第一一五編 交錯する片想い⑪

 ★



 変な感じだった。

 なにがって、小野おのさんが彼女――桐山桃華きりやまももかさんに見せた反応が、である。

 距離を詰められて慌てた様子といい、紅潮させた頬といい……まるで意識している異性に見せるような反応だった。

 私は食後の紅茶を口に運びつつ、「じゃあそろそろ勉強会再開するかー」と言っている彼に目を向ける。


 私はてっきり、彼は七海未来おねえちゃんのことが好きで、そしてお姉ちゃんも好きとまでは言わずとも、小野さんにそれに近い感情を抱いているのでは、と思っていた。

 これは、私が真面目に考えた結論でもある。以前は「お姉ちゃんと小野さんは互いに奉仕ホーシしあうただならぬ関係なのでは」などという、今となっては恥ずかしい勘違いをしていた私だが、この結論についてはそれなりに確信を抱いていたのだ。


 その理由は、あのお姉ちゃんがあれほど気を許しているという事実に基づく。

 端から見れば分かりづらいだろうが、妹の私からすれば、お姉ちゃんの小野さんに対する態度は普段の――他人ひとを嫌う彼女のそれとはまるで違う。

 先日の電話の件も踏まえれば、お姉ちゃんが小野さんをなにやら特別扱いしているというのは間違っていないだろう。

 そして女であるお姉ちゃんが、男である小野さんを特別扱いしている、となれば――そこに恋愛感情やそれに準ずる好意などがあると考えてしまったのだ。


「……それじゃあ美紗みさ、僕たちはまた書斎で勉強させて貰うね?」

「あっ……はい。頑張ってくださいね、真太郎しんたろうさん。それに、桐山先輩も」

「うん! ありがとう、美紗ちゃん!」

「……えっ、俺は?」

「……時には諦めも肝心だと思いますよ?」

「どういう意味だよ!? あれか、馬鹿がどんだけ勉強してもテストで点がとれるようにはならないってか!?」

「はいはい、悠真ゆうまくーん、早く行きましょうねー」

「ガキか俺は!? おいやめろ、押すなよ久世くせ!?」

「ほら行くよ、小野くん、桐山さん。未来みく、先に勉強を始めてもいいかい?」

「……ええ」

「(……仲いいんだな、あの三人……)」


 真太郎さんと桐山先輩に押されるようにリビングを出ていった小野さんの背中を眺めつつ、私はぼんやりとそんな感想を抱く。

 服部はっとりの調べが正しいのなら、あの三人が知り合った切っ掛けは例の喫茶店であり、とすると付き合いは精々三ヶ月程度のはずなのだが……いや、まあ仲の良さは年月だけでは測れないか。


「……お姉ちゃんは行かなくていいの?」

「……ええ。これを飲み終えてから行くわ」


 私はこんな時でもソファーでコーヒーを飲みつつ、小さな文庫本を開いているマイペースな姉に、「ふーん」と気のない返事をする。

 真太郎さんもいるとはいえ、小野さんが桐山先輩という自分以外の異性と親しげにしていても気にしていない様子だ。やはり、お姉ちゃんが小野さんに好意を持っているというのは私の勘違いなのだろうか。


「(まあどう考えても不釣り合いだしね。お姉ちゃんにはもっと良い人の方が――そう、たとえば真太郎さんみたいな……)」


 そこまで考えて、私はピタリと紅茶のカップへと伸びた手を止める。


「(――そうだよね。お姉ちゃんの心配してる場合じゃないんだからね、私……)」


 そこで私は、今さっき初めてまともに顔を合わせた桐山先輩のことを思い浮かべる。

 というのも彼女は現在、私の脳内における〝恋愛ブラックリスト〟にその名を刻まれている人物――すなわち、〝真太郎さんとなのでは〟と疑っている人物だからだ。

 その疑惑に至った経緯は省略するが……今のところ、私は彼女は白に近いグレーだと考えている。


「(たしかに仲は良いんだけど……どっちかっていうと〝友だちとして〟って感じがするんだよなぁ……それこそ小野さん相手と同じっていうか、付き合ってるにしては若干距離があるというか……呼び方もお互いに名字だったし……)」


 そりゃ交際関係にあるからといって、名前で呼びあわなければならないというルールはない。だからそれだけであの二人が交際していない、と結論づけるのは早計なのだろうが……。

 だが私たち姉妹がそうであるように真太郎さんは親しい相手は名前で呼ぶし、桐山先輩の方も小野さんのことは名前呼びにしているし……ん、あれ?


「(そういえば……なんで桐山先輩は小野さんのことを名前で呼んでるんだろ……?)」


 考えてみれば、小野さんの方も同じだ。お姉ちゃんのことは名字で呼んでいるのに。

 いや、それ自体はなにも不思議ではない。私だって学校の男子を下の名前で呼び捨てることくらいあるし、ある程度仲が良ければむしろ自然なことだろう。

 けれどあの四人の関係性と踏まえて考えると――やはり分からない。

 まさかあの四人はまったく恋愛感情など介在していない、ただの仲良し四人組だというのだろうか? ……それはそれで、納得できない部分が多々あるのだが。


「(……あー、モヤモヤするなぁ! 直接聞ければ早いのに!)」


 寝起きで忘れていたが、本来私は今日の勉強会というタイミングで桐山先輩に直接「真太郎さんとお付き合いをされているんですか?」と問うつもりでいたのだ。

 あの様子を見る限り、その可能性は随分低いようにも思えてきたが……しかし彼女以外に〝真太郎さんに彼女が出来た〟という例の噂に当てまる人がいないのもまた事実。


「(でもどちらかといえば桐山先輩のことを好きそうなのは小野さんの方だったしなぁ……これについては、ただの勘でしかないけど……)」


 結局、情報が足りなさすぎて結論が出ない。

 だが、今日ほどのチャンスはなかなかないはずだ。なんとしても今日中に真太郎さんの身辺状況を洗い出さないと……。

 私が唇を軽く噛みつつ、焦燥に駆られていたその時、視界の隅でお姉ちゃんがソファーから立ち上がったのが見えた。


「美紗。私も書斎へ戻るわ。テーブルここに置いてあるケーキ、食べたいものがあれば好きにして」

「うん、ありがとう……」


 考えにふけるあまり、お姉ちゃんの言葉を半分流し聞いていた私は――しかし次の瞬間立ち上がり、「お、お姉ちゃんっ!」と彼女を呼び止めていた。


「? どうかしたの?」

「えっ……あっ、いや、その……」


 ま、まずい。焦りも手伝ってつい呼び止めてしまったが、お姉ちゃんに聞いてどうするんだ。

 私が知りたいのはあくまで〝真太郎さんと桐山先輩の関係〟だ。一緒に勉強会をしているとはいえ、他人ひとに無関心なお姉ちゃんに聞いても求める答えが返ってくるとは思えない。

 そもそもお姉ちゃんが勉強会の場所として七海別邸うちを貸したのは、あくまで喫茶店で小野さんに頼まれたからに過ぎないだろうし……あああ、こうしている間にもお姉ちゃんが不思議そうな顔でこっちを見ている! なにか、なにか言わないと!


「あ、あのねっ、お姉ちゃんっ!」


 気付けば私は、半分自棄やけになって叫んでいた。


「お……小野さんのこと、どう思ってるっ!?」

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