第一三四編 真っ直ぐに想え

 対幼馴染み用の切り札〝泣き落とし〟まで使って聞き出したところ、どうやら最近桃華ももかの様子がおかしいのは、強大な恋のライバルが出現したせいだったようだ。

 ……〝恋のライバル〟などというメルヘンチックな単語を高校生にもなって使うのは恥ずかしいが、とにかくそのライバルとやらの久世くせに対する想いの強さに、「桃華じぶんなんかが太刀打ちできるのか」という思考回路に陥ってしまったらしい。


「(なんというか……小野おのと似てるようでいて……真逆だな……)」


 私の頭に浮かんだのは、どこかの馬鹿な男のことだ。

 桃華がそのライバルの一途さに敗北感を覚えたのだとしたら、小野は一途に想い続けただったという事実に身を引いた。

 強い想いを抱くライバルの出現に及び腰になっているのが桃華なら、なにも行動を起こさなかった自分自身に負けたのが小野だ。

 もっとも、明確なライバルが現れた桃華と違い、小野は〝桃華に好きな人が出来てしまったから〟こそ身を引いたわけだから、根本的に似て非なる状況とも言えるだろうが。


「(どっちにしても、なんで私の幼馴染みたちはここまで〝誰か〟の存在に怯えるのかね……)」


 もう何年も誰かに恋をしていない私からすれば全くもって理解しがたい。

 想いを告げて玉砕した上で落ち込むのなら分かるが、まだ告白もしていないくせにどうして〝身を引く〟なんて結論に至るのか。

 ライバルの存在なんか気にしていたって仕方がないだろう。結局その恋が叶うか否かは好きになった相手次第なのだから。


「(……まあ、そういう意味では小野の行動はまだ分かるけど……)」


 桃華が久世に恋い焦がれている以上、仮に彼が想いを告げたところで玉砕していたのは明らかなわけだし。

 そういう意味では桃華が久世に恋破れるか、あるいは恋が成就した果てに破局するまで待つというのは正しい選択とも言える。勿論、あの馬鹿男はそんなことを望んで身を引いたわけではないだろうが。


 それに比べて、今の桃華の心理は理解しがたい。なにをそんなにライバルの存在に怯えているのか。

 そのライバルが具体的にどれほど久世のことを好きなのかは知らないが、〝長い間想い続けた〟というのはイコールで〝長い間恋が成就していない〟ということでもあるのだから。

 言ってしまえば、そのライバルは小野に近い。恋を諦めていない小野だ。


「(……あー……そう考えると、案外厄介ではあるのか……)」


 私が密かに小野の恋を応援してやりたいと思ってしまっているように、〝一途〟というのは意外と強い。想い人当人に振り向いてもらえるかどうかはさておき、少なくとも客観的に見て「本当に好きなんだな」と思わせられるのは間違いないからだ。

 第三者にどう思われようが無関係だろうと思われるかもしれないが、恋愛において周囲を巻き込めるというのは大きいだろう。


 たとえば「アイツ、お前のこと一〇年も前からずっと好きだったらしいぜ」と口コミで本人に伝わる場合などがそれだ。……まあそれを「一〇年も好きでいてくれたんだ……」と好意的に解釈するか、「一〇年も前からずっと見られてたのか……」と否定的に解釈するかは、やはり当人次第なのだが。

 そこまでいかなくても、〝一〇年間自分に片想いしていた一途な人〟と〝ついさっき自分に一目惚れしたという人〟に同時に告白された場合、外見や性格に差異がないなら、大概の人は前者を選ぶのではないだろうか。


「(それにしても、桃華のライバルって……誰なんだ?)」


 流石に相手の名前までは桃華は話さなかったし、私も聞かなかった。彼女の口からそこまで言わせるのはいくら私でも気が引けたし、私が知りたかったこと――つまり桃華が悩んでいる理由はもう聞き出せたからだ。

