第一一七編 交錯する片想い⑬



悠真ゆうま悠真。けっこう上手くいってるね?」

「お、おう。そうだな」


 七海邸の書斎だという本だらけの部屋に戻った俺に、隣に座る桃華ももかがヒソヒソと話しかけてきた。

 室内に残る二人の姿はない。七海ななみはリビングでコーヒーを飲み終えたら、久世くせはトイレに行っている。

 その隙を突くようにして嬉しそうに言ってくる彼女に、俺は微妙に目を逸らしながら応える。


「今更だけどごめんね、悠真。私が頼んだことなのに、全部悠真にセッティングしてもらっちゃって……」


 申し訳なさそうに手を合わせる桃華。

 たしかに彼女の言う通り、今日〝勉強会〟という名目でこの四人が集う場を整えたのは俺だ。「久世くんと七海さんを仲直りさせたい」と言い出したのは桃華なので、そのことを詫びているのだろう。


「いや、気にしなくていいって。そもそもお前じゃあのお嬢様を誘うのは無理だから、俺に声を掛けたんだろ?」

「あはは……そ、そうだね。私が知る限り、悠真が一番七海さんと仲良いから……」

「仲良くはねえけどな、別に」


 俺はため息をつきつつ、心の中で「下手に桃華おまえにセッティングされた方が困るだろうし」とぼやいた。

 というのも、最初桃華に相談された時点で「場のセッティングは任せてほしい」と言い出したのは他でもない俺自身なのだ。それは今言った通り、桃華では七海を誘うことは出来ないだろうからである。

 それに俺には〝桃華の恋を応援する〟という本来の目的もあるのだ。むしろ一任してもらえて好都合なくらいだった。無論、本人相手にそんなことは言えないが。


「――ありがとうね、悠真」


 不意にそう言われ、俺は思わず目を見開く。

 幼馴染みの少女はその綺麗な瞳でこちらを真っ直ぐに見つめながら、美しい笑みを浮かべていた。

 いつもの彼女のような明るく、ほがらかな笑顔ではない。

 上手く言葉にすることが出来ないが……静かで、透き通るような笑顔だ。

 俺がしてきたことを全て知っているんじゃないかと――そう思わされてしまうような。


「な……なんだよ、いきなり……」

「ふふっ。ううん、言いたくなっただけー」


 照れて顔を背ける俺に、桃華は機嫌良さげに両足をぶらつかせながら、クスクスと笑い声を漏らす。

 普段はこういった可愛らしい性格をしている分、不意打ちのように「綺麗」だと思わせられるのはとても困る。……顔があかくなっていないことを祈るばかりだ。

 俺が照れを誤魔化すように、意味もなく英語の教科書をパラパラと捲っていると、桃華が「そういえば」と口を開いた。


「悠真って、美紗みさちゃんと仲悪いの?」

「あ? あー……まあ、仲良くはない……みたいだな」


 どこか他人事ひとごとのようなその返答に、「なにそれー」と桃華が苦笑する。


「なにか酷いこと言ったんじゃないの? 美紗ちゃん、すっごく礼儀正しい子なのに」

「そんなことするかよ。まったく心当たりもない」


 俺は「馬鹿なこと言うな」とでも言わんばかりに即答する。

 勿論、嘘だ。心当たりならある。といっても七海妹を罵倒したわけではなく、その想い人である久世を、だが。

 しかしいくら冗談だったとはいえ、流石に桃華にそれを言うのは躊躇ためらわれた。好きな人を悪く言われて気分の良い人間なんていないだろうし、わざわざそんなことを答えて桃華に嫌われたくはな――


「(……馬鹿だな、俺は……)」


 そこまで考えて、俺は思わず自嘲してしまう。

 まったく、どこまでも女々めめしい奴だ。桃華の恋を応援すると決めたあの日から、根っこのところはなにも変わっちゃいない。

 桃華が好きだという気持ちも、彼女に嫌われたくないという気持ちも。

 その気持ちに対して、やっていることが矛盾しているにもほどがある。


「(……でも)」


 俺は静かに、自分の胸に手を当てる。

 相変わらず、痛い。桃華への想いを胸の奥で飼い殺すのは。

 けれど、以前ほどの激痛ではなくなった。彼女への想いは決して薄れていないはずなのに。


 その理由はきっと、今の桃華が幸せそうだからだろう。正確には学校で、〝甘色あまいろ〟で、久世と話している時の桃華が。

 去年までのガチガチ具合が嘘のように、最近あの二人は親密になったと思う。残念ながら恋愛的な進捗はないものの、会話の端々から仲の良さや互いへの信頼が見えるようになった。

 そして不思議なことに――俺はそんな二人の姿を見ることが嫌いではなかったのである。

 それはきっと俺自身が彼女を……いや、〝彼らを〟好きだからなのだろう。

 可愛らしい幼馴染みも、いけ好かないイケメン野郎も、どっちも。


 だったら――幸せになってほしいじゃないか。


 そのためなら、俺のくだらない片想いなんか――。


「……どうでもいい、よな……」

「へ? 今なんか言った?」

「……うぇっ!? い、いやなにも!?」


 きょとんとした顔をしている桃華に問われ、俺は慌てて両手をぶんぶん振る。

 あ、危ねぇ……思わず声に出ちゃったよ。

 心の中で冷や汗を拭う俺に、桃華はそれ以上追及してくることもなく、すぐに話題を戻した。


「もしかして美紗ちゃん、悠真にお姉ちゃんがとられるのが嫌なのかもね」

「はあ? 馬鹿馬鹿しい……。俺と七海の関係を『仲良い』って表現できるなら……この世界に戦争なんか生まれねえんだよ」

「いやそんなスケールの話してたかな今!?」

「そもそも七海妹アイツはほぼ初対面からあんな感じだったんだよ。人間的な食い合わせが悪いんだろ、きっと」

「そ、そういうものなのかなあ……?」


 納得していない様子の桃華に、しかし俺は「この話はここまで」と言わんばかりに、午前中にまとめた汚い字で書かれたノートを開く。……これを後から解読するのは大変そうだぞ、未来の俺……。

 俺は復習しているような雰囲気を醸し出しつつ、本当にどうしてあんなに嫌われているのやら、と改めて考える。

 というか、普通に考えるなら桃華の方が七海妹に嫌われてもおかしくなさそうなもんだが。だってこいつらは二人とも久世のことを――


「(あれ……? そういや、七海は知ってんのか? 妹が久世に惚れてるってこと……)」


 俺ですら知っていることを姉である七海が知らないとは思えないが……七海アイツの他人への無関心さを考えると微妙なところだ。とはいえ妹のことはそれなりに可愛がっているらしいが。

 ……でも、もし知っているとしたら、彼女はどういった想いで俺に協力してくれているのだろう。

 妹が失恋しても構わないのだろうか、それとも……?


 俺は久世と七海が書斎に戻ってくるまで、悶々もんもんとそんなことを考えながら過ごしたのだった。

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