第一三一編 背水の陣

「……で、なんの用なんだよ」


 一年生のフロアにある男子トイレ前で、悠真ゆうま真太郎しんたろうに問い掛けた。


「お前がわざわざ三組まで来るとか……なんか大事な用かよ? バイトのことか? あれだぞ。店長はあんな性格だけどな、実は結構いい人だから、多少いじられたくらいでそんな気にする必要はねえぞ」

「ごめん小野おのくん、僕まだなにも言ってないよね? なのにどうして僕は一色いっしき店長のことで思い悩んでいることにされているんだろう?」


 いきなり的外れなアドバイスを真顔でしてくる彼にツッコミを入れると、彼は「……ああ、なるほど」と一人で頷く。


「分かった。今度こそ完璧に分かった」

「な、なにが? あの、まず僕の話を聞いて貰えると――」

「みなまで言うな、ちゃんと分かってる。……お前が俺のところへ来るのはもっともだ」


 なにやら確信ありげに笑みを浮かべて真太郎を見る悠真。……これまでの経験則でどうせまた見当違いなことを言ってくるんだろうな、という予想は出来ているが、一応黙って先を聞いてみる。


「ったく、水臭いやつだな……困ってるならもっと早く言えばいいだろ」

「え……ど、どういうことだい……?」

「あんまり俺を甘く見るなよ、久世くせ。俺はこれでもこの一年弱、あの店長の下で社畜ならぬバイト畜をやってた男だぞ?」

「(本当に何を言ってるのか分からないけれど、とりあえず〝バイト畜〟って語呂悪っ!)」


 なにやら自信満々な様子の彼のテンションに気を遣い、そのツッコミは心の中にとどめておくことにするが。

 そして悠真は彼らしくもない優しげというか、慈悲深さすら感じてしまうような表情を浮かべつつ、真太郎に言った。


「それで――いったい幾ら貸してほしいんだ?」

「いやお金の無心じゃないから!? やっぱり分かってないじゃないか!」


 片手の親指と人差し指でまるを作りながら聞いてきた悠真に、真太郎は否定の声を上げる。


「え、ええ? 金貸してほしいんじゃないのか? お前が昼休みにわざわざ俺に会いに来る理由なんて他に思い付かないんだが」

「小野くんの中で僕はどういう人間なの!? 同級生に金銭授受を迫る男って、なかなかの最低評価じゃない!?」

「い、いや……ほら、お前、家のこととかあるんだし、そんなに遠慮するなよ。いいんだ、お前の事情を思えば、これが俺のバイト代の最も有意義な使い道だろう?」

「妙に優しげだと思ったらそんなこと考えてたの!? い、要らない要らない! そもそも前にも言ったけれど親戚から仕送りして貰ってるし、生活には困ってないから!?」


 昼休みの廊下で友人から差し出されようとしている厚意かねを必死に断る男子高校生の姿がそこにはあった。……これは逆カツアゲとでも言えばいいのだろうか。


「そうか? でも困ったときはいつでも言えよ? ……五〇万までなら貸してやるから」

「金額が無駄にリアルなのが最悪だよ! お、お願いだからそのお金は自分のために使ってくれ!」

「馬鹿野郎、俺みたいな無趣味人間に金の使い道なんかあるわけねえだろうが」

「知らないよ! じゃあなんのためにバイトしてるのさ!?」

「社会勉強のため」

「あり得ないよね!? その動機は小野くんから一番遠いまであるよ!?」

「酷い言われようだな俺……」


 苦笑して、悠真は自らの頬を掻いた。

 ……意識して見れば、確かにいつもの彼らしくないような気がする。普段の、真太郎に対して辛辣しんらつな彼なら「どういう意味だコラ!?」くらいは言いそうなものなのだが……。


「……それで、本当になんの用なんだよ? バイトの話じゃないのか?」

「え……あ、ああ、うん」


 流石に先ほどまでの言葉は冗談だったらしく、ふざけた空気を消して真面目に聞いてくる悠真。

 真太郎はいざこうして対面すると何をどう聞けばいいのか迷い、そして敢えて悠真自身の話を避けることにした。


「その……さ、最近未来みくが〝甘色あまいろ〟に来てないみたいなんだけど、小野くんは何か聞いているかい?」

「!」


 ――悠真の瞳がわずかに揺らいだ。

 当然真太郎はそれを見逃さなかったが、しかし次の瞬間に悠真は平静を装うように「へぇ、そうなのか」と言う。


「……でも最近っつっても精々一週間とかだろ? つーか、わざわざそんなこと聞きに来たのかよ。暇な奴だな、お前」


 口元に薄い笑みを浮かべながら軽口を叩く悠真に、真太郎はいつものように笑い返すことはできなかった。


「(……二人の間になにかあった可能性は高いか……少なくとも小野くんは、未来が〝甘色〟に来なくなった理由になにか心当たりがあるはず……。……だけど……)」


 この先を聞いていいものか、と真太郎は悩む。

 彼に話を聞きに行くと決めた時点で覚悟していたはずなのに、ここに来て足がすくんだ。

 やよいはなぜか否定していたが、真太郎の中では悠真と未来の二人が恋愛関係の問題を抱えている可能性は消えていない。

 もしここで悠真が「実は七海ななみに告白されて……」などと言い出したらどうしようという不安が、彼の中で渦巻く。


「――小野くん」


 ――だが、それでも。


「未来と、なにかあったのかい?」


 ――彼は一歩、踏み込んだ。

 ここで逃げるような男なら、彼は今のような〝久世真太郎〟にはなっていない。

 弱い己は、一〇年前に捨ててきたのだ。


 ――彼女の隣に相応しい男になろうと決めたあの日に。


 逃げることは許さない。自分も、そして目の前の友人も。

 互いに逃げ場のない廊下の最奥で、真太郎は彼の答えを待った。


「…………なにも、ねえよ」


 返ってきたのは今までに聞いたこともないほど細く、頼りない声。

 彼はそれ以上はなにも答えることなく、ただ静かにそっと目を伏せるばかりだった。


 ――これが、二週間前の話である。

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