第一一八編 交錯する片想い⑭

 午前中と同じように、勉強会の後半もつつがなく進行した。

 強いて言えば、普段から自習の時間など皆無な俺は途中から集中力が途切れ、机の上に倒れたところを見た久世くせ桃華ももかに叱られる、という一幕があった程度だ。……学生の言うことではないのだろうが、しばらく教科書とノートは開きたくない。


 桃華の方も、学年ツートップのお陰もあって、実りある時間を過ごせたようだった。

 もちろん今日一日で出来る勉強量には限界があったが、どうやら彼女は勉強会をしようと決まった日から毎日家で勉強して、あらかじめ質問したいところを纏めておいたそうだ。

 まったく、尊敬に値する真面目ぶりである。まあ、秀才であるはずの桃華が自分で考えても分からなかったような問題をスラスラ教えられる天才二人も大概だとは思うが。本当に同い年なのか、こいつら。


 一方で、久世と七海ななみの関係性については、なんとも言いがたい。

 午前中に引き続き、普段と違って会話が成立しているし、そういう意味では成功なのかもしれないが……今後学校や〝甘色あまいろ〟で顔をあわせたとしても、おそらくはこれまでと変わらない二人のままだろう。そういう意味では失敗とも言える。


 とはいえ、桃華はなんとなく久世と七海の関係性を理解してくれている様子だった。決して仲良くはないかもしれないが、心底嫌い、嫌われる関係などでもないということを。

 彼女がそれで満足してくれたかは分からないが、一先ず今日の戦果としては十分だろうと信じたい。……出来れば今後は、こんな胃の痛くなるような勉強会は御免こうむりたいが……。


「ごめん、七海さん。ちょっとお手洗い借りてもいい?」

「……ええ、どうぞ」


 日も暮れてきて帰り支度を始める俺たちに「ちょっと行ってきます」と、部屋を出ていく桃華。トイレの場所分かるのか、と思ったが、そういやアイツ、今朝やらかしたときに化粧落としに行ってたな。

 彼女消えたドアをぼんやりと見つめながらそんなことを考えていると、不意に久世が「小野おのくん」と声を掛けてきた。


「今日は誘ってくれてありがとう」

「な……んだよ、急に。お前といい桃華といい、今日は俺に感謝する日なのか? 〝敬俺けいおれの日〟か?」

「け、けいおれのひ……?」

「……フッ」

「おい七海、テメェ今回は確実に鼻で笑っただろ」

「笑っていないわ。……嘲笑わらっただけよ」

「おい、今なんてルビ振った? どんな漢字に『わらう』とルビを振った? つーか結局わらってんじゃねえかよ……」


 噛みついてみたものの、疲れが勝って力なくツッコミを入れる俺に、久世が苦笑する。


「その、僕はあまりこうして皆で集まって勉強したりすることがなかったからさ。今日はすごく楽しかったよ」

「あ……? お前みたい人気者は、毎日のように友達の家で勉強会してるんじゃねえのか?」

「……貴方の中の〝人気者〟の定義がおかしいような気がするのだけれど」

「う、うん……あんまりそういうことはない、かな……?」


 俺に呆れたような目を向けてくる七海と、どう答えたものかと困っているのがありありと見てとれる久世。ちょっとした冗談のつもりだったのだが、俺ってこいつらから本気でそんなこと考えてる奴だと思われてるのか? ……じ、地味にショックだ。


「その、遊びに誘われることくらいはあったんだけれど、高校に入ってから……特に夏休み……ううん、アルバイトを始めてからは、そういう機会もほとんどなかったからね」

「!」


 事情を知らないであろう七海に気を遣わせたくなかったのか若干言葉を濁した久世に、俺はわずかに瞳を見開く。……そうか、確かコイツ、夏頃に親父さんを……。

 出会う前から〝学園の人気者〟〝モテまくりのイケメン野郎〟という認識だったからあまり深く考えたことはなかったが、少なくとも俺が出会ってからの久世は、俺が思うよりもずっと苦労してきたのかもしれない。……それこそ、恋愛にうつつを抜かすような時間などないほどに。


「だからありがとう、小野くん」


 改めて礼を言った久世に、俺はどう返答したものかと迷う。

 ……俺が誘ったせいで久世は今日バイトに出られなかったが……それは果たして、迷惑ではなかっただろうか。本当は一日でも多く、働きたいんじゃないだろうか。

 久世は嬉しそうに笑ってくれているように見えるが……それが心からの笑顔かどうかを判別することなど俺には出来ない。


「……れ、礼なんか要らねえよ。……その……悪かったな、無理に誘ったりして」

「え? ううん、そんなことないよ。たまの休日に皆と過ごせて、いいリフレッシュになったからね」

「……そうか」


 頷いてはみるが、だったら勉強会なんかより、もっと楽しい過ごし方を考えるべきだったな、と思わされてしまう。

 もちろん今日の目的を考えれば〝勉強会〟以上にこの四人が集まる口実は思いつかないが……。


「……その、よ」


 俺は若干目を逸らしつつも、久世に言う。


「……次は、もっと普通に遊ぶってのも……ありだな」

「! ……うん、そうだね。また皆で遊ぼう」


 心なしか、いつものイケメンスマイルよりも嬉しげに映る久世の笑顔に、俺は自分らしくないことを言ってあかくなっているだろう頬を彼から背けて七海に顔を向ける。


「そ、その時くらいは付き合えよな、七海!」

「…………そうね。考えておいてあげるわ」

「おっ!? お、おうっ!? か、考えとけ考えとけ!」


「嫌よ」と即答されると思っていた俺は微妙に声を裏返らせながらも、その動揺を隠すようにぶんぶんと頭を縦に振る。

 ……な、なんだ……? この他人ひと嫌い女がこんな誘いに応じ――てはいないが、「考えておく」と答えるなんて……。


「……明日はひょうか? 大雪か……?」

「…………」

「痛えっ!? な、なにしやがる!?」

「別に」


 いきなり机の下ですねを蹴られて悲鳴を上げる俺に、七海は素知らぬ顔で本に視線を落としている。……こ、この野郎……。

 仕返しに七海の足を蹴ってやろうか、いやでも本郷ほんごうさんにバレたらタダじゃすまないよな……などと考え、結局涙目で七海を睨むことしか出来ない俺に、久世が少しだけ寂しそうに笑う。


「――やっぱり、小野くんには敵わないなあ」

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