第一三九編 The day after Valentine⑤

 ――お仕事が終わったらお店の前で待っていてください。


 七海ななみ妹にそう言われた俺は、バイトが終わり次第店の外へ出る。

 いつもは閉店後も何かと話しかけてくる店長が今日はあっさりと帰してくれたのは、流石にただの偶然だろうか。

 このところ、店長の俺を見る目がおかしい気がする。……いや、変な意味ではなく、なんというか、心配されているような気がするのだ。


「(こないだ久世くせにも聞かれたしな……そんなに分かりやすいのか、俺は……?)」


 これでも一〇年間、誰にも桃華ももかへの恋慕を悟られずに生きてきたので、てっきり自分は感情を隠すのが上手いのかと思っていたのだが……どうやらそうでもないらしい。


「――あら。思ったより早かったのね、小野おのくん」

「……二度目は効かねえぞ」

「あらら、それは残念」


 ちっとも残念じゃなさそうに言いつつ、りずに七海の――姉の声真似をしてきた七海妹が近寄ってくる。後ろには当然、本郷ほんごうさんの姿があった。


「……お前も暇な奴だな。大体こんな時間まで中学生が外出歩いてんじゃねえよ」

「好きで小野さんなんか待つわけないじゃないですか。真太郎しんたろうさんなら無限にでも待ち続けますが」

「気持ち悪っ」

「……あ、あの、そんな真顔で言わないでもらえますか。普通に傷付くんですけど」


 彼女は若干頬をひくつかせてから、はぁ、と息を吐き出した。


「寒いですし、とりあえずどこかに入りましょうか。本郷、この辺りにまだ開いているお店はあるかしら?」

「はい。車で少し行ったところに深夜一時までやっている喫茶店がございます」

「うん、じゃあそこでいいわ。小野さん、いいですよね?」

「……ああ」


 嫌だ、と言っても本郷さんを従えているこのお嬢様は無理矢理にでも連行しようとするだろう。だったら素直に従っておいた方がいい。


「ふふ、お利口りこうさんですね。それじゃ、行きましょうか」



 ★



 本郷さんの運転するいつもの高級車で約五分、車から降りた俺たちが入ったのは〝甘色あまいろ〟とは別の喫茶店だった。そこそこ有名なチェーン店ではあるが……七海家のお嬢様でもこんなところに入るもんなんだな。まあ〝甘色うち〟も似たようなもんだが。

 人気店だけあって、基本ガラガラの〝甘色〟と違ってちゃんと客が入っている。とはいえ時間が時間なので、混んでいると言うほどでもない。

 なんとなくライバル意識を覚えつつ小洒落たガラスの扉を押し開けて中に入ると、店員の一人がこちらに向かってきた。


「いらっしゃいま――あれ……小野?」

「は? えっ……か、金山かねやま!?」


 予想外のところで出会った一応幼馴染みの悪魔ギャル――金山やよいに、俺は思わず変な声を上げた。そんな俺を見て、七海妹が小首を傾げる。


「あら、お知り合いですか?」

「し、知り合いっつーか……魔界出身の人だ」

「誰が魔界出身の人だよ。普通にこの辺で生まれ育ったわ。なんでアンタがここに来んのよ。コーヒーくらい自分の喫茶店で飲めばいいでしょ。帰れよ」

「二言目で『帰れ』って言い出す店員とかいる? というかお前って喫茶店でバイトしてたっけか?」

「最近バイト変えたんだよ、前の店長がウザすぎて。……というかその子…………今自首すれば軽い罪で済むと思うよ?」

「誘拐じゃねえわ。どっちかと言えば俺が半誘拐されてるくらいだっつの」

「失敬ですね、小野さん。私はちゃんと『いいですよね?』って同意をとったじゃないですか」

「……『嫌だ』って答えてたらそのまま帰してくれたのか?」

「帰すわけないじゃないですか」

「じゃあやっぱり半誘拐じゃねえか」


 拒否権を与えないまま得た同意を振りかざしてくる妹様にため息をつくと、金山が「……まあなんでもいいけど」と呟く。


「空いてるお席へご自由にどうぞ。注文が決まったらベル鳴らしてくれればいいから」


 それだけ伝えて、金山は一礼もせずに厨房の方へと戻っていった。……アイツ、あんなんでちゃんとバイトになってんのか? いや、流石に相手が俺だからだろうけど。

 言われた通り空いている席に進むと、四人掛けテーブルの対面側に七海妹が座る。ちなみに本郷さんは店内には入ってきていない。


「……小野さんにもお姉ちゃん以外の女の子のお友だちがいるんですね。ちょっと生意外なまいがいです」

「生意外ってなんだよ。それはあれか、〝生意気〟と〝意外〟を組み合わせたのか」

「しかも結構可愛い人だったじゃないですか。可愛いっていうよりは美人って感じでしたけど」

「知らねえよ。そもそも俺と金山アイツは友達じゃねえし」

「あっ、やっぱりそうなんですね」

「……納得されたらされたで腹立つな。……って、そんなことはどうでもいいんだっつの」


 俺は目の前に座る七海美紗みさに本題を切り出す。


「単刀直入に聞くけど、お前は何が知りたくて俺のところに来たんだよ」

「え? 説明要ります? それ」


〝甘色〟の時と同じようにペラペラとメニューをめくりながら、七海妹が質問を返してくる。


「……お前の姉さんのことなら、本郷さんに聞いたんじゃねえのかよ? それ以上何を知りたいんだ」

「ああ、いえ。本郷からはなにも聞いてませんよ。本人が言いたがらなかったので」

「はあ? ……ああ、まああの人ならそうか……」

「ええ、そういう子なんですよ、本郷は」


 中学生が倍ほども年が離れていそうな大人の女性に〝子〟という表現を使うことに違和感を覚えるが、雇い主とボディーガードという関係上、七海妹の方が明確に上の立場であることは間違いない。

 そしてその本郷さんは、俺と七海のことをこの妹に話してはいないようだ。確かによくよく考えれば、彼女は主人の秘密を話すような人じゃないだろう。


「ですから『何が知りたくて』と問われれば『全部』としか答えられませんね。話してください、全部。お姉ちゃんとの間にあったことを」

「しれっとめちゃくちゃなこと言うな、お前……」

「めちゃくちゃじゃないです、普通です」


 ピンポーン、と、俺に注文が決まったかどうかを聞きもせずに注文オーダーコールを押した七海妹は、続けて俺の目を見て言う。


「――お姉ちゃんの様子がおかしいことを妹が心配するのなんて、普通です」


 その黒の瞳の奥には、真剣な想いがあるように感じられた。

 七海の様子がおかしい、というのはどういうことかよく分からないが……七海妹は本気で姉のことを心配して俺のところへ来たのだろう。

 テーブルまでやってきた金山に注文をする彼女を見て――俺は初めて、出会ったときから相性の悪かったこの少女に親近感を覚えたのだった。

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