第一一四編 交錯する片想い⑩

「え、えーっと……美紗みさちゃん、でいいかな?」

「? はい?」


 先ほどとは別の使用人さんが運んでくれた朝食兼昼食らしいパスタを口に運んでいる七海ななみ妹に、桃華ももかが声を掛ける。


「私、桐山きりやま桃華っていいます。みんなとは同じ高校の同級生なんだ。よろしくね」

「…………」


 ニコッ、と可愛らしい笑顔と共に挨拶をした桃華に、対する七海妹はなぜかジトッとした瞳を見せる。

 が、彼女はチュルリとわずかに口からはみ出していたパスタをすすると、座ったままではあるが、意外なほど礼儀正しくペコリと頭を下げた。


「七海美紗です。こちらこそよろしくお願いします、桐山

「うん!」

「……俺の時とはえらい違いだな……」


 俺がそうぼやくのと同時に、桃華が「あれ?」と首をかしげる。


「先輩……? 私が?」

「あっ、はい。私、来年から初春はつはるに通うことが決まっているので」

「えっ、そうなんだ!? うわー、後輩ちゃんかあ!」

「ゲッ……まじかよ……」


 高校生活初めての後輩に対し、桃華と俺の反応は対極的だった。

 可愛らしい後輩女子に目をキラキラさせるのが桃華、正直あまり好印象ではない生意気な中学生にげんなりするのが俺だ。


「たしか、結構前に推薦で決まってたんだよね?」

「そうなの!? じゃあお姉ちゃんと同じ〝特待組〟!?」

「はい、一応は。といってもお姉ちゃんは一般入試を受けて入学してるので、同じ一組でも私とは違いますが」

「……あれ、七海おまえって推薦組じゃないんだっけか?」

「……ええ。私は推薦入学の条件を満たしていなかったから」

「あー……。……お前、さては中学からサボり癖あったんだな?」

「…………」


 俺の問いに七海は答えなかったものの、否定しない時点で肯定したも同義だ。……まあ高校一年ことしと同じくらいサボっていたとすれば、そりゃあ内申が最重視される推薦入学は厳しいだろう。


久世くせくんは推薦組だったよね?」

「そうだね。でも僕は最初はスポーツ推薦で声を掛けられていたから、厳密に言えば美紗とは違うんだけど」

「そう考えると、初春うちって結構入学方法分かれてるよな。結局倍率が激しいのが一般の前期入試ってとこは変わらんが」

「あの、桐山先輩はどうだったんですか?」

「私? 私はその……第一志望の高校で失敗しちゃって、その滑り止めだったんだよね」

「えっ? そ、そうだったのかい?」

「う、うん」


 照れたような、恥ずかしがっているような顔で答えた桃華を見て、俺は当時のことを思い出す。


「(そういや――桃華と同じ高校だって知ったときは、すげえ嬉しかったんだよな……)」


 中学校を卒業したらもう桃華の顔を見られる機会など激減する、と思っていた俺は、桃華も初春だと知って喜んで――そして後から彼女が第一志望に落ちたんだと知って、やけに暗い気分になったものだった。

 俺個人の感情だけなら、そりゃあ同じ高校に行けた方が幸せに決まっているし、実際ガラにもなく神様に感謝したり、〝運命〟なんて言葉を信じそうになったものだが……。

 でも、彼女が本当に行きたかった高校へ行けなかったと考えると悲しくて、喜んでしまった自分を恥ずかしく思った。

 もちろん結果だけを見れば、初春に来たお陰で桃華は久世と出会い、そして恋に落ちたのだから、むしろ彼女にとっては良かったのではないかと思えるが――。


「…………」


 ――もし、もしも桃華が初春に来ていなかったら。


 ――小野悠真おれの彼女への想いは、変わらなかっただろうか。


 横目で、久世と楽しそうに話している桃華を見る。一〇年間想ってきた幼馴染みの横顔を。


「(……変わった……だろうな。いや、もっと正確に言うなら――)」


 諦めた、だろう。おそらくは、今の俺と同じように。

「桃華に好きな人が出来たから」と、自らの恋を諦めた今の俺と同じように。

〝勇気〟が出ないことへの理由付けをして、なんだかんだと告白しないまま、彼女のことを諦めたのだろう。


 分かっている。俺はそういう人間なんだから。

 今だって桃華への想いは消えちゃいないが、「じゃあ今から告白していいよ」と言われても出来る気がしない。つまりはそういうことだ。


 ――俺は結局、なにかと理由をつけて桃華に想いを告げられないままだったに決まっている。


「――ま。――ーうーま! ……ねえ、悠真ゆうまってば!」

「うおっ!?」


 いきなり両肩をつかまれて大声を掛けられてしまい、俺はビクッ、と身を跳ねさせる。

 見れば、額がつきそうなほどの至近距離でこちらを見ている桃華が目に入った。


「な、なんだよいきなり!? つ、つーか近えっ! 離れろ!」

「いきなりじゃないよ! 何回も呼んだじゃん!」


 その言葉に俺は「え、えっ?」と間抜けな声を出す。……どうやら考えているうちに周りに意識が向かなくなっていたらしい。

 見れば、リビングにいる全員が俺に視線を向けていた。


「わ、分かった、悪かったからとにかく離れろ。ガキみたいにくっつくなよ」

「悠真が呼んでも揺すっても反応してくれないからだよ。美紗ちゃんが、悠真の入試のときの話も聞きたいんだって」

「あ? 俺の?」


 桃華に言われて顔を向けると、食事を終えたらしい七海妹がなにやらいぶかしげな表情で俺のことを見ている。


「……な、なんだよ?」

「……いえ、別に。……ちょっと、分からなくなっただけです」

「は?」


 分からなくなった? ……え、なにが?

 前もそうだったが、七海妹コイツの言葉はいちいち突拍子がないというか、何を言っているのか分からない。言葉足らずとでも言えばいいのだろうか。

 そんな俺の思考を読み取ったのか、彼女は話題転換でもするかのように「そ、それで?」と言う。


「小野さんは一般入試ですか? それとも推薦?」

「一般入試に決まってんだろ。俺はコイツらみたいに賢くねえんだよ」

「ですよねー。小野さんからは知性とか感じませんし」

「俺は野性動物か。つーか七海妹、テメェ俺にもちゃんと〝先輩〟ってつけろよ、後輩なんだから」

「小野さんを先輩として敬うとか無理なんですけど」

「いやひどいな!?」


 俺の嘆きに桃華と久世が笑い声を上げ、遅れて七海妹もクスクスと笑みを溢す。


「…………」


 そしてそんな中――静かな黒い瞳が、俺のことを見据えているような気がした。

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