第一三二編 金山やよいと可能性



 二月も中旬に差し掛かった頃、私は一人でスーパーマーケットを訪れていた。

 今日は久し振りに幼馴染みの桃華ももかの家に泊まりに行くので、お菓子やジュースなどの買い出しをしに来たのである。

 泊まりに行くと言っても、私たちは幼稚園の頃からしょっちゅうお泊まり会だの家族ぐるみのキャンプだのを散々してきたので、今更特別わくわくすることもないし、本当にただ桐山きりやま家で寝るというだけのことなのだが。


「(……でも最近の桃華、ちょっと変なんだよなぁ……)」


 桃華の好きな果汁入り炭酸を買い物カゴに放り込みながら、私はここ半月ほどの彼女の様子を思い返す。

 以前まで、私と二人きりの状況であれば想い人である久世真太郎くせしんたろうの話をすることが多かった彼女は、ここ最近そういう浮わついた話をあまりしなくなった。

 正確に言えば、久世の話をしてはいるのだが、アルバイトの話がメインで、「久世くんがこんな格好いいことを言ってたんだよ!」みたいなことを口にしなくなったのだ。

 実際はそんなことを言われても、私は久世の顔を格好いいとは思えど彼のことが特別好きなわけではないので「ふーん」としか返せないのだが……しかし、親友の様子がおかしいのは気になってしまう。


「(……いや、おかしいのはあの子の周り全体か……)」


 二週間ほど前、いきなり久世が私と桃華に声を掛けてきたことがあった。

 なんでも小野おの――私たちの家の近所に住んでいる、まあ一応幼馴染みの一人――の様子がおかしいらしいとかなんとか。

「おかしい〝らしい〟」と言われた時点で、そんな曖昧な質問をされても答えようがないだろうとは思ったが、その後の話で二人が「もしかしたら小野が七海未来ななみみくというお嬢様と恋愛的なもつれを抱えているのでは」などと疑い始めた時は頭が痛くなったものだ。


 というのも、私は小野と七海未来がとある協力関係にあることを知っている。

 そんな彼らが恋愛関係になど発展するわけがない。特に小野は一〇年も前から桃華のことを想い続けているし、だからこそあのお嬢様に協力を仰いでいるのだ。

 ……私としては今でも、そんなことをするくらいなら小野アンタ自身が桃華と……と思わなくもないのだが。


「……イライラするな……」


 スーパーの中ということも忘れて、私は思わず小さく呟いてしまう。通りすがりの主婦のおばさんが、こちらをチラッと見てから子どもの手を引いて離れて行くのが見えた。


「(……なにやってんだよ)」


 今の自分と、それ以上にあの小野バカに対してそう思う。

 桃華と久世があのような疑いを抱いているということは、少なくとも客観的に見る限りにおいて、小野と七海未来はでもおかしくないように見えるということ。

 私だって、小野に詳しい事情を聞くまでは「まさかとは思うけど……」くらいのことは考えた。まあ片や天才お嬢様、片や凡人地味男だ。その可能性は極めて低いとも思っていたが。


 そうだ、世の中には〝格差〟というものがある。埋めがたく、自分の力ではどうしようもないような〝差〟が。

 私のような人間は、それをよく理解している。白馬の王子様は平民の少女になんか目もくれないし、悲運のお嬢様を身分違いの男が助けに行こうとしても門兵に追い返されるだけだということを。

 けれど桃華や久世のように純真な人間は、それをいまひとつ理解していない。だから小野と七海未来などという、普通に考えてもあり得ない組み合わせが「あり得る」と考えるのだ。


「(……好きな子にそんな勘違いされてどうすんだよ……)」


 分かっている。小野はたぶん、そんなことをいちいち意識してこなかっただけだろう。

 桃華への想いを噛み潰してまで彼女の恋を成就させようとしている男が、「桃華に七海とのことを勘違いされたら困る」なんて思考回路に陥るはずもない。

 それでも私は――部外者でしかない金山かねやまやよいは、考えてしまう。


 ――小野が着実に、〝自らの恋の可能性〟の首を絞めていることに苛立ちを覚えてしまう。


 私だって、桃華の恋を応援してあげたい。久世と結ばれることであの子が一番幸せになるのなら、いくらでもその背中を押してやる。

 もしそれが叶うのなら、小野のことなんかどうだっていい。私にとって最優先なのはあくまでも親友である桃華の幸せだ。

 けれど同時に――久世と結ばれることが桃華の一番の幸せなのか、と疑っている自分がまだ私の中にいるのも事実。


「(自分好きな人と結ばれるより……自分好きでいてくれる人と結ばれた方が、幸せになれる気がする……)」


 桃華の場合、前者が久世なら後者は間違いなく小野だろう。

 もちろん桃華の気持ちが強く久世に向いている時点で、私の考えなんて無意味なものでしかないのだが……一方で最近の桃華の様子を思えば、まだ小野にも可能性があるような気も……。


「(――あー、やめやめ。無駄だ無駄、こんな考え!)」


 心の中でブンブン頭を振って、自分ではどうしようもないことだと割り切ろうとする。

 桃華は久世が好き! 小野はそれを応援してる! それでいいのだ、と。


 ずんずんと怒ったような歩調になりながら、私はレジへと向かう。

 夕暮れのスーパーはレジ待ちの人数もそこそこだろうと覚悟はしていたが……それにしてもやけに客が多い。

 というか、妙に女子学生らしき人ばかりなような……。


「(……ああ、あれのせいか……)」


 ふとレジ脇の特売コーナーに山ほど積まれたチョコレートを見て、そういえばもうそんな時期か、と気付く。

 二月の定番イベント、バレンタインデーだ。


「(『甘ぁいチョコレートで彼のハートを掴んじゃえ!』……はんっ)」


 有名な女優がハート型のチョコレートを可愛く掲げているポスターを眺め、鼻で笑う。

 菓子メーカーのお偉いオジサンたちがあの文言をポスターに記載する旨の企画書に許可の判子ハンコを押したのかと考えるとうすら寒くて笑えてくる。

 ちなみに言うまでもなく、私はバレンタインデーとは無縁の女だ。むしろチョコレートは貰ってばかりだから、お返しをするホワイトデーの方がよほど縁がある。

 見れば、店内はあちこちにハートの飾りつけがされていた。売り上げを稼ぐためなのだろうから仕方ないが、世間のイベントに全力で乗っかっているな。


「(……桃華に、詳しい話を聞いてみるか……)」


 視界内にある一際大きな二つのハート型風船を見つめながら、私はそんなことを考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る