 しかし例の勉強会の日が事の発端ほったんだというのなら、候補者はかなり絞られる。というか、ほぼ居ない。

 あの日桃華が会った相手なんて、久世と小野、あとは七海未来ななみみくくらいのはずだ。


 小野は論外として、小野に協力している立場である七海未来がそのライバルである可能性も極めて低いだろう。

 そもそも久世と七海未来はなにやら不仲で、先日の勉強会はそんな二人を仲良くさせたいという桃華の余計なお世話から企画されたものらしいし。

 ということは私の知らない誰か、ということになるのか。……気になるが、現状ではそれが誰なのかを知ることは難しいようだ。


「その……ごめんね、やよいちゃん。黙ってたりして……」

「ん? ああ、気にしなくていいよ」

「ほんと……? も、もう泣いたり、帰るとか言わない?」

「言わない言わない。そもそもさっきのは全部演技だし……あっ、やべ」

「演技っ!? い、今演技って言った!?」

「い、言ってないよ。か、悲しかったなー、桃華がこんな大事なこと私に黙ってたなんてー」

「めっちゃ棒読みじゃん! お、おかしいと思ったんだよ! あのやよいちゃんがあんな可愛いこと言うなんて!?」

「おい、まるで普段の私の言動が可愛くないみたいな言い方やめろ」


「騙されたぁっ!?」とポカポカと殴りかかってくる桃華。……思わず口を滑らせてしまったが、後で謝るつもりではいたのでよしとしよう。


「……あのさ、桃華」

「……なにさ」


 しばらく暴れたあと、私の膝に顔をうずめて不貞ふて腐れている桃華の髪を撫でながら、言う。


「……私はアンタの親友だから、アンタが今の恋を諦めるっていうなら、それを止めはしない」


 ――今の恋に破れたとしても、アンタには誰よりもアンタを想ってくれている馬鹿がいるから……とは言わない。

 そんな形で恋が叶ったとしても、は喜ばないだろうから。


「……でもさ、私は、もう少しだけ頑張ってみてもいいんじゃないかとも思うんだよ」

「…………」


 桃華はなにも答えない。よほどそのライバルの存在を不安視しているのだろう。


「大丈夫だよ、桃華」


 根拠のない、悪く言えば無責任な励ましの言葉。

 桃華が久世と結ばれる確率はどれくらいあるのだろう。一〇パーセントか、二〇パーセントか。もっとあるかもしれないし、もっとないかもしれない。

 ただ一つ確実なのは、「一〇〇パーセントではない」ということ。

 私の無責任な言葉で、この子がいつか深い傷を負いかねないということ。

 けれど、私は重ねてもう一度「大丈夫だよ」と言った。

 桃華が静かに顔を上げる。


「心配しなくていい。アンタは余計なこと考えずに、今まで通り真っ直ぐ、あの学年一のイケメン男のことを好きで居続ればいいんだよ」


 ただ、真っ直ぐに。

 どこかの馬鹿が桃華アンタの恋を応援していることに気付かないくらい。

 私がそんな馬鹿の恋を密かに応援していながら、今は平然と桃華アンタの背中を押している最低な女だと気付かないくらい。


 ――ただ真っ直ぐに、想え。


 桃華アンタはそれでいい。

 桃華アンタが中途半端なところで折れたら、あの馬鹿の努力も失恋も報われないだろう。

 桃華アンタのそういう真っ直ぐな所に、あの地味男じみおは惹かれたんだろう。


 だから私は、この子の背中を押す。

 それは桃華自身のためであると同時に、小野アイツが惚れた桃華を守るためでもあるから。


「…………うん」


 まだどこか不安げな声で、しかし桃華は少しだけ元気を取り戻したように笑顔を咲かせた。

 強大なライバルの出現も含めて、問題はなにも解決していない。気休めのような「大丈夫」一つで解決できるようなことなら、最初からこの子は悩んでいないはずだ。

 私一人の力では、この子の不安を完全に払拭することなんか出来やしない。

 恋を知らない私が、桃華が恐れる〝失恋〟の二文字の重さなんか分かるはずもないのだから。


「(……アイツが今の桃華を見たら、一体どうするんだろう)」


 私の知る限り誰よりもその〝痛み〟に詳しいのことを思い浮かべる。

 彼もまた、桃華と同じくなにか問題を抱えているらしいが……生憎あいにく私にはその理由など見当もつかなかった。

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