第一四〇編 The day after Valentine⑥

「……まあ、七海ななみとの間にあったことを全部話せって言われてもだな……」


 注文を終えた後、俺は後頭部をボリボリと掻きながら話し始めた。


「正直なところ、俺もよく分かってないんだよ。どうしてこうなったのか、っていうのが」

「『こう』っていうのは……どういうことなんです?」


 聞く姿勢を整えた七海妹が首をかしげる。


「えっ……いやだから……俺が七海アイツに距離をおかれたことだよ」

「距離をおかれた……? あの、すみません。そもそも私はお姉ちゃんと小野おのさんが今どういう状況なのかすら知らないんですけど……」

「はあ!? お、お前……本当になにも知らないまま俺のところまで来たのかよ!?」

「はい。私はただ、本郷ほんごうがお姉ちゃんの様子がおかしいのはやっぱり小野さんとのことを気に病んで……みたいなことを言ってたので、場合によっては小野さんをシメようと思っただけです」

「さらっと怖いこと言うな」

「怖くないです、普通です」


 コイツ、一体どういう行動力してんだ。せめてもうちょい裏とってから動くだろ、普通。……それだけ七海のことが心配だったってことなのかもしれないが。


「私もこのところ、お姉ちゃんがあんまり学校に行ってないんだってことは知ってたんですよ」

「!」

「でも特に気にしてませんでした。お姉ちゃんが学校を休みがちなのは今に始まったことじゃないし」


 中学の時も半分くらい休んでたような気がします、と七海妹は続けた。……そんだけ休んでりゃ、初春はつはるの推薦に選ばれるわけないな。


「でも、だからこそ今回の本郷の様子が気になったんです」

「? どういうことだよ?」

「お姉ちゃんが学校にあんまり興味がないことはもちろん本郷だって知ってるんです。なのに今回の彼女は、かなりお姉ちゃんのことを心配していました。もともと過保護気味ではあるんですけど……それ以上に」

「……」

「そこに同じ高校の小野さんの名前が出てきたら、普通に怪しみますよね?」

「……まあ、俺がお前の立場なら、七海が俺に何かされたんじゃねえか、とは思うな」

「でしょう? とはいえ、もしそうだとしたら本郷が黙ってるわけないので、流石に本気で疑ってはいませんでしたが」

「だからさらっと怖いこと言うな」

「怖くないです、普通です」


 確かに本郷さんなら、俺が七海に何かしようとした瞬間にいつぞやのコンクリートよろしく俺のことを粉々にしてきそうだよな……。

 頭から若干血の気が引いていくのを感じて俺が震えていると、七海妹が「ところで小野さん」と話を切り替えてきた。


「〝契約〟ってなんですか?」

「!?」

「お姉ちゃんと何か〝契約〟を結んでいるんですよね? それについて教えて下さい」


 な、なんでコイツがそのことを知ってんだ……!?

 その疑問が顔に出ていたのだろう、彼女は「ああ、違いますよ」と適当に手を振る。


「本郷から聞いたとかじゃありません。ちょっと前にお姉ちゃん本人から聞いたんですよ。どういう〝契約〟なのかまでは小野さんに口止めされているから、と教えてはくれませんでしたけど」

