第一一九編 交錯する片想い⑮


 書斎を出た桃華ももかは、機嫌良く七海邸のピカピカに磨き抜かれた廊下を歩く。

 今日は一日、とても楽しかった。大半は真面目に勉強していただけだったが、彼女にとってはそれすらも楽しい時間だ。

 普段桃華がつるんでいる友人――やよいやシズカなどとは、こういった勉強会のような集まり方はしない。いや、夏休み明けに一度だけあったが、それも中間試験前に切羽詰まったシズカが「ほんまに! ほんまに一生のお願いやからっ! なっ! なっ!?」と頼み込んできた時だけだ。


 だから今日のように比較的成績のいい面々――悠真ゆうまもシズカと比較すればそうだと言える――が、まだ一月ひとつきも先の試験に備えて勉強する機会などありはしなかった。

 もちろん、今桃華の機嫌が良いのは単純に楽しかったから、というだけではないのだが。


「(久世くせくんと七海ななみさん、思ったよりずっと普通に話してたなぁ。まだちょっとぎこちない感じはするけど、私も心配しすぎだったのかも)」


 今日一日を振り返り、一人クスクスと嬉しそうに笑う桃華。

 元より彼女は想い人の真太郎しんたろうと、その幼馴染みだという未来みくの二人が不仲だということに心を痛めていた。

 それは彼女の人の良さに起因するだけでなく、彼女の親友が幼馴染みのやよいであることや、〝甘色あまいろ〟に入ってから昔のように話す機会が増えた悠真が原因だろう。

 要は、桃華が〝幼馴染み〟という言葉から連想する関係と、真太郎・未来の両名の関係性がかけ離れていたのだ。


 ゆえに桃華は悠真を頼り、そして今日に至る。

 幼馴染みの彼は、桃華が驚くほど手際よく場を整えてくれた。特に桃華からすればまだ気難しいという印象が拭いきれていない未来を誘うのは、おそらく彼でなければ出来なかったはずだ。

 反面、桃華じぶん自身がほとんどなにもしていないことへの罪悪感はあったが……それについては後日悠真になにかお礼をしようと考えるしかない。


 ともあれ、一日を通して確認した限り、前回の〝甘色〟での勉強会の時に聞いた、別に未来は真太郎を嫌っているわけではない、という言葉は嘘ではなかったと知れて、桃華としては満足だった。

 無論、本当はもっと仲良くなってほしいという思いはあるが……どんな人間にだって相性はある。険悪な雰囲気でないのなら、それ以上桃華が首を突っ込むのも良くないだろう。


「……あ、美紗みさちゃん」

「! ……桐山きりやま先輩」


 鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌で歩いていた桃華の手前にあった一室から現れたその少女に、桃華は声をかけつつ歩み寄る。

 対する少女――七海美紗は若干「うっ……」という顔をしたが、浮かれ気味の桃華はそれに気付かない。


「ここ、美紗ちゃんの部屋なの?」

「あ、はい。桐山先輩は……お手洗いですか?」

「うん! そろそろおいとまさせてもらうから、その前にお手洗いだけ借りようと思って……ご、ごめんね?」

「え? いえ、全然大丈夫ですよ?」


 もしかして帰る間際にトイレを借りるのって失礼なのかな……と、ここが別邸とはいえ世界有数の企業令嬢たちが住まう家だと思い出した桃華は謝ってみるが、美紗は何を謝っているのか分からない、という顔だった。


「そ、そう? あはは……」

「え、ええ。あはは……」


 なんとなく微妙な空気だった。

 桃華はコミュニケーション能力に長けてはいるものの、相手はお世辞にも親しいとはいえない同級生の妹である企業令嬢だ。そして美紗から見ても、桃華は中学卒業後に通うことになる高校の先輩にあたる。

 一度言葉を交わしているとはいえ、いざこうして二人で対面すると会話に困ってしまうのだ。


「……いや……これ……ャンスなのか……?」

「? 美紗ちゃん? 今なにか言った?」

「あひっ!? い、いえっ、なにもっ!?」


 なにやらボソボソと呟いた美紗に桃華は首を傾げるが、本人がなんでもないと言うのならそうなのだろう。


「えっと、じゃあ美紗ちゃん。今日はお邪魔しました。またね?」

「えっ、あっ、は、はい。桐山先輩。その……また」


 部屋から出て来るところだったということは、美紗はどこかへ向かおうとしていたのだろう。それをこれ以上は引き止めまいと、桃華は別れ際にニコッ、と笑顔を向けてから改めて廊下を歩き出す。


「あっ、あのっ!」

「ひうっ!? は、ひゃいっ!?」


 突然後方で声を張り上げた美紗に、桃華はビクゥッ、と肩を跳ねさせて慌てて振り向いた。

 見れば彼女は、なにやら葛藤と決意が入りじったような表情で、真っ直ぐに桃華のことを見つめている。


「そ、その……! き、桐山先輩に、一つお聞きしたいことがあるんです!」

「わ、私に?」


 会ったばかりの自分になんの質問だろうか、という疑問を抱きつつ、桃華は「は、はい。どうぞ?」と話の先を振る。

 すると未来の後輩はすぅ、はぁ、と深呼吸をしたあと――決意の眼差しとともに、ド直球に聞いてきた。


「き、桐山先輩はっ――真太郎さんと、お付き合いをされているんですかっ!?」

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