第一一一編 交錯する片想い⑦



「……んん……う……? もう朝……?」


 目を覚ました私は、まぶたを擦りながらゆっくりと身体を起こした。

 枕元に転がっている携帯電話を机の上に置き直し、部屋の窓にかかっている遮光カーテンを開く。


「げっ……もうそんな時間か……」


 見れば、太陽はすっかり高く昇ってしまっていた。いつも起床時刻が六時前後の私からすれば、大寝坊もいいところである。

 昨夜は私にしては珍しく、つい友達とのグループ通話に花が咲いてしまった。

 普段は「顔が見えないのが嫌」「相手の感情を読みづらい」などの理由から電話やメールを好まない私だが、高校受験を間近に控えた友人の一人に「電話でいいから勉強を教えてほしい」と泣きつかれ、他の友人たちも同じことを言ってきたので、仕方なく相手をすることになったのである。

 もっとも、結局勉強をしていたのは最初の一時間程度で、そこからはただ楽しくお喋りするだけだったが。……あの子達がちゃんと第一志望の高校に入れるのか、少し不安になってきた。


「とにかく朝ごはん……もうお昼ごはんか。食べに行こうっと。というか、澤村さんも起こしてくれたらいいのに……いや、それを言うべきなのは服部はっとりの方だけど」


 薄い肌着の上からもこもこした半纏はんてんを羽織る。とても人に見せられる格好ではないが、私の寝起きはいつもこんな感じだ。

 平熱が高いからなのか、私は小さい頃から冬場でも厚着をして寝ると眠っている間に布団をはだけてしまい、逆に風邪を引いてしまうということがよくあった。だから寝る時は寝間着パジャマではなく下着と肌着だけ。

 かといって寝起きすぐにいちいち着替えるのは面倒で、結果として今のスタイルに落ち着いた。お祖母ばあちゃんには「だらしない」と言われがちだが、誰に見せるわけでもないし、別にいいだろう。


 自室を出て、既に掃除を終えてあるらしいピカピカの廊下を歩く。

 吹き抜けを見下ろしながら階段を下りていると、なにやらいつもより騒がしいような気がした。


「(今日、なにかあったっけ……?)」


 寝起きのぼんやりした頭で考えながら、リビングの方へ向かう。

 といっても、七海別邸うちに客が来ることはあまりない。たまにお祖母ちゃんの知り合いが遊びに来ているくらいだ。

 私はお姉ちゃんが嫌がるかなと思って友達を家に招いたりすることはしないし、そのお姉ちゃんに至ってはそもそも友達らしい友達は一人も――


「(……ん? あれ……なんか忘れてるような……)」


 頭の片隅でなにやら警告音が響いている気がしたが……なんだったか?

 私はふわ、と欠伸をしつつ、まあ大事なことならそのうち思い出すだろうと、気楽にリビングへ続く扉を開いた。


「あ」

「……え?」


 一瞬の間を置いて、私は疑問符を浮かべた――目の前にいる、食器類を手にしたキッチンへ向かう途中らしき、どこかで見覚えのある男の人を見て。


「……ど、どうも。こんにちは」

「えっ……あっ、はい。こんにち……は……?」


 男の人が微妙に目を逸らしつつペコリと会釈をしてくれたので、私もまた挨拶を返しながら頭を下げる。

 ああ、そうだ思い出した。小野おの悠真ゆうまさんだ。お姉ちゃんの友達――かは知らないけど、同じ高校の。

 思い出せてスッキリした私はその場で一人ウンウンと頷き、そして数秒後――一気に目が覚めた。


「なんであなたがここにいるんですかっっっ!?」

「え、ええっ!? り、反応リアクション遅っ!?」


 突然食って掛かった私に、小野さんがビクッ、と肩を揺らした。


「な、なにしてるんですかここで!? ま、まさか……不法侵入!?」

「いやおかしいだろ! なんで一番最初に思い浮かぶのが不法侵入それなんだよ!?」

「なんでもなにも、私から見たらあなたは大体そういう人なんですけど!?」

「ええっ、なんで!? お、俺ら前に一回会っただけだよな!? いやその時からなんか妙に嫌われてるフシはあったけども!」


 小野さんのツッコミに、私は「うっ」と言葉に詰まる。

 そうだった、小野さんから見た場合、私と彼がまともに顔を合わせたのは一度だけ。とある事情で、私が閉店後の喫茶店を訪れたときだけなんだった。

 その時小野さんが私の大好きな真太郎しんたろうさんに向かってとても失礼なことを言ったから、お姉ちゃんの件で微妙に彼に不信感を残していた私はつい噛みついてしまって――ん?

 あれ…………? ……?


 ドクン、と心臓が鳴った。額から嫌な汗がダラダラと流れ始める。

 そうだ……そういえば二週間ほど前、私はあの喫茶店で聞いたんだった。


 ――お姉ちゃんが七海別邸うちで勉強会をするという話を。


「ど、どうしたんだい、小野くん? 騒がしいけれど……って、あれ?」


 歩き寄ってきた別の男の人の声に私が顔を上げると、そこに立っていたのは私の想い人こと、久世くせ真太郎さん。

 今日も今日とて格好良い彼の姿に――しかし私は歓喜する余裕はなかった。


「や、やあ、美紗みさ……そ、その……お邪魔してます……」


 小野さんと同じく微妙に目を逸らしながらそう言った真太郎さんに、私は妙にゆっくりとした挙動で、自らの格好を見下ろした。

 そしてあっという間に頬に熱が集まるのを感じながら、羽織っただけの半纏の前をぎゅっと両手で引きつつ、叫んだ。


「ちっ、ちがっ――! これはっ、違うんですーーーーーっ!!」

「み、美紗ーーーっ!?」


 リビングから飛び出した私に向けて真太郎さんが声を上げているのが聞こえてきたが、当然振り返る余裕も立ち止まる余裕もない。

 全力で階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込んだ私は、その勢いのままふかふかのベッドに向けて思いっきりダイブした。


「うわああああああああああっ!? い、一番見られたくない人にいいいいいいいいいいっ!? これまで真太郎さんの前では綺麗な私しか見せてこなかったのにいいいいいいいいいいっ!?」


 ……後悔に打ちひしがれる私の脳裏には、なぜか「えっ……?」と苦笑混じりの疑問符を浮かべている真太郎さんの姿があった。

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