? ずっと小野さんとお姉ちゃんが陰から助けてきたってことは、裏を返せば本人はなにもしてないってことじゃない。そんなので真太郎さんと結ばれて嬉しいのかしら」

「……分かりかねます。しかし桐山様は、小野様の助力についてなにもご存知ではありませんので……」

「だとしてもよ。本人が努力をしていないことは一緒だわ」


ピシャリと強い口調で言い切る。少しばかり腹が立ってきた。

本人が諦めたと言っていても、小野さんがずっと一途に桐山先輩を想い続けてきたのは事実なのに、どうして彼が損な役回りばかりをしているのだろう。

自分の恋に対して努力しない人間が得をするなんて、どう考えたって間違って――


「(……あれ、なんで私、小野さんなんかのためにこんな怒ってるんだろ……。自分の恋に対して努力してないのなんて、小野さんだって一緒じゃない……)」


あの後聞いたことだが、小野さん自身は桐山先輩に一度も想いを告げることのないまま身を引いたそうだ。告白する〝勇気〟がなかったとかなんとか……。


「(よく分からない人だな……好きな人のために身を引くだけならまだしも、だからって真太郎さんライバルとの恋を応援しなきゃいけないわけでもないのに……)」


もしかしたらその辺りにもなにか事情があったのかもしれないし、ないのかもしれない。流石にほんの一時間足らずで、本当の意味ですべてを聞き出すことは出来なかったから。

だけど、どうしても思ってしまう。「勿体ない」と。

私と似た境遇だったからだろうか。ずっとずっと、同じ人だけを想い続けた真っ直ぐな人の恋が叶わないことが、悔しいのかもしれない。


だって、それは或いは――七海美紗わたしの恋もまた、決して上手くいくとは限らないということの証明のようでもあるから。


「……」

「……美紗お嬢様?」

「ん? ああ、ごめんね。本郷からしたら答えに困るよね、お姉ちゃんだって一応は桐山先輩のことを応援する側だったんだし。今のは聞かなかったことにしてくれる?」

「かしこまりました」


思うところはあるだろうに即答してくれる本郷に感謝しつつ、私は車窓しゃそうから冬の夜景を眺める。

考えるのは今日聞いたたくさんの話と――お姉ちゃんのこと。


「(……どうするつもりなの、お姉ちゃん。このままで、本当にいいの?)」


お姉ちゃんが何を考えているのかは分かった。……だが、それだけだ。状況そのものは一切変化していない。

私は彼らの関係に口を挟むつもりなんてない。口を挟むとしたら、それは私の恋が成就したその後だ。


お姉ちゃんのことは大好きだ。小野さんのことも、信頼に足る人だと思えるようになった。

私の考えが正しいのなら――このまま放っておくべきではない。

だが同時に、私は桐山先輩を認めることも出来ない。正確には、彼女の恋にとって追い風となるような真似をわざわざしてあげる義理はないのだ。


それにさっきも考えた通り――部外者わたしが口を挟むようなことでもない。いくら喜ばしいことでも、それはお姉ちゃんが自分の手で掴みとってこそだろう。

だけど、このままだときっと上手くいかないはずだ。現にお姉ちゃんは学校からも小野さんの喫茶店からも距離をおいている。


「(本当に不器用なんだから……)」


窓から見える綺麗な月と星空を仰ぎ、私は願う。


――誰か、お姉ちゃんのことを助けてあげて――





奇しくも美紗が星に願っていたその頃。

机に向かい勉学に励んでいた彼女――桐山桃華ももかの携帯電話が振動した。


「……あれ、やよいちゃんから……? どうしたんだろう……」


幼馴染みの少女から突如として掛かってきた着信に首を傾げつつ、液晶画面を操作して電話に出る。


「もしもし、やよいちゃん? どうかしたの? というか今日バイトだったんじゃ――」

『――桃華』


電話口の向こうから聞こえてきた真剣な声に、桃華は疑問符を浮かべつつ口を閉じる。


『――小野と七海未来みくのことで、話があるんだ』

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