第一二九編 揺らぐ想い

 真太郎しんたろうはショックでふらつきそうになるのをこらえつつ、考える。

 男の子と女の子の話、というのは言うまでもなく男女交際に関するアレコレのことだろう。

 言われてみればたしかに、状況だけを考えるならその可能性は高い。どうして気付かなかったのか……いや、気付きたくなかっただけかもしれないが。


「(仲良さげな二人、勉強会の別れ際、わざわざ二人きりになれる状況……あり得る……! ……むしろそれしかあり得ないような気さえしてきた……。というか桐山きりやまさんから見ても、やっぱりあの二人は仲良く見えるんだな……)」


 第三者ももかの視点からもたらされたあの二人――悠真ゆうま未来みくの関係性に対する印象が、自分が密かに抱いていた疑念と一致しているというのは、まるであの二人がである可能性を助長しているかのようだ。

 多大なダメージを受けながらもそこまで考えて、しかし真太郎は少し不自然な点に気が付く。


「本人たちが居ないところでこういう邪推のようなことをするのは良くないかも知れないけれど……も、もし……も、もしも、小野くんと未来が……交際を、しているとして……」


 自分で発した「交際」という単語に追加ダメージを受けつつ、真太郎は続ける。


「でももしそうだとするなら、未来みくが〝甘色あまいろ〟に来なくなるのはおかしいんじゃ? そ、その……どちらかというと、来店頻度が増すような気がするんだけれど……」


〝悠真に会いたくて毎日自分のバイト先までやって来る未来〟を想像してしまうと死にそうなので、なるべく考えないようにつとめつつ問うと、桃華ももかは「そ、それは……」と、また言いづらそうに口をもにょもにょさせる。


「だ、だから……その、勉強会の後にどちらかが告白して……失敗したっていう可能性も……」

「!?」


「(そ、そうかッ!)」と、真太郎は内心で稲妻に打たれる自分を幻視する。

 あの日、どちらかがもう一方に告白し、その告白が成就しなかったとしたら……あまりにも気まずいに決まっている。それなら悠真の様子がおかしいことも、未来が〝甘色〟に来なくなった理由も説明がつくだろう。


「(か、仮にそうだとしたら……い、一体どちらから想いを告げて、どちらが断ったんだろう……?)」


 二人のことをよく知る真太郎からすれば、どちらも異性への告白などをするような性格キャラとは思えない。未来は言わずもがなだが、悠真だってその手の浮わついた話題を聞いた覚えはなかった。


「(……あくまで推測でしかない話ということは分かってる。だけど……もしあの二人のどちらかが想い破れていたとしたら……)」


 真太郎は、自分の心が酷く沈んでいるのを感じていた。

 おかしな話だ。悠真と未来が交際していると考えればショックを受けるくせに、二人が疎遠になっていると考えると、それに劣らず気分が落ち込むなんて。

 自分は彼女に――未来に、ずっと憧れていたはずなのに。

 自分なんかとは比べ物にならないほどの高みに居続ける彼女に、いつしか心を奪われていたはずなのに。

 だからこそ急激に彼女との距離を縮めていく悠真のことを、凍りついた彼女の心を溶かしつつある彼のことを、羨ましく思っていたはずなのに。

 それでもあの二人が離れてしまうのは、同じくらい心が痛む。


 真太郎の人柄を知る人間が聞けば、「友だち想い」だとか「他人の痛みを理解できる人」だとか、そんな綺麗な言葉で飾ってくれるかもしれない。

 だがまったくの赤の他人が聞けば「それは偽善だ」と言うだろう。あるいは「自己満足だ」と言われるだろうか。


 好きな人がいて、その人と他の誰かが恋仲にあることを嫉妬したり、その恋が上手くいっていないことを喜んでしまうというのはある種正常なことだ。

 フィクションでは〝恋において身を引く〟ことがあたかも〝好きな人の幸せを願う真実の想い〟であるかのように語られがちだが、本当にその人のことが好きだというのなら、形振なりふり構わず行動する方がよほど人間らしい。……他人の恋路を邪魔したり、裏工作をしてまで自分の恋を優先するというレベルになるとまた別の話になるが。

 少なくとも、〝身を引くことが出来る〟というのは、〝その程度の想いでしかない〟ということでもあるのだから。


「(……僕は……なにがしたいんだろう……)」


 真太郎は今、誰かと恋愛するつもりはない。

 それはいつも自分に想いを告げてくれる少女たちに答えている通りだ。今、彼の置かれている状況――家庭の問題――を考えれば当然のことだし、仮に家のことがなくても、彼は学生の身で交際したりはしなかっただろう。

 それは未来への変わらない想いがあったからこそだ。幼少の頃からずっと、自分よりも二歩も三歩も前をく彼女に相応しい男になるためには、常に自分を磨き続けなければならなかった。

 勉強も、スポーツも、そして人間性においても。

 かつて太陽のような笑顔を咲かせた彼女の隣に立つためならば、真太郎は努力を惜しまないし、それを苦痛とも思わない。


 だがそれが今、確実に揺らいだ。

 未来に対する気持ちが真に本物だとすれば、今、こんな暗い気持ちになるのはおかしいだろう。

 未来と悠真が不仲になってしまったとして、それを喜ぶのが正しいとは言わない。言わないが……ここまで気持ちが沈むというのは、まるで真太郎じぶんの想いが偽物であるかのようではないか。

 どんなに冷たくされても、睨まれても、避けられても、好きで居続けられる自信があったはずなのに……。

 そんな思考に、真太郎が飲まれそうになっていた時だった。


「――それはないでしょ」

「…………え?」


 不意に、黙って二人の推測を聞いていたやよいが口を開いた。

 それに対して疑問符を返したのは真太郎か、それとも桃華だろうか。


小野おの七海ななみさんが付き合うとか、そういう話はあり得ないと思う」

「え……ど、どうして?」

「……」


 当然の桃華の問い返しに、やよいは何も答えない。

 しかし、なんの根拠もないというには、先の言葉はやけに確信めいたものがものがあった。


「……なんとなく。あのお嬢様と小野とか釣り合わないし、あり得ないと思っただけ。そもそもここで話してたって、答えなんか分かりっこないでしょ」


 適当に後付けをするようにそう言って、やよいは二人に背中を向ける。


「久世くんも、知りたいことがあるなら直接本人たちに聞いたら? 桃華、行く……私、先に教室戻るから」

「えっ、あっ、ま、待ってやよいちゃん! 私も戻るから! く、久世くん、力になれなくてごめんね。私もなにか気付いたらすぐ知らせるから!」

「う、うん。ありがとう……」


 何故か自分を置いて戻ろうとするやよいに慌てて追従ついしょうする桃華を見送って、真太郎は一人ぽつんと取り残された。

 遠くで二人が「……なんで桃華あんたもすぐ来るんだよ馬鹿」「えっ、なんで!?」という会話を繰り広げている声がかすかに聞こえる。


『――知りたいことがあるなら直接本人に聞いたら?』


「……そう、だよね……」


 悠真のことも未来のことも、どちらも最後は本人に聞かなくては分からない話だ。

 悠真が本当に何かを抱えているのかは分からなかったが……関係のありそうな情報は得られた。


「――よし、行こう」


 小さな呟きに確固たる決意を秘めて、真太郎はその場から歩き出した。

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