第一三五編 The day after Valentine①
★
「うーん……やっぱりケーキがいいかなぁ……」
自室のベッドの上で開いた雑誌をしかめっ面で眺めながら、私――
中学生活最後の試験が先週終わり、今週は試験休みなので平日の昼間からゴロゴロ出来るのだが、残念ながら私はまだ気を緩めることは出来ない。
「でも
今私が悩んでいるのは、いよいよ今週末に迫った恋する乙女の一大イベント――バレンタインデーの贈り物についてだ。
贈る相手は言うまでもなく、世界一素敵で格好良くて、なにより優しい高校生、
この時期になると、こうしてどんなプレゼントをすればいいかを考えるのだが――例年通り、今年もなかなか決まらない。
「……待てよ? 真太郎さんはいつものごとく大量のチョコを貰うに決まってる……。だとしたら私まで甘いものを渡したら、その日のうちに食べて貰えない可能性も……!? そうなるくらいならいっそ塩辛いもの――唐揚げとかお煎餅を贈った方が真太郎さんは喜ぶのでは……!?」
私は名案が浮かんだように顔を輝かせ……しかしすぐに「いや、それはないな」と考え直す。バレンタインデーに唐揚げって……確かに甘いものに
「だとしたら無難にビターか……? んー、でも妹ちゃんたちにも一緒に食べてほしいし、あんまり苦いのはなぁ……」
まだ中学一年生の双子ちゃんたちを思い浮かべて、私はやはり唸る。あれくらいの歳の女の子は、ビターテイストのチョコレートなんて好きじゃなくて当然だ。というか、私だって自分が食べるならミルクチョコレートを買うだろう。
ちなみに真太郎さんの分と妹ちゃんたちの分を分けて渡すという選択肢はない。
以前そうした結果、愛情たっぷりに真太郎さんの分のチョコを渡した後、思い出したように「あ……あとこっちは妹さんたちに……」と追加で渡すことになってしまった。……あのようななんとも言えない〝締まらなさ〟は、せっかくのバレンタインデーに相応しくなさすぎる。それなら最初から三人分纏めておいた方がムードを保てるはずだ。
「いっそ袋の中でさらに甘いのと苦いので小分けにするか……? んー、悪くはないけど……でもそうなると作る品がだいぶ限られちゃうよね……それならやっぱりホールケーキにした方が……でも真太郎さんは今、もっと美味しいケーキを毎日見てるわけだしなぁ……」
無限に悩む。この時間は楽しくもあるが、同時に苦しくもあった。
真太郎さんが当日に受け取るであろうチョコの量を想定した場合、あまり量がありすぎると食べるのがしんどいだろうし、かといって「すべての愛を込めました!」などとアーモンドチョコレート一粒を手渡されても反応に困るだろう。
作るお菓子の種類、量、甘味の有無および強弱、
幸い私はお菓子作りそのものは得意な方なので、作るものさえ決まってしまえば後はどうやって渡すかを決めるだけなのだが……。
「あー、駄目だ! ちょっと休憩しよう! 頭がパンクしちゃう!」
悩んだ末、私は雑誌をバサリと放り投げた。時間的猶予があまりないとはいえ、悩んだ末に適当なものを渡すなんて論外だ。
だったら一旦リフレッシュし、改めて納得がいくまで考えた方がいいに決まっている。
「外に出ようかな……あーでも、今日は
以前本人から文句を言われたことを反省し、詫びとして休みをあげた運転手兼ボディーガードのことを考えてため息をつく。
別に服部が居なくても使用人の誰かに声を掛ければ車くらい出してくれるだろうけど……気分転換程度のことでわざわざ呼びつけるというのも可哀想だ。彼女たちには彼女たちの仕事があるのだから。
「まあいっか、久し振りに散歩でもしよっと」
軽く呟いて、私は部屋を出る。ちょっとリフレッシュしたいだけだし、
「――で、ですがお嬢様!」
「(?
自室のドアを閉めた瞬間、私の部屋から数えて三つ目の扉――つまりお姉ちゃんの部屋の扉前から聞こえてきた声に、私は顔を向けた。
見ればお姉ちゃんの部屋の前にはスーツを華麗に着こなした美人ボディーガードこと、本郷
「……いいから。貴女も休んでいいわ。今日はもう用はないから」
「お、お嬢様!」
お姉ちゃんの声が聞こえたかと思えば、扉がパタリと閉じられた。
部屋の前に残された本郷が、悲しげにその場に立ち尽くしている。
「ど、どうかしたの……?」
「! 美紗お嬢様……申し訳ございません、騒がしい声を出してしまって……」
「いや、それはいいんだけど……お姉ちゃんになにかあった?」
「……ううっ!」
「ちょっ!? ほ、本郷!?」
私が問いかけた途端、本郷が悲嘆にくれたように崩れ落ちた。
演劇でしか見たことがないような行動に、流石の私も慌てて声を上げる。
「実は……このところ
「お、お姉ちゃんの様子が? ど、どんな風に?」
「お目覚めになるお時間とお休みになるお時間が不安定になっていて……私がお声がけしても反応されないことが多くなり……さらにはお食事の量も激減していて……!」
「!? た、大変じゃない!」
聞く限り、ただ事ではないではないか。
私が焦っていると、本郷が床の上に崩れたまま「はい……」と頷く。
「以前までは毎朝五時〇分には必ず目覚められていたのが、昨日は五時一分、今日はなんと五時三分……!」
「……ん?」
「就寝時刻の方も、今までは遅くとも〇時までにはお休みになられていたのに……昨晩は〇時七分まで起きておられました……!」
「……それは誤差の範囲なんじゃ……?」
「それに先ほど私がそのことを指摘したら……あの聡明な未来お嬢様が、まるで『何を言っているのか分からない』と仰っておられるかのような目を私に向けられて……!」
「ごめん、私も今本郷が何を言っているのか分からないわ」
「果ては今日のお食事です! 昼食にほとんど手を付けておられなかったのです!」
「た、確かにそれは深刻そうかも……」
「朝食は私がご用意させていただいたパン五切れにエッグベネディクトのベーコン添え、マッシュルームのポタージュ、鶏肉のバターソテーにダイスチーズサラダ、後はデザートとコーヒーしか召し上がっておられないのに!」
「普通に朝ごはんでお腹いっぱいになっちゃってお昼ごはんが食べられなかっただけでしょそれ!? そんだけ食べたら私だってお昼ごはん要らないって言うわよ!」
「あああああっ!? 私はどうしたらっ!? このままではお嬢様が栄養失調になってしまうのではっ!?」
「断言するけどならないよ!? 太る心配はした方がいいかもしれないけどね!?」
あ、アホらしい。心配して損した。本郷がお姉ちゃんを溺愛していて過保護なのは知っていたが……遂にここまで壊れたか。
付き合っていられないとばかりに廊下に伏している彼女を無視して散歩に行こうとした時――本郷がぽつりと、悲しげに呟いた。
「やはりお嬢様は――
私の足が止まる。
小野さん……? なんでここで、あの人の名前が……?
振り返った先で、本郷は深刻そうな顔つきでお姉ちゃんの部屋のドアを見つめている。――その様子は、やはりただ事ではないように思えて。
「(……ああ、もうっ!)」
一度気になってしまうとどうしようもなかった。
本郷ほどではないが、私だってお姉ちゃんの様子がおかしいと言われれば心配にもなる。
私は本郷の前まで戻ると、彼女を見下ろしながら言った。
「その話、詳しく聞かせて」
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