「口止め……ああ、そういやしたっけな……」


甘色あまいろ〟で勉強会をした時に、空気の読めない七海あのバカ桃華ももかたちの前で平然と色々口走りそうになったから釘を刺したことを思い出す。


「なので教えてください。お姉ちゃんとの〝契約〟のこと。それが今回のことと関係してるんですよね?」

「いや教えてくれって言われても……。……七海に口止めしてた時点で〝聞かれたくない話〟だとは思わないのか?」

「安心してください、私口が固いので」

「いや、そういう問題じゃなくてだな……」

「じゃあ、何が問題なんですか?」


 答えを渋る俺に、七海妹が不服そうに眉を寄せる。

 もし彼女が無関係だったなら、七海妹に俺たちの〝契約〟のことをバラしたところでなんの支障もないだろう。

 だが、この子は――


「……七海妹。一つだけ聞かせてくれ」

「なんですか?」

「――久世くせのことは、好きか?」

「!? な、なんですか急に!?」


 俺の唐突な質問に、彼女はポッと顔をあかく染めた。

 そして両頬を可愛らしく抑えながら、くねくねと身をよじらせる。


「きゅ、急にそんなこと言われてもぉ……いえ、真太郎しんたろうさんは世界一素敵な殿方ですしぃ、私だって昔からお慕いしてますけどぉっ……!」

「――。真面目に聞いてるんだ。答えてくれ」

「……」


 俺が真面目な顔で聞くと、彼女はピタリと動きを止めて――そして微笑しながらこちらを見た。


「――大好きですよ。肉親を除けば、この世界の誰よりも」


 真っ直ぐな言葉だった。疑う余地もないほどに。

 どれだけ本気で久世のことを想っているのかが――想ってきたのかが分かるほどに。

 しかし……だからこそ迷う。


「……今このタイミングでその質問をしたということは……お姉ちゃんと小野さんの〝契約〟に、真太郎さんが関係している、ということでよろしいですか?」

「! ……ああ、そうだ」

「……ふぅん」


「しまった、少し露骨な質問をしすぎた」と内心で焦りながらも俺が素直に頷くと、彼女の瞳の奥の色が変わったような気がした。

 まるで……パズルのピースが揃ったかのような、そんな雰囲気だ。


「お姉ちゃん、小野さん、真太郎さん……と来たら、後は桐山きりやま先輩ですよね。七海別邸うちで勉強会をしていたメンバー」

「!」

「そういえば前に小野さんたちの喫茶店で、小野さんとお姉ちゃんが話しているのを聞いたこともありましたね。……あの時に勉強会のことを決めていましたっけ」


 俺が初めて七海妹を見た時のことか。……あの時は〝七海の妹〟という情報に驚いて思考から外れていたが……確かに俺たちのすぐ近くに座っていた。会話の内容を聞かれていてもおかしくはない。


「流石に全部聞き取れたわけではありませんが、私の記憶違いでなければ、小野さんはお姉ちゃんに『桐山先輩を学年上位に入れたいから』……みたいな話をしていましたよね? 私も初春高校に推薦が決まっている身なので、〝特待組〟の条件はよく知っています」

「……」

「あの他人ひと嫌いのお姉ちゃんがわざわざ呼び出しに応じてまで聞く話がそんなことなのかとは思いましたけど……あれが〝契約〟に関する話だったとすれば説明はつきます。お姉ちゃんは〝契約〟をそれなりに重視していたみたいでしたし。つまり――」


 七海妹の推理は続く。


「お姉ちゃんと小野さんの〝契約〟に真太郎さんと桐山先輩が関係しているのは間違いありません。それにそうでもなければあのお姉ちゃんが七海別邸うちに人を入れるなんて有り得ませんし」

「……」

「そういえば他にも、少し前に変な噂がありましたね。たしか……〝クリスマスに真太郎さんが女の子と二人きりでデートしていた〟とかなんとか」

「…………」

「でもクリスマスの日、真太郎さんはバイトだったはず。……あれれ、そういえば桐山先輩もあの喫茶店のアルバイト、してましたよね?」

「………………」

「〝お姉ちゃん〟、〝小野さん〟、〝契約〟、〝真太郎さん〟、〝桐山先輩〟、〝特待組〟、〝勉強会〟、〝噂〟、〝アルバイト〟、そして〝デート〟……」


 浮かび上がったキーワードを指折り数えて――七海妹は確信ありげな瞳で俺のことを射抜く。


「これだけ揃うと私には――お姉ちゃんと小野さんが、真太郎さんと桐山先輩をくっつけようとしている、としか思えないんですけど?」

「……やっぱり怖いよ、お前……」


 俺が額に汗が浮かんでいるのを感じながら言うと、目の前の中学生はニッコリと、それこそ天使のような笑顔を見せた。


「怖くないです、普通です」

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