第一一三編 交錯する片想い⑨

 俺は自分の額に汗が浮かび始めたのを感じつつ、目の前に立つ七海ななみの妹――七海美紗みさを見る。

 こうして明るい場所で正面から見据えたことはなかったが、それこそあの姉にしてこの妹あり、その外見は中身を知らない人間が見れば思わず息を飲んでしまうことだろう。

 俺は数カ月前、初めて七海未来みくを学校で見たときのことを思い出す。廊下から音を奪うほどの彼女に比べれば流石に劣るものの、それでも姉妹だけあって、贔屓ひいき目を抜きにして見れば桃華ももか以上に可愛らしい少女だ。

 先程は随分ラフな格好だったが、今は清楚めながら高級感のあるワンピースに身を包み、まさしく〝お嬢様〟らしい出で立ちをしている。

 もっとも――


「以前は少し言い過ぎたかもしれないと反省していたのですが……その必要はなかったみたいですね。小野悠真おのゆうまさん――いえ、塵屑ごみくずロリコンの下痢八方美人ハーレム野郎」

「いや長ぇよ。二人称が長ぇ」


 ――額にピクピクと浮かぶ青筋や、蔑みの目を隠そうともしない様子を踏まえれば、ただの生意気な中学生としか思えないのだが。

 どこかで聞いたような罵倒文句を一字一句違えずに再現してくるあたり、やはり俺の対面側のソファーでケーキを食ってるお嬢様の妹なのだと痛感させられる。


「……つーかそれは久世くせの二つ名だろ。俺には不釣り合いすぎるって」

「おかしいよね!? い、一体いつからその不名誉な罵詈雑言ばりぞうごんが僕の二つ名になったんだい!?」

「そうですよ! 真太郎しんたろうさんは八方美人なハーレム野郎ではあっても下痢ではありません!」

「美紗!? 僕はどちらかというと下痢よりも〝八方美人なハーレム野郎〟の方を否定して欲しいんだけれど!?」

「ふん、甘いな七海妹……久世コイツが俺達の高校でなんと呼ばれているか、お前は知っているのか……?」

「えっ……そ、それは一体……!?」


 俺の余裕をにじませた笑みを見て、意外とノリ良くシリアスなテンションを合わせてくる七海妹。……以前に姉の口から「あの子は私と違って社交的」と聞いたが、あながち嘘ではないらしい。

 それはさておき、俺はキリリとした表情で、ゴクリと唾を飲み込む七海妹に教えてやる。


「〝ロリコンハーレム下痢野郎〟だ」

「いや絶対嘘ですよね!?」

「そ、そうだよ小野くん! た、タチの悪い嘘はやめてくれ!?」


 七海妹と久世本人が揃って噛みついて来やがるが、俺は「いや、ほんとだって」と答える。


「俺のクラスの奴が言うには、元旦の神社で久世が女の子二人に両腕を引かれながら楽しげに歩いてたんだと」

「えええええっ!?」

「う、嘘……!?」

「いやそれ僕の妹だから! 双子の! というかなぜか驚いているけれど、美紗はそこで僕と会っているよね!? そして桐山きりやまさんはどうしてそんな絶望の表情で僕を見るんだい!?」

「そんで、ソイツは女の子に囲まれて新年を過ごす久世が羨ましすぎて、初詣で『久世真太郎が下痢になりますように』って願ったらしい」

「なにその陰湿な攻め口!? 『滅べ』とかじゃなくて『下痢』って願うあたり、逆に本気で憎まれていそうで怖いんだけれど!?」

「だから初登校の日にその話を聞いた俺は――『まあ久世だしな』と納得した」

「納得するの!? えっ、僕の友だちとして庇ってくれるとかじゃなくて!?」

「なんで俺がお前のためにそんなことしなきゃならねぇんだよ」

「いや正論だけど! っていうか、もしかしてバイト上がりに美紗と初めて会ったとき、〝ロリコン〟とか〝下痢〟とかよく分からないことを言ってたのは……!?」

「ソイツの話が頭をよぎったからだが?」

「なんて嫌な伏線回収なんだ!」


 あの日の真実を知り、ガーン、とショックを受けたような顔をする久世。……まあ、コイツくらいモテる奴が同性から逆恨みに近いやっかみを受けるのはある種必定ひつじょうとも言えるだろうが。

 ちなみに俺はクリスマスの翌日に、久世に双子の妹がいることは聞いていたので、友人から話を聞かされたときも「妹のことだろうなあ」とは思っていた。……特に訂正はしなかったが。

 流石に友人も、人格者かつ身持ちの堅いことで有名な久世が本気でそんな奴だと思ってはいないだろう。そういう意味では、今の俺の話は誇張が含まれていると言えた。


「……それはさておき、美紗」

「あ、あの、未来? 僕の大ショックを『それはさておき』なんて言葉で流さないで貰えると――」

「貴女、まだ家にいたの? 朝食のときに見掛けなかったから私はてっきり、また図書館にでも行っていると思っていたのだけれど」


 久世の腰低めの嘆願を無視スルーして七海が問うと、七海妹は今しがた起きたばかりだ、と返答した。

 なんでも、友人と電話をしていたら夜更かししてしまったのだとか。……そんな経験のない俺や同族であろう七海からすれば理解できない話だが、桃華が「あー、あるあるー」と頷いているところを見ると、〝あるある〟な話らしい。


「……悪かったわ。貴女が居ると知っていたら、リビングは使わなかったのだけれど」

「あー、気にしないで、お姉ちゃん。お客さんが来るってこと聞いてたのに忘れてたのは私なんだから」

「……そう」

「うん」


 本当に気にしていない様子でにこやかに笑う妹と、無表情ながらも普段は見せない穏やかな雰囲気を纏う姉。

 そんな彼女たちを見て、俺達三人もまた互いに笑い合う。


「――とはいえ、休日だからといってこんな時間まで寝ているのはいただけないわ。それにお祖母様もいつも言っているでしょう。いくら家の中でもだらしない格好をするなと」

「あっ、はい……」


 いい空気をぶち壊しにして説教をする姉と、即座にその場に正座する妹の姿がそこにはあった。


 ――七海おまえ、本当そういうとこだぞ……。


 ため息をつく俺と、苦笑を交わす桃華と久世を見て、七海はわずかばかり不思議そうに首を傾げていた。

 ……案外、このお嬢様は天然なのかもしれない。

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