第一三六編 The day after Valentine②

「その話、詳しく聞かせて」


 私がそう言うと、本郷ほんごうは「え……」と小さな声を出した。そして続けて「しまった!」と言わんばかりに口を押さえる。

 どうやら今の小野おのさんがどうこうという発言は、彼女的には心の中の呟きだったらしい。

 優秀な彼女らしくもないミスだ。最初から我が家につかえていた服部はっとりと違い、元軍人の彼女はお姉ちゃんのレベルに合わせて雇われたボディーガード。いくらお姉ちゃんが絡んでいることとはいえ、こんな〝うっかりミス〟なんてそうそうしない。


「(それほどの事態ってこと……?)」


 だとしたら、余計に聞かずにはいられない。

 ましてやあの人の――小野さんの名前が出たとあっては尚更だ。

 まさかとは思うが、小野さんに襲われたとかそういう事情がないとも限らないだろう。いや、流石に考えすぎだろうけど。


「み、美紗みさお嬢様。申し訳ございません。私、急ぎの用事がございまして、失礼させていただいても――」

「逃げるな」


 スッ、と直立して〝完璧護衛官〟っぽいたたずまいで場を乗り切ろうとする本郷にぴしゃりと言いつける。


「本郷、命令よ。今のお姉ちゃんの状況について、あなたが知ってることをすべて話しなさい。私に分かるように、ね」

「お、お許しください美紗お嬢様!? み、未来みくお嬢様のご許可もなく、そのようなご命令に従うわけには……!?」

「あら、七海家令嬢わたしの言うことが聞けないわけ? ふ~~~~~ん……?」

「うぐっ……!?」


 命令権パワハラを用いて口を割らせようとする私。……い、一応断っておくが、私は普段使用人たちに「私はお嬢様なんだぞー!」みたいな態度をとったりはしていない。そんな態度をとるのは服部に対してだけだ。

 それに――こういうのは、たまに使うからこそ効果があるものだし。

 現に本郷は、まさか私がこんなことを言い出すとは思いもよらなかったのか、珍しく滝のような汗を流している。


「(……でもお姉ちゃんの許可もなく、か……。まあお姉ちゃんと小野さんの間にがあるっていうのは知ってたけど……前に〝契約〟がどうとか言ってたしね……)」


 以前お姉ちゃんに聞いたときも「口止めされてる」みたいなこと言ってたっけ。本郷が答えられないっていうのも無理はないな。主人の秘密を勝手にバラすなど、側近として不適格すぎる。

 ……でも、そんなの関係ないけど。


「……答えないって言うなら、パパに言いつけてもいいんだけど?」

「!? こ、幸三郎こうざぶろう様に、何を言いつけるおつもりでございますか!?」

「『お姉ちゃんの様子がおかしいー』って。『本郷は何か知ってるみたいだけど教えるつもりはないみたいー』って。間違いなく大事になるだろうねぇ。だってパパだもん。きっとうん十人のお医者さん連れて乗り込んでくるよ、七海別邸ここに」

「うっ……!」


 簡単にその光景が想像できたのか、本郷がうめき声を上げる。

 パパの私たち姉妹への過保護っぷりは、彼女もよく知るところだろう。そうでもなければ現役の軍人からわざわざ選抜して護衛官につけたりはしない。


 かつて、お姉ちゃんが笑わなくなった時は大変だったとお祖母ばあちゃんに聞いた。それこそ何十人もの医者を呼びつけて、お姉ちゃんをさせたらしい。……結果がかんばしくなかったことは言うまでもないが。

 今でこそ「一人でいたい」というお姉ちゃんの意思を尊重し、彼女の好きなようにさせているが……そんなパパに「お姉ちゃんの様子がおかしい」なんて伝えようものなら、どうなるかは火を見るよりも明らかだ。


 そして――敢えて明言はしなかったが、その場合責任の所在は間違いなく本郷へ向かうだろう。パパは温厚だが、わたしたちが関わると何をしでかすか分からない。

 長くお姉ちゃんに寄り添い、その信頼を得ている彼女が首を切られる可能性は低いだろうが……。

 私の言外の主張を正しく理解しているであろう本郷は、苦悩するように両の瞳をギュッ、と閉じた後――そっと私を両目で見据えた。


「――申し訳ございません。それでも未来お嬢様のご許可なく、私の口からなにかをお話しすることは出来ません」


 絶対の忠誠が、そこにはあった。

 たとえお姉ちゃんの側に居られなくなったとしても、それでも主人の不利益となり得る行動はしないという覚悟の表れだ。


「(まったく……服部に見倣みならわせたいわ。……それともあの子も、私に秘密があったらこうして守ってくれるのかしら)」


 ――守ってくれるのだろうな、と確信しつつ、私は微笑する。


「み、美紗お嬢様……?」

「ん? ああ、ごめんね、意地悪なこと言って」

「え……あ、あの……?」

「最初からパパに言いつけるつもりなんてなかったわよ。あれで話してくれたらラッキー、って思っただけ」


 私が言うと、本郷は露骨にほっとしたようだった。流石に私の前で息をついたりはしないが。


「そもそも本郷あなたがクビになりそうだったらお姉ちゃんとかお祖母ばあちゃんが黙ってないだろうしね。二人がかりでパパのこと完全論破ボコボコにしてでも阻止するよ」

「い、いやそれは流石に……」


 本郷はどう返したものか迷ったように苦笑するが、私はたぶんそうなると思う。特にお祖母ばあちゃんなんかは「七海別邸うちのことに幸三郎アンタが口出しするな!」と怒り散らかすだろう。そしてお姉ちゃんは冷ややかに「帰って」と言う気がする。

 大企業の社長だろうがなんだろうが、父親パパの家庭内での立場というののは案外低い。ちなみにうちの場合は頂点トップがお祖母ばあちゃん、次点でママ、その次が私たち姉妹で一番下がパパだ。……パパ自身、最下層であることを喜んでいるフシがあるけど、まあそんなことはどうでもいい。


「……でも」


 声の調子を変えて、私が言う。

 安心した様子の本郷には悪いが――生憎あいにくこのままというわけにはいかない。


「私の命令が聞けなかったんだから……相応の罰はあるべきだと思わない、本郷?」

「……はい。なんなりとお命じください、美紗お嬢様」

「い、意外とあっさり受け入れるのね?」

「当然です。七海家に仕える身でありながら、美紗お嬢様のご命令に背いたことは事実ですので」

「い、いや、そこまで気にされるとむしろ困るんだけど……」


 服部みたいならこの場面で「そんな理不尽な!」みたいなことを言うのだけど……従順すぎるというのも考えものだ。


「そ、そんな大したことを言うつもりじゃないから。本郷、あなた今からなにか用事がある訳じゃないのよね?」

「? はい。未来お嬢様には『今日はもう用はない』と言われておりますので……。……言われておりますので……」

「うん、ショックだったのは分かるけど泣かないでくれる? じゃ、じゃあ丁度いいわ。車を出して頂戴」

「? かしこまりました。……ですが、どちらへ?」

「決まってるでしょう」


 ふふん、と私は得意気に笑う。


「お姉ちゃんや本郷あなたの口から聞けないなら――の口を割ればいいだけでしょう」

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