第一四一編 The day after Valentine⑦



私が披露した推理は、どうやら概ね正しかったらしい。

小野おのさんは一つ息をつくとすぐに――さっきの店員さんが注文の品を届けてくれてから――お姉ちゃんとの〝契約〟のことを色々と話して聞かせてくれた。もちろん「これから俺が話すすべてを誰にも口外しないこと」は絶対条件だったが。


理由ワケあって幼馴染みである桐山きりやま先輩の真太郎しんたろうさんへの恋を応援することにしたこと。

その過程で真太郎さんと七海未来おねえちゃんが幼馴染みだと知り、真太郎さんの情報と引き換えに彼女の人払いのような真似をすることになったこと。

ただしその〝契約〟関係は小野さん曰くいびつで、今思えばお姉ちゃん側の負担ばかりが大きかったということ。

そして先日――勉強会の日の直後、お姉ちゃんから〝契約〟はお仕舞いだと言われたこと。


他にも私が目撃していたクリスマスの時のことなど細かい話はあったが、要約するとこんなところだ。

私の注文したホットミルクがすっかり冷める頃にようやく話し終えた小野さんは、同じく温くなっているだろうコーヒーで唇を湿らせてから、もう一度息をつく。


「――まあだから、今の俺と七海ななみの間に何があったのか、って聞かれりゃ、『なにもなくなった』っていうのが簡単かもな。……あれから結局、一回も話してねえし」

「そうですか……まあ学校は休みがちで、あの喫茶店にも顔を出していないとなるとそうなりますよね」

「ああ。……単純に声を掛けづらいってのもあるけどな」


情けない顔で苦笑して、小野さんはコーヒーを飲み干した。

対する私は、小野さんが話の中で微妙にぼかしていた点に言及する。


「あの……小野さんが桐山先輩を応援したいって思ったのは……もしかして、桐山先輩のことが好きだったからですか?」

「ぶっ!? なな、なんでそれを……!?」

「あっ、やっぱりそうなんですね」


これは以前の勉強会でなんとなくそうなのかも、程度に感じていたことだ。

あの時は小野さんとお姉ちゃんが仲良さげなので、もしや好きあっているのでは、なんて考えていたからモヤモヤしたものだった。しかしそれも、二人が単なる協力関係だとするなら納得がいく。


――単なる協力関係だとするなら、だけどね……


「七海妹? どうかしたか?」

「……いえ、なんでもないです。というか今更ですけどその呼び方、もうちょっとなんとかならないんですか?」

「は? な、なんだよいきなり……お前が名前で呼ぶなとか言ったからだろうが」

「いえ、それは下の名前で呼ばれたから――ああ、そっか、名字だとお姉ちゃんと被っちゃうんでしたね。面倒くさい……」


そもそもどうしてこの人に下の名前で呼ばれたくなかったんだっけ……あっ、そうだ。最初は小野さんがお姉ちゃんにいかがわしいことをさせてるとか思ってて、その後真太郎さんのことを悪く言われたりしたから、なんとなく気に入らなくて、意地になって……。


「えっと……そんなに嫌なら別の呼び方にするけど……?」

「……いいです、七海妹のままで。私が小野さんにとって、七海未来おねえちゃんの妹であることは変わらないので」

「は、はあ……お前がいいならいいんだけど」


じゃあなんでそんなこと言い出したんだよ……とでも言いたげな顔をする小野さん。

そんな彼から目を逸らし、喫茶店の店員さんがテーブルを拭いているのを意味もなく眺めながら、私はくすりと小さく微笑む。

色々と勘違いをしていたようだが、この人はそんな悪い人ではないらしい……真太郎さんのことを悪く言ったのは今でも許さないけど。

でも〝好きな人の恋を応援する〟なんて、なんだか格好良く思える。しかも小野さんと桐山先輩は幼馴染みらしいし、そういう意味では元々二人は私と真太郎さんに近い関係だったってことで――


「(……幼馴染み?)」


そこまで考えて、私の頭に一つの疑問が生まれた。


「……小野さんは、いつから桐山先輩のことが好きだったんですか?」

「は、はあ!? な、なんだよさっきから。そんなのお前が知りたい話とは関係な――」

「関係あります。答えてください」


私が言い切ると、小野さんは言いたくなさそうにしつつ、やがてぼそりと言った。


「……具体的には覚えてねえよ。気付いたときには、もう好きだったからな」

「……!」


――同じだ。

私と、同じだ。


「……今でも桐山先輩のことが、好きですか?」

「いや、だから今は久世との恋を応援してるって――」

「他の人の存在を除外して考えるなら。あなたの気持ちだけを考えるなら、どうですか?」

「……好きだよ。ずっと……たぶん、これからも」


――それも、同じだ。

私と、まったく同じだ。


「(……それなのにどうしてこの人は……自分の恋を諦めてまで……)」


それは純粋な疑問だった。

たぶん好きな人に対する想いの丈は、私の方が上だ。私は今更自分の恋を諦めるなんて絶対に出来ないから。

私はどんな手を使ってでも真太郎さん好きな人を振り向かせてみせる。恋愛に生きる者として正しいのは――他者からの共感を得られるのは間違いなく私の方だ。

逆に言えば――小野さんの行動を真に理解し、共感してくれる人はごくわずかだろう。



「……桐山先輩のことを諦めたのは……真太郎さんがいたからですか?」

「……いや、どうだろうな。きっかけは久世アイツがいたからかもしれないけど……結局俺は久世アイツがいなくても――桃華ももかが久世に惚れてなくても、理由をつけて告白しないままだったかもしれない」

「そうですか……それじゃあ――」


私は一呼吸おいてから、核心に至る質問をする。


「――お姉ちゃんは、を知っていますか?」


「……? ああ。七海アイツが覚えてるかは知らないけど、何回か話したことはあるよ」


――カチャリ。


私の中で、パズルが完成する音がした。


お姉ちゃんは自ら小野さんとの〝契約〟を終わらせて。

それなのにお姉ちゃんは何故か様子がおかしくて。


小野さんは桐山先輩のことが今でも好きで。

それなのに小野さんは桐山先輩の恋を応援していて。


第三者わたしの目には二人がとても仲良さげに見えて。

でもそれは〝契約〟のことがあったからで――


――〝契約〟のことが、あったせいで。


『あ、あのねっ、お姉ちゃんっ! お……小野さんのこと、どう思ってるっ!?』

『いやっ……そのっ、なんかすごく仲良さげに見えたからさ!?』


『――仲良さげに……見えてしまうのね。やっぱり、私たちは……』

『――のよ』


「(――そういうことなんだね……お姉ちゃん)」


体から力が抜けていくのを感じる。

それと同時に、お腹の底の方からが湧き上がってくる。思わず表情を崩してしまって、小野さんに怪訝けげんな顔をされるくらい。

真剣な話をしている最中に突然相手がニヤニヤし始めたら少なくとも良い気分ではないだろう。そう分かってはいるのだが……どうしても表情かおが元に戻らない。


――分かってしまえばなんてことはない。

至って普通の感性の話だった。

あなたなら友だちと赤の他人、一体どちらを助けたいか、という程度の話だ。

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