第一二一編 交錯する片想い⑰
★
時刻は午後六時半。いつもバイトをしている時間だと考えればなんでもないかもしれないが、女の子が外を出歩くには十分遅い。それにあまり長居をしても迷惑だろう。
使用人の
「お前ら、どうやって帰るんだ?」
「僕は歩いて帰るよ。すぐそこだからね」
「あっ、そりゃそうか。桃華は?」
「…………」
「……桃華?」
「……へっ? はっ、はいっ!? な、なんでございましょうか!?」
「『なんでございましょうか』?」
まるで〝
「え、えっと……私はバスで来たから、帰りもそうしようかな。
「ああ、俺もバ――」
「俺もバスで来た」と言いかけて、俺はハッと口をつぐむ。
家が近所なのだから仕方ないことかもしれないが、今日は他のことに忙しすぎてこの二人を良い雰囲気にさせてやれなかったのだから、せめてこれくらいは気を回しておくべきかもしれない。
「……あー、俺は電車だな」
「え? でもバスの方が早いんじゃない? 駅まで結構あるし、せっかくだから一緒に……」
「い、いや、もう切符買ってあるんだよ!」
「なんで!? えっ、なんでもう既に帰りの分の切符を買ってあるの!?」
あまりにも不自然な言い訳に、桃華と久世がぎょっとする。……しまった。「ICカードのチャージ分があるから」とか言えばよかった。
とはいえ発言を取り消すわけにもいかず、俺は適当に愛想笑いをして誤魔化すことしか出来ない。
「…………」
ふと見ると、一応見送りに玄関先まで出てきていた七海が無表情にこちらを見つめていることに気が付く。
「……な、なんだよ?」
「……別に」
ふい、と視線を逸らすお嬢様に、俺は疑問符を浮かべる。
「(なんか
いつもは言いたいことをズバズバ言ってくるくせに今日はやけに言葉を濁すし、かと思えば勉強している時はいつもよりも僅かながら親切だったり……よく分からない奴だ。
「……それじゃあ帰ろうか。
「お邪魔しました!」
「とんでもございません。またいつでもいらしてください、久世様、
「はい。ありがとうございます。……じゃあ、またな」
「…………」
七海の後ろに控えている本郷さんが柔らかな笑みを浮かべて見送ってくれる中、俺たちは門の方へ向かって歩きだす。
来たときは思わなかったが、日暮れの庭、というか森みたいな舗道は妙な不気味さがあるな……。
俺が「まさか獣の放し飼いとかしてるんじゃねえだろうな……」などと、庶民には分からない金持ちの感性に疑心暗鬼になりながら歩いていた、その時だった。
「――待ちなさい」
後ろで、七海が声を上げた。
なんだろうと思って俺たちが振り返ると、彼女はやけに真剣な顔をして言う。
「――家まで送るわ。乗りなさい」
そう言って彼女が視線で示した先では、本郷さんが車の用意をしているのが見えた。
「…………え?」
★
「す、すごい車だね、あはは……」
「…………」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が、高級車の車内に広がる。
運転している本郷さんはともかく、俺と七海が何も返さないせいで桃華がでかい独り言を呟いたかのようになってしまった。
ちなみに家が近くだという久世は、そのまま徒歩で帰った。……こういう重い空気だとあのイケメン野郎が恋しくなるが、今朝のことを思い返すと、あいつが居たところで役に立たなかったような気もする。
「(……なんだこの状況……つーかなんで
ちらり、と右側――この車は後部座席が長い〝コ〟の字型のソファーになっている――に座っている七海を見る。
彼女は珍しく本を開くこともせず、静かに車窓を流れる景色を眺めていた。まるで、何か考えに
「……あ、あの、そういえば」
沈黙に耐えかねたように、桃華が運転席の本郷さんに顔を向ける。
「い、家の場所とか何も伝えてませんけど、大丈夫ですか?」
「お気遣いありがとうございます。ですが問題ございません。以前一度、小野様のご自宅へ伺っておりますので」
「あっ、そうなんですね。良かったぁ。……。……えっ?」
ニコニコと顔の向きを戻して桃華の表情が、徐々に「なんで悠真の家に行ったことあるんだろう」的なものへと変わる。
「……や、やっぱり二人って、そういう……!?」
「久し振りに来やがったな、その疑惑……そろそろ面倒くさいんだが」
俺はため息をついて、桃華の疑念混じりの視線を振り払うように手を振る。
本郷さんが言ったのは、クリスマスの夜にホテルから戻ったときのことだろう。当然その話を桃華にするわけにはいかないので、説明することはできないが。
桃華とて、俺と七海がそういう雰囲気ではないことくらい流石に分かっているようで、「だ、だよね」と軽く笑う程度で話は流れた。
その後もこれといった会話もなく――多少俺と桃華が言葉を交わしたくらいだ――、桃華の家の前に到着した。
彼女は本郷さんの手を借りつつ車を降りると、俺と七海の方を振り返って笑顔を向ける。
「七海さん、今日は本当にありがとう! また学校でね!」
「……ええ」
「悠真も色々ありがとう。また学校――じゃなかったね」
「ああ、明日バイトで、だな」
今日休ませて貰った分、明日は三人ともシフト入りしている。日曜だし忙しいだろうなぁ、という予感に苦笑する。
桃華が「じゃあね!」と手を振っているのを背景に、車が再び動き出した。
俺の家は桃華の家から徒歩数分もかからないのであそこで一緒に降ろしてもらっても構わなかったのだが、何故か本郷さんに止められたので、仕方なく家の前まで送ってもらうことにする。
「――小野くん。貴方は、現状に満足しているのかしら」
「……え?」
いきなり七海に問い掛けられ、俺は思わず問い返した。
「な、なんだよ、満足してるのか、って……?」
「…………いいえ、なんでもないわ」
まただ。また言葉を濁した。一体どうしたんだ、こいつは……?
このお嬢様の考えていることなんて未だにさっぱり分からないが、そんな俺でも分かるくらい、今日のこいつは――
「――小野様、到着いたしました」
そんな思考は、運転席の本郷さんの言葉によって遮られる。
本当に一分足らずの時間だった。わざわざ送ってもらうような距離ではない。
まさか今のよく分からない質問をするためだったのかとも思ったが、結局俺は答えないまま車を降りることを許された。
「……っと……その、今日は悪かったな。……また、学校で」
「…………」
俺の別れの挨拶に何も返さず、七海は視線を下に落とした。声を掛けたのに半無視されるのはいつものことなのだが……。
「――小野くん」
俺が玄関へ向かおうとしたその時、後方でとん、と誰か――といっても七海しかいない――が車から降りる音が聞こえた。
顔を向けると、彼女は俺のことを真っ直ぐに見据えている。
「……な、なんだよ?」
まさか彼女が車から降りるとは思わず、僅かに動揺しながら聞くと彼女は――七海未来は、静かに、しかしハッキリと言った。
「――貴方に協力するのは、今日でお仕舞いにさせて貰うわ」
――冬の空に浮かぶ薄雲が、月を覆い隠した瞬間だった。
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