第一二四編 それぞれの想い(七海美紗の場合)



『……えっと、美紗みさちゃんがどうしてそんなことを聞いてきたのかは分からないけど、私と久世くせくんはそういうのじゃ、ないよ……?』


 桐山桃華きりやまももか先輩の言葉を思い出しながら、私はとても気分良く学年末試験の勉強を進めていた。

 中学三年生である私たちは卒業式や受験との兼ね合いもあって一、二年生よりも最後の試験の日程が少し早い。

 私はこれでも学年首席なので、学年末試験で多少点数を落とそうが卒業は確実なのだが、中学生活中はずっと一位で居続けたのだから、どうせなら最後まで一位でありたかった。……という話をあまり成績の良くない友人たちにしたら、「テストは遊びゲームじゃねえんだぞっ!」と怒られてしまったのだが。


「……こんなもんかな」


 高校生用の英語の参考書を閉じて、私は軽く息をつく。

 学年末試験の勉強といっても、中学生用の教材で出来ることなど限度がある。だから最近は専ら高校生用の教材を使用していた。

 もちろん出題範囲外の勉強をしても試験の点数に直接結び付くことはないのだが、かといってまったく役に立たないわけでもない。

 それに私は来年度から初春はつはる高校に通うのだから、今から予習に取り組んでおいた方がいいに決まっている。


「(初春は成績順位が貼り出されるんだもんね。お姉ちゃんもいるのに情けない順位なんて見せられないし……なにより真太郎しんたろうさんに一番じゃない私なんて見られたくない……!)」


 私は一昨年おととし――つまり中学二年生の頃を思い返す。

 当時はお姉ちゃんも真太郎さんも同じ中学にいたので、校内で二人の噂を聞くこともあった。あの二人は嫌でも目立つので、あることないことごちゃ混ぜにした噂を流されがちなのは昔から変わっていない。

 もっとも私が七海未来おねえちゃんの妹であることや真太郎さんと幼馴染みであることは周知の事実だったので、私の耳の届くところであからさまな噂話をする人はあまり居なかったのだけれど。


 二人に関する噂話はやはり容姿に関することが多かったが、次に話題に上がっていたのは試験時だろう。

 今でこそ、初春高校における学年順位はお姉ちゃんが断トツらしいのだが、中学まではあの二人がツートップというのはあまり珍しくなかった。

 成績順位の公表があるわけではないので噂としてささやかれていたが、私は二人に直接話を聞いていたので間違いない。


 そんなこともあってあの頃の私は、必死になって勉強していた。

「お姉ちゃんは頭良いのに妹はそうでもないんだな」などと言われたくなかったし、そんなことでお姉ちゃんの顔に泥を塗るのはごめんだ。

 それに一番であれば真太郎さんが褒めてくれるかもしれない、というよこしまな気持ちもあった。中学校の入学式の日、新入生代表挨拶をした後に彼から褒められたことは、今でも鮮明に思い出せる。


 ……そういえば高校の入学式の代表挨拶は誰がやるんだろうか。私のような推薦入学の生徒か、それとも一般入試で首位をとった生徒なのだろうか。確かお姉ちゃんの時は真太郎さんが代表挨拶をしたんだっけ? だとしたらまた私が選ばれる可能性も……?

 今から代表挨拶の文章を考えておいた方がいいだろうか、などという雑念が生まれるが、今はとにかく勉強の時だ。

 せっかく大好きな二人と同じ高校にいけるのだから、一番輝いている私を見てほしいのである。


 直近の一番大きな悩みは解消した。

〝真太郎さんに彼女が出来た〟という噂の真偽は未だ不明だが、桐山先輩が違う以上、現状それらしき候補者は見当たらない。

 強いて言えば服部はっとりに調べさせた時に名前が挙がっていた〝ニキシノ〟とかいう人が真太郎さんと仲良さげだそうだが、友だちの範疇はんちゅうという結論に落ち着いている。

 他にも、真太郎さんのことを好きな人はいくらでもいるだろうが、〝好きなだけ〟の人になら負ける気はしない。


「(私は努力しているもの。真太郎さんに好かれる努力も、あの人の隣に立つ女性として相応しい自分になる努力も)」


 まだ彼を振り向かせるのに足りないということは分かっている。

 お姉ちゃんが――比較対象が強すぎるということも分かっている。

 でも、負けない。私は誰にも、お姉ちゃんにだって、負けるつもりは微塵もない。

 勝機がない戦いなら、自分の手で勝機を作る。

 一〇年想って駄目なら、二〇年でも三〇年でも想い続ける。

 真太郎さんが私を選んでくれるその時まで。

 私の想いが報われる、その時まで。


「……こういうの、〝重い女〟って言われるのかな……」


 苦笑しつつも、私はそれでも構わないと思う。……流石に真太郎さん本人にそう言われたら心が折れそうだが、それ以外は。

 綺麗事を言うつもりはない。私にとって一番大切なのは、私の恋が成就することだ。

 そのためならば他の誰だって敵に回すし、蹴落とそう。

 この世界は少女漫画じゃない。約束されたハッピーエンドなんてありはしない。

 だからこそ、尽くせる手はすべて尽くす。

 私の恋を叶えるのは他の誰かではなく、この私自身なのだから。


「……負けませんよ、私は――誰にも、絶対に」


 そう呟いて、改めて勉強を再開しようとしたその時、コンコン、と私の部屋の扉にノック音が響いた。


美紗みさお嬢様。お食事のご用意が出来ましたが、すぐにお召し上がりになられますか?」


 ドアを挟んで聞こえてくるのは、使用人の澤村さわむらさんの声だった。時計を見ればもう七時を過ぎている。たしかにお腹もく頃だ。

 気合いを入れ直したばかりでタイミングが悪いようにも思えるが、ちょうど英語の勉強が一段落したところだと考えれば区切りはいい。


「うん。じゃあお願い」

「かしこまりました」


 澤村さんに返事をして、私は机の上を軽く片付ける。

 そして部屋を出て廊下を歩きながら、ちらり、と書斎の方へ目を向ける。

 真太郎さんたちは少し前に帰宅した。……結局今日はあまり話せなかったけれど。あの恥ずかしいお昼のハプニングを除けば、帰る直前に軽く挨拶できた程度だ。

 私が次はもっとお話ししたいな、などと考えつつ、一階のリビングに続く扉に手を掛けると、ちょうど玄関の方から人影が現れた。


「あ、お姉ちゃん。お帰り。どこ行ってたの?」

「……ええ、少しね」


 お姉ちゃんはそう短く答えて、そのまま私の側を通り過ぎて二階の自室へ戻っていってしまった。


「……ど、どうしたの……?」


 取り残されたような気分で私は虚空に向けてそう問い掛けるが、当然答えは返ってこなかった。

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