第一一二編 交錯する片想い⑧



 七海ななみ邸のリビングにて美味しいランチをご馳走になった俺と久世くせは、キッチン――というより半分厨房のような雰囲気だが――へ食器を返しに向かった際に遭遇エンカウントしたその女の子が走り去った後、揃って無言のまま硬直していた。

 そんな俺たちに、キッチンから仕切りなく連なっているリビングスペースのソファーに腰掛けていた桃華ももかが、何事かと顔を覗かせる。


「ど、どうかしたの、二人とも? すごい絶叫だったけど……と、というか今の子って、誰……?」

「……七海の、妹」

「うぇっ!? な、七海さんの!? い、妹さんがいたんだ!?」

「……ええ」


 俺の返答に驚きのリアクションをとりつつ桃華が振り向くと、七海は優雅に食後のコーヒー――明らかにただのインスタントコーヒーだが――を口に運びながら軽く頷く。


「え、ええっと、未来みく? もしかして美紗みさは、今日僕たちが来ることを知らなかったのかい……?」

「……話は通しておいたのだけれど……あの様子だと、忘れていたようね」

「そ、そうなんだ。……な、なんか悪いことしちゃったかな……」

「……だな。あの子、久世おまえにあんなあられもない姿見られて、ショックだっただろうし」

「!? あ、あられもない姿ってなに!? く、詳しくっ!」

「お、小野おのくん!? どうしてわざわざ誤解を招くような表現をするんだい!?」


 俺はうるさい二人の側を通り過ぎ、食事をしていたソファーに座り直す。

 そして机上に置かれている、手土産として持ってきた〝甘色あまいろ〟のケーキが入った箱の中身を覗き込んだ。


「……あれ? 俺が狙ってたチーズケーキは? 誰か食った?」

「知らないわ」

「いや知らないわって、今まさにお前がフォークを突き刺してるのがそれなんだが。つーかテメェ、なんで一回で三つも自分の皿にケーキ乗せてんだよ。普通一回一つだろ」

「『貴方の考える〝普通〟を私に押し付けるのはやめてもらえるかしら』」

「出たよその格上発言! こ、今回については絶対俺の方が正しいだろ!?」

「貴方が手土産として七海別邸ここに持ち込んだ時点で、このケーキ箱の所有権は私に移ったでしょう。私が私の所有物をどのように扱うかまで、貴方に指図されるいわれはないわ」

「…………」

「ちょっとそこの二人! なんで妹さんのことを差し置いて普通にケーキの取り合いしてるのさ!?」

「し、しかも食って掛かった割にはあっさり論破されるんだね、小野くん……」


 仕方なく二番目に食べたかったモンブラン――は既に七海の皿に乗っており、涙を飲んで三番目に食べたかった苺のショートケーキ――も既に七海の皿に乗せられていたので、特に食べたくもなかったチョコレートケーキを自分の手元に寄せる俺。

 ……やっぱりどう考えても一度に三つもケーキを持っていくのは反則だと思うが、これ以上の反目は避けておく。学校でさえ七海コイツとの口喧嘩で勝てた試しがないというのに、このやしき内では勝機は皆無に等しいだろう。


「……そ、それで、妹さんはなんで逃げちゃったの? 悠真ゆうまがいたから?」

「ど、どういう意味だよ!?」

「えっ? ……あっ、ち、違うよ!? な、七海さんと久世くんが幼馴染みってことは、妹さんと久世くんも幼馴染みなんだから、消去法で悠真が原因なのかなって……」

「いや、〝幼馴染み=仲が良い〟とは限らないだろうが。どうしてそこで、久世があの子に蛇蝎だかつのごとく嫌われている可能性を考慮しないんだよ」

「……ハッ! そ、そっか……!」

「『ハッ!』じゃないよね桐山きりやまさん!? さ、流石に美紗には嫌われていないと信じたいんだけれど、僕は!?」

「でも実際、七海妹が逃げたのは久世おまえのせいだろうけどな」

「な、なんでだい!?」

「なんでだいってお前……」


 そりゃあ普通に考えて、好きな男にあんな格好見られたら嫌に決まってるだろう。

 久世も気を遣って目を逸らしてはいたとはいえ、「じゃあいいか」となるはずもない。リビングを飛び出していったあの子の反応リアクションは自然なものだ。

 というか久世コイツ、モテのくせにどうして俺でも分かるようなことが分からないんだよ。それとも、こういう多少鈍感な奴の方がモテるもんなんだろうか。

 俺が世の中の理不尽さを憂えていると、既に皿の上のケーキを二つ食べ終えたらしい七海が口を開いた。


「……ところで小野くん。貴方、美紗と面識があったの?」

「あ? あー……面識ってほどじゃねえけどな。前にたまたま会っただけだし」

「そう。……私の妹になにか変なことをしていないでしょうね?」

「これ言うのもそろそろ飽きてきたけど、お前ほんと俺のことなんだと思ってんだよ!?」

「あの子が一度会っただけの相手にあそこまでの嫌悪感を示すとは思えないのだけれど」

「知らねえよ! つーかそれはむしろ俺が聞きたいくらいだわ!」


 たしかにあの子の目の前で、冗談半分とはいえ久世のことを悪く言ったのが良くなかったことは理解しているが……それだけで初対面だった俺にあそこまで敵意を向けるか、普通?

 この家の姉妹は揃って俺との相性が悪すぎやしないだろうか。


「……ったく、この姉にしてあの妹あり、って感じだな」

「――それは悪かったですね」

「…………え?」


 誰もいないはずの後ろから聞こえてきたその声に振り返ると……そこにはなんと――というか案の定――青筋を浮かべた七海妹が立っていた。

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