第一一〇編 交錯する片想い⑥
俺の心配とは裏腹に、勉強会そのものは驚くほど順調に進行していた。
前回の勉強会の時もそうだったが、
俺のようにそこまで真面目ではない人間からすればやや空気が堅すぎる気がしないでもないが、そのお陰で騒がしいのを嫌う七海の不興を買うこともなく、実にスムーズにことが進んだ。
驚いたのは、久世と
というのも俺が本来考えていた構図は〝久世が分からない問題を七海に質問する〟というものだった。
しかし学年二位の成績は伊達ではなく、このイケメン野郎はどんな問題もすらすら解いてしまうし、仮に分からない問題があろうが、教科書や参考書を開いて解決してしまう。七海に訊くまでもないのだ。
だから勉強会序盤の俺は大いに焦っていたのだが……ここで助け船を出してくれたのが桃華である。
桃華は十分学年上位の成績ではあるものの、目の前に座る二人のような天才型でもない。数こそ多くないが、分からない問題だってある。
そんな彼女が久世に質問をしたタイミングを、俺は逃さなかった。不自然にならないように二人の会話に入り込み、そして時機を見計らって適当に七海に関連する質問を振る。
まあ大抵七海はいつも通りの雑な、というか必要最低限の説明しかしてくれないのだが……今回に限っては、それが功を奏した。
「それじゃあ言葉足らずだよ」と苦笑いしつつ、お人好しの久世が〝七海の説明を補足する〟という形でこちらの会話に参加してくれたからだ。
さらにここで役に立った……という表現が適切かは分からないが、
学年トップクラスの三人と違い、俺は普通に勉強していても分からない問題などいくらでも出てくる。そんな俺が、いくら久世や桃華が懇切丁寧に教えてくれるとはいえ、一度の説明ですべての問題を理解できるようになるだろうか。いや、ならない。
だから毎度のように「な、なんでそうなるんだ……?」と
面倒くさがってはいるが、その気になれば俺でも分かるように言葉を選んで説明してくれる辺り、やはりこの女は優秀なんだと思わされる。
そしてそんな俺たちのやり取りを見て、七海に対してはやや腰が引けている様子だった桃華の緊張もだいぶほぐれたようである。最初のうちは久世に質問をしていたところも、久世が俺にかかっている間は七海に訊ねるようになった。
そしてまた七海が雑に教えたところを久世が補完し、すると俺の頭では理解しきれない部分が出てきて、それをまた七海が補完してくれて――の繰り返しだ。
朝九時頃から勉強会を始めて、昼前には俺の苦手科目であったはずの英語も半分は分かるようになったし、朝の堅い空気も随分
やっていることは本当にただの勉強会なのだが、それだけで十二分に当初の目的を果たせていた。あれこれ考えていた自分が馬鹿らしくなったほどである。
「――んう~~~……くぅ……。流石にちょっと疲れたねえ」
「そうだね。そろそろ休憩にしようか」
「さ、賛成……あ、頭がパンクしそうだ……」
可愛らしく伸びをした桃華の声を皮切りに、俺はどっと机の上に倒れ込んだ。
そんな俺を見て七海が「この程度のことで……?」とでも言いたげな目をしていやがるが……変に気を遣う必要こそなかったものの、三時間ぶっ続けで勉強するのは俺にとっては普通にキツいのだ。俺が長時間机に向かうことなんて、試験前に一夜漬けをする時くらいのものである。
と、丁度その時、部屋の外からコンコンコン、とノックの音が響いた。
七海が声を返すと厚い扉が静かに開かれ、使用人らしき女性が二人、一礼と共に入室してくる。
「失礼致します。
「えっ……い、いや、そこまでお世話になるわけには……」
「そう遠慮なさらずに。そちらのお二人も、是非いかがでしょうか?」
「で、でも、ただでさえ勉強会の場所を貸して貰ってるのに……」
申し訳ないという気持ちが勝り、丁重に断ろうとする二人。ちなみに俺も同じ気持ちだった。というか俺の鞄にはその辺のスーパーで買ってきたおにぎりが入っているから、そもそも世話になる必要がない。
互いに頷き合い、代表として俺が「やっぱり結構です」と言おうとしたその瞬間、使用人二人のうちの一人――俺の母親よりやや年上くらいの女性が、突然ぶわっ、と泣き出した。突然のことにギョッとする俺たち三人から顔を背け、彼女は震える声を絞り出す。
「も、申し訳ございません、お見苦しいところを……! み、
「(こ……断りづらっ……!)」
おいおいと涙を流す使用人の姿に、俺はとてもではないが断りの文言を口にすることなど出来なかった。チラリ、と桃華と久世に「(代わってくれない……?)」と
……そういえば本郷さんも俺と七海が〝契約〟したばかりの頃、引くほど泣いてたっけ。七海お前、どんだけ家の人に心配かけてきたんだよ……。
そう思って七海に目を向けると、彼女は何を思ったのか一度ため息をつき、そして言った。
「……澤村さん。そんな様子を見せられては彼らが断りづらいでしょう。それに
「ってうおぉぉぉぉぉいっっっっっ!?」
俺の代わりに断ろうとしやがったお嬢様の口を、俺は慌てて片手で塞ぐ。それを見て使用人の二人が「お、お嬢様になにをっ!?」と声を上げるが、一先ず無視だ。
俺は口を塞がれたまま「……いったいどういうつもりかしら」と視線で訴えてくる七海の耳元で「そりゃこっちの台詞だ!」と小声で叫ぶ。
「どういう神経してたらこの状況で『断る』っていう選択が出来るんだよ! あ、あの人お前のためにめっちゃ泣いてるじゃん! お前めちゃくちゃ心配されてるじゃん!」
「……
「なにじゃねえよ! こ、ここで断ったらあの人絶対傷付くだろうが! 無意味に心配かけるんじゃねえ! ご馳走されてやるから!」
人の家で飯を食うくせにやたらと偉そうな言い方になってしまったが、俺はそれだけ言ってキッ、と久世と桃華の振り向く。彼らは俺の剣幕に一瞬びくっ、と身を揺らしたものの、すぐに俺の意図を察してくれたようだ。
「あ、あぁー、そういえば私、お昼ごはん持ってきてないやあー」
「ぼ、僕もー、コンビニで買おうと思っていたのに、忘れていたなあー」
「(
内心でツッコミつつ、俺は棒読み真面目馬鹿二人からぽかーん、とこちらを見ている使用人の二人に視線を移した。
「と、というわけなんで、ご厚意に甘えさせて貰ってもいいですかね?」
「えっ? え、ええっ、勿論! すぐにご用意させていただきますわ!」
「ああっ、ま、待ってください澤村さん!? そ、それでは皆様、暫くお待ちくださいませ。し、失礼いたしますっ!」
途端にキラキラと瞳を輝かせて部屋を飛び出して行くサワムラさんの後を追い、ペコリと頭を下げて出ていくもう一人の使用人を見送ってから……俺たち三人は一斉にこの
「…………な、なに?」
非難がましげな色を含んだ視線を一身に受け、流石に居心地が悪そうにする七海を見て――俺はハァ、とため息を溢す。
――お前、あんな人の良さそうな使用人さんに心配かけるなよ……。
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