第一三〇編 距離感

 次に真太郎しんたろうが動いたのは、昼休みに入った時だった。

 桃華ももかたちから話を聞いた直後、一応三組――小野おの悠真ゆうまの属する教室へ向かいはしたものの、彼はまだ登校していなかったのである。

 かといって授業間のバタバタする時間帯に、自分の都合で話し掛けに行くのも気が引ける。だから時間のたっぷりある昼休みを狙うことにしたのだ。

 ちなみにもう一人の話を聞きたい相手――七海未来ななみみくは、今日は学校へ来ていない。


「(最近は、未来もちゃんと学校に来てたんだけどな……)」


 いつも昼食を一緒に食べている友人たちに席を外す断りを入れつつ、真太郎はふとそんなことを考える。

 去年の一一月頃からだろうか。それまで週に一、二回は学校に来ていないことが多かった未来が、ほとんど毎日学校に来るようになったのは。

 最初は、単純に出席日数が足りなくなるからだろうと思っていた。あるいは学級委員の錦野にしきのが根気よく声をかけ続けた結果なのだろうと。


 しかし改めて思えば、その時期はちょうど真太郎が〝甘色あまいろ〟で働き始めた時期であり――そして悠真と未来が出会った時期のはずだ。……ある日、教室でなぜか二人が一緒にいるのを見たときは、思わず硬直したものだった。

 あれ以来、未来が学校を休む回数は劇的に減った。登校してきた彼女を見た錦野が嬉しそうに声をかけに行き、それを完全無視するお嬢様という光景が一組の日常茶飯事になる程度には。


「(そういえば先週の月曜日も来てなかったっけ……)」


 翌日にはきちんと登校してきたのであまり意識していなかったが……今日また休んでいるところを見ると、確実に頻度は増している。

 とはいえ、それだけなら真太郎はそこまで心配しなかっただろう。

 高等教育は義務ではないし、彼女からすれば学校の授業なんてつまらないに決まっている。真太郎を含めて他のどの生徒より優秀な彼女に、一体誰が文句を言えるというのか。

 それを分かっているからこそ、教師陣は彼女に何も言わない。……もっとも大人たちからすれば、彼女の家柄が怖いだけかもしれないが。


 だが今朝の桃華の話を踏まえて考えると、なにかあった可能性は高いだろう。

 もちろん、それが悠真のことと関係しているかは断定できない。それを断定するためにも、今から悠真に話を聞きに行くのだ。


「(小野くんがなにかを抱えているのか、それは未来のことと関係があるのか……聞きたいことだらけだな……)」


 三組の前に着いた。先に教室の中を覗くと、奥の席に悠真が座っているのが見える。どうやら友人と昼食中のようだ。

 教室の引き戸をガラッと開けると、一瞬の空白をおいて黄色い声が沸き上がった。

 言うまでもなく、真太郎に憧れを抱く少女たちだ。


「く、久世くせくん! ど、どうしたの、三組になにか用事!?」

「うん、ちょっと友だちに会いに来たんだ。突然ごめんね?」

「全然! むしろもっと来てほしいし!」

「久世くん、お昼ご飯もう食べたの? 私たちこれから食堂に行くところなんだけど、良かったら一緒にどうかな!?」

「ありがとう。でもせっかくだけど、今日はクラスの友だちと食べるから、また今度誘ってもらえると嬉しいな」

「キャーッ! 誘う誘う、絶対誘うね!」


 頬を染めてぴょんぴょんとび跳ねて喜ぶ女子生徒たちに困ったような笑みを向けていると、今度はバスケットボール部の男子生徒たちが声を掛けてきた。

 まだ真太郎がバレーボール部に所属していた頃、広いとは言えない体育館を巡って対決……という名目で遊んだ友人たちである。

 滅多に他のクラスに顔を出さない真太郎が現れたことに、彼らも驚いている様子だ。


「(ど、どうしよう、このままだと小野くんと話す時間が……)」


 せっかく時間がとれるように昼休みを選んだのに、これでは意味がなかった。

 かといって、自分と親しくしてくれている彼ら彼女らを無下にすることなど出来るはずもないのだが。

 真太郎は助けを求めるような思いでチラリと教室奥にいる彼の方を見ると――


「(あ、あれ!? 小野くんがいない!? ど、どこに行っちゃったんだ!?)」


 確かに先ほどまではいたはずの友人はこの一、二分の間にその場から消えている。

 慌てて周囲に目を向けると、真太郎が入ってきた扉とは逆、教室後方の扉から悠真が出ていくのが見えた。


「ちょっ!? お、小野くん!? ま、待ってくれないかい!?」


 背中から悠真に呼び掛ける。「大切な話があるから」などとは言えない。こんな衆目のなかでそんなことを叫ぶほど、真太郎は愚かではなかった。

 その声に振り返った悠真は――一目で分かるほど「久世コイツがわざわざ俺のクラスに来るとか、絶対面倒くさそうだから関わりたくない」という表情をしている。


「いやおかしいよね!? 来ただけでそんな面倒そうな顔するかい普通!?」


 周囲の生徒たちに謝りながら、歩き去ろうとする悠真に駆け寄った。対する悠真はそんな真太郎に構うことなく、スタスタと廊下を歩いていく。

 以前よりも親しくなったものの、彼が真太郎に対して基本的にドライなのは出会った頃から変わらない。

 もっとも普段、周囲の人間からなにかともてはやされがちな真太郎にとって、悠真の距離感は非常にさっぱりしていて居心地がよかったのだ。


「(――もしかしたら、未来もそうなのかな……)」


 ずっと人を寄せ付けなかった少女がどういう思いで目の前の少年と親しくなったのかを考えながら、真太郎は彼の後を追った。

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