第一三八編 The day after Valentine④

 前触れもなく、そして丁度彼女のことを考えていたタイミングで現れた七海ななみ妹――七海美紗みさと、何故か彼女の後ろに控えている七海未来みくのボディーガードである本郷琥珀ほんごうこはくさんに、俺は言葉を失った。

 より正確にはまさか彼女たちが〝甘色ここ〟に来るとは夢にも思っていなかったので、どうしたらいいのか分からなくなったのだ。


「――あら、お客が来たのに案内もないのかしら、

「ッ!?」


 聞き慣れたその声に思わず目を見開き、喫茶店の入り口を見る。……が、当然ながらはそこに居なかった。

 するとクスクス、と七海妹がいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「似てるでしょう? 昔よく真太郎しんたろうさんを騙したりもしたんですよ」

「……!」

「お姉ちゃんが来たと思いました? 残念ですけど、お姉ちゃんは来ませんよ」

「……べ、別に何も言ってねえだろ」

「ええ、言ってませんね。〝目は口ほどに物を言う〟とも言いますけど」


 露骨な反応を示してしまった俺に、してやったりと言わんばかりの顔をする七海妹。腹立つ。

 ……が、流石は姉妹と言うべきか……悔しいが、本当に七海が来たのかと思わされてしまった。

 そして問題は――なんで七海妹コイツが今、このタイミングでここへ来て、このタイミングで姉の真似をしたりしたのか、だ。


 ちらっ、と本郷さんの顔を見る。普段は七海の後ろに静かに控えているイメージが強いが、今日はなにやらバツの悪そうな表情をしていた。


「(……なるほど。つまり七海妹は、本郷さんから俺と七海のことを聞いてここに来たわけだ)」


 勉強会の夜、最後まで俺に――そして七海に何かを言いたげにしていた彼女のことを思えば、妹である七海美紗に事情を話した可能性は高い。

 そして俺に何やら敵対心を抱いている様子の妹様が、俺の首をとらんと乗り込んできた、と。


「……あの、小野おのさん? 先ずは席に通してもらえません?」

「え……あ、ああ。えっと……二名様、でいいのか?」

「ええ。本郷、あなたも同席しなさい」

「かしこまりました、美紗お嬢様」

「じゃあ……こちらへどうぞ」


 頭を下げた本郷さんと七海妹を連れ、彼女たちを六番テーブルまで通す。


「ありがとうございます」

「……」

「……本郷? 何してるのよ」

「申し訳ございません。……ただ未来お嬢様は、たしかいつもこちらの席に着かれておりましたので」

「!」


 六番テーブルに対面する位置にある七番テーブルに目を向けつつそう言った本郷さんに、俺は内心で「しまった」と後悔する。

 案の定、おそらく事情を把握している七海妹が「へぇ~? ふぅ~ん?」と嫌味な顔で笑った。


「まあそうですよねえ? もしかしたらお姉ちゃんが来るかもしれませんもんねえ?」

「そ、そんなんじゃねえよ……」


 否定はするものの、それらしい言い訳が思いつかないなら効力は薄い。

 七番テーブルをなるべく空けておくのは、もはや癖みたいなものだ。なにせ七海は俺が〝甘色あまいろ〟に雇われるより前からこの店の常連で、〝七番さん〟のためにあの席を空けておくのは暗黙のルールみたいなものだったから。


「ま、そういうことにしておいてあげます」


 ペラペラとメニュー表をめくりながらそう言うと、七海妹は続けて「今日のおすすめとかありますか?」といてくる。

 それに適当に答えてやると彼女は「んー、どれもイマイチですねえ」と失礼なことを言いながらメニューを閉じた。


「お姉ちゃんはいつも何を頼んでたんです?」

「は? いや、そんなの日によって変わるだろ」

「そうなんですか? じゃあその中でもお姉ちゃんのお眼鏡にかかったものはどれでした?」

「まあ、七海アイツはケーキセットはほぼ毎回頼んでたけど……」

「じゃあ私もそれでいいです。あとドリンクも適当に。本郷、あなたも好きなものを頼んでいいわよ」

「ありがとうございます。ではブラックコーヒーをいただけますか?」

「あら、コーヒーだけ? もっと他にも頼んでいいのよ? 無理に連れ出してきたんだから、それくらいご馳走するわ」

「いえ、私は甘いものは控えておりますので」

「そうなの? 服部はっとりならここぞとばかりに注文するんだけど……まあいいわ。じゃあそれでお願いします、っ」


 わざとらしく注文してくる七海妹にイラッとしつつ、「かしこまりました」と軽く会釈してキッチンへ戻る。

 そして五分ほど経ってから注文の品を持って六番テーブルへ向かうと、七海妹が本題とばかりに口を開いた。


「小野さん。私が今日、どうしてここに来たのか分かりますか?」

「……さあな。久世にでも会いに来たのか」


 俺は机に皿を並べながら無愛想に答える。


「違いますよ。そもそも今日は真太郎さんはお休みでしょう?」

「なんでテメェがそんなこと知ってんだよ」

「そりゃ私、この店のシフト表の写しを持ってますし」

「なんで!? なんでこの店とまったく関係ない人間がうちのシフト表を持ってんだよ! 怖いなお前!?」

「怖くないです、普通です。基本的に七海美紗わたしがその気になれば、手に入らない情報なんてありませんから」

「……七海未来どっかのバカも大概だと思ってたが、金持ちってのは本当、なんでもありだな」

「ええ。なんでもありですし、なんでもしますよ。……なんでよりによってブラックコーヒーなんですか。私飲めないんですけど」


 適当に、と言ったくせに俺が運んできたブラックコーヒーにけちをつけながらちゃぽちゃぽと卓上に備えてある角砂糖とミルクを投入していく七海妹。……こういうところを見ると、あの女と姉妹なのだなと思わされる。


「――七海美紗わたしがその気になれば、手に入らない情報なんてありません」


 甘くしたコーヒーに口をつけてから、七海妹が言葉を繰り返す。


「だから私は、今日ここに来たんですよ」

「……!」


 決して大きな声ではないのにとても年下の中学生とは思えないほど〝力〟を伴った一言に、俺は情けなくも若干気圧けおされる。

 やはり姉妹だ――俺はなんとなく、〝甘色ここ〟で初めて七海とまともに話した時のことを思い出していた。